080 ティチューバ1/埋め込み
おまえたちは、はじめ、三十人いた。
三十人はみな、洞人である。
あとで知ったことだが、年齢は、六歳でそろえられていた。
じぶんが奴隷であることはわきまえていたものの、みな、母からひきはなされるのははじめてで、しゃくりあげる声や、鼻をすする音がその場を満たしていた。
おまえも、そのなかにいる。
あたらしい旦那さまの屋敷へと通され、からだを洗われたすえに、ひとまず清潔だけがとりえとおぼしき白いキャラコのワンピースを着せられたのだ。
そして、大部屋に通された。
みな同じ服を着せられていて、だれも状況を把握しているようすはない。
だれかが泣きはじめると、大部屋じゅうがつられた。
おまえも、しゃくりあげるように泣いている。
感情がみだれたときのくせで、大きくふくらんだ丸い髪を、くしゃくしゃにまぜたりひっぱったりして、よけいにふくらませてしまっている。しかしその髪を梳いて頭巾のなかにしまい直してくれるやさしい母の手は、もうない。そのことを思い出して、おまえはよけいに泣くのだった。みなが泣きわめいているなかだったから、その声が目立つことはなかった。
となりにいた女の子だけが、例外だった。
赤く充血した目をしきりにぬぐって、浮かび上がる涙をそのつど拭き取っているらしい。
その決然としたようすに、おまえもはげまされた。
しゃくりあげようとする呼吸をなんとかととのえ終えると、おなじ挑戦をはじめた。口を逆向きのUにひん曲げ、なんどもなんども涙をぬぐう。となりの女の子とはちがい、涙はあとからあとからこぼれようとしたから、けっきょくしじゅう目をぬぐうかたちになってしまっていたが……それでも、となりの女の子はこちらに気づいたようだった。
目が合った。
吊り上がっていた女の子の眉が、へにゃりと崩れた。おまえも、笑いをかえす。えへへ、と笑った。また浮かんできた涙と鼻水を乱暴に袖口でぬぐった。鼻水が横にぐいーっと尾を引いた。
こんどはふたりとも、笑った。
この部屋のなかで、笑顔だったのは、おまえたちふたりきりだった。
「わたし、ヘレン」
「わたしはティチューバ」
「変わった名前ね」
「大陸の名前なんだって。気に入ってるの」
「わたしも好きよ」
おまえが照れ笑いを浮かべかけたとき、ばたんと観音開きの扉が開け放たれた。ひっ、という息を飲む声がいくつもあがった。
――ばけもの。
おまえがとっさにそう思ったのも無理はなかった――黒衣で全身をおおい、同色のハットをかぶった黒ずくめの恰好のなかから、鳥のくちばしめいたマスクが覗いていたせいだ。かんぜんに顔をおおうそのマスクは、よくよく見れば、革をつなぎあわせてつくった人工物だ。目のところには丸いガラスがはめこまれていて、光を照りかえしていないときには、そこから切れ長の目がのぞいた。
じつのところ、それは黒死病が猛威を振るったころに疫病医たちが身につけていた、たんなる防護マスクにすぎない。けれども、当時のおまえには知る由もない。ただ、まがまがしく、人ならざるものとしか捉えられない。
黒衣の男はみずからの「きみたちの主人」だと告げたのち、両の腕をいっぱいにひろげ、陶酔的な声をはりあげた。
「あなたがたは、えらばれたのです!
