078 とある少女の物語5
「タラはいやだ、タラはいやだ、タラはいやだ……」
くりかえされるつぶやきが、頭のなかにこびりつく。
馬車のなかだ。十人以上の洞人が、鎖でたがいの手錠同士をつなぎあわされ、売られた先の農場へと連れられるため、がたんがたんと揺れまくる荷馬車の幌のしたで、ただうずくまっている――そのなかに、つぶやきつづける男がいた。
「タラはいやだ、タラはいやだ、タラはいやだ……」
ながらく農場での労働をつとめてきたとおぼしき、頑強そうな男だった。しかし生来持ち合わせていただろう脂肪の丸みは、長時間の労働と足りない食物、強いられつづけた忍従の苦しみによって削ぎ落とされ、いたましく痩せてしまっていた。それが、おのれの両肩を抱きしめてふるえながら、消え入るような声でつぶやきつづけているのだ。
「タラはいやだ、タラはいやだ、タラはいやだ……」
「……おい、うるせえよ」
対面の男が、ささやき声で叱りつける。
しかし、煮立つ溶岩のようなつぶやきが止まることはない。対面の男は、「くそっ」と吐き捨てる。
「……そんな不吉な名を口にすんじゃねえ。まわりまで、怯えっちまうだろうが……」
「……あの」
わたしはたまらず問うていた。
声を低くして、尋ねる。
「タラって、どういうところなんですか……?」
「嬢ちゃんは気にしなくていい。ありゃ、クレイトン郡にある大農場なんだ。この馬車が向かってる方角は、まるで違う。こいつぁ、ちっといかれちまってんのさ。タラだなんて、縁起でもねえ。耳にしただけで、あの“赤い魔女”に呪われちまいそうだよ……」
赤い魔女――まえにお祖父さまに教わったことがある。KKKの最上級幹部、オハラの令嬢。そのあだ名