人種を超越し、最高の魔術師となる可能性が、あなたがたのまえに拓けたのです! これは、まぎれもない好機なのですよ! あなたがたのうち幾人かは、おのれの血に課せられた呪いをうちやぶり、天人をも超える至高の魔術師となるのです!」
声にふくまれる狂気じみた熱気におまえが怯えていると、ヘレンがつぶやいた。
「マジシャン……? ロジシャンでは、ないの……?」
*
そのころ――
「魔術師」と呼ばれる伝説の存在を解明しようという動きが、一部の真述師たちのあいだで流行していたとおまえが知るのは、後年になってからのことだ。かれらはみずから「錬金述師」と称し、真緑や詠書に頼らぬ、強大無比なる魔法使い──「魔術師」へとたどりつくべく、日夜研究をかさねていたのである。KKKが生まれる、二世紀もまえの話だった。
そして、防疫マスクの旦那さま──エイレナウス・フィラレテスもまた、この錬金述師たちのひとりだった。ハーバード大学にて真述の学士号を当時史上最年少で受けた秀才だったが、その後オカルトへ傾倒した。大真述都市ロンドンへ移住してからは、すべての時間を錬金術研究へとそそぎこみ、そこで得た理論をもとに壮大な「実験」をおこなうべく、この殖民地へともどってきたのである。
なにせ、アメリカのほうが都合がよかった。奴隷制度のために、『生きた研究材料』を買いあつめやすいからだ。おなじ発想をもって新大陸へわたってくる錬金述師はめずらしくもなかったが――なかでも旦那さまがもくろんだ『実験』は、この大陸のなかでも最大最悪のものであった、といってもよい。
──呪い、とよばれるものがある。
暗黒大陸で、洞人のあいだだけに伝えられた、伝説である。
生のぎりぎりの淵に追いつめられた洞人が数万人いたとする。そのなかに、まれに、説明のつかない能力を得られるものが生ずる。
それが、呪いだ。
人体の枠をはみだしたもの、じざいに魂をあやつれるもの、他人の意志をしたがえられるもの、ひとの心の声を読めるもの……得られる能力はさまざまだが、既存の真述体系にも洞人呪術の常識にもおさまらぬ、まさしく奇蹟の顕現である。おおよそ数百年にひとりの割で生み出されてきた呪い保有者──呪人たちが、暗黒大陸においてはつねに歴史を塗り替えてきた。呪いとは、それだけのちからを誇るものなのだ。
かれら呪人こそが、西洋真述体系における魔術師である──。
こういった学説が、錬金述師のとある一派で支持をあつめつつあった。
たしかに、似ている。
呪いのように、魔術はひとりひとつの奇蹟を顕現させるものである。世界の矯正力による修正をまぬかれ、へたをすれば恒久的に世界を歪める、外法である。ある日とつぜん発現するというのもおなじならば、過去の魔術師誕生の逸話をひもといたとき、かれらのおおくが死の危険に瀕したときに魔術を得ているという点でも、類似している。奇蹟を成す『聖人』たちの正体が魔術師であったというのは、なかば学会の定説となっているが――じっさい、ここからいささか時を経たのち、聖処女ケティなどは呪いのちからゆえになかば聖人とみなされることになる。呪人こそが魔術師であるという発想は、さほどずれたものとは言えない。
つまり――と、この一派は結論した。
人工的に呪人をこしらえることができさえすれば、すべての真述師に、魔術師へ進化する道はひらかれるのだ……。
呪いのなんたるかも、どのような原理で奇蹟を現出させているのかも、わからない。わかっているのは、生存の際まで追いつめられた洞人のあいだから、ぽつりと生まれるということだけだ。
極論をいえば、数万人の洞人をあつめ、かれらを死の淵まで追いやれば、ひとりの呪人を生むことはできる。だがそれは、私財を投じてどうにかなるていどの話しではない。とうてい、なしとげえない。
数では、むずかしい。
となれば、質である。
追いつめられるレベルを、高める。
精神と肉体の両面からさいなみ、責め、いじめぬき、希望と絶望の乱高下を味わわせる。廃人にならないぎりぎりのところまで、人格を壊しぬく。ここまでやれば、母数がすくなくとも、じゅうぶんに呪人は生まれえる。
これが、理論であった。
狂気の、理論であった。
三十人の子供は、いのちをかえりみぬ苛酷な人体実験を課せられた。
とっくのむかしに「非人道的である」との指摘からつかわれなくなっていた禁忌の真述さえが、用いられた。
埋め込み、である。
真述陣──真緑を注ぎ込むことなしに詠書された文章を、人間の脳へと、埋め込む。脳へと書き込まれた真述陣は、思考によって言葉がそこを通るたびに、乱雑に書き加えられ、掻き乱され、ついには狂気をもたらす。この、つねならば「失敗」ととらえられる副作用を、旦那さま── エイレナウス・フィラレテスは、利用した。
おどろくべきことに、真述陣を埋め込まれた三十人のうち、じつに十六人までが、生きのびて呪いを発現させたのだ。ただし、天然で発生するものにくらべて、洗練されてはいない。だから、能力をもちいたときの代償は大きい。
十六人の多くは──
ひとのかたちを、保てなかった。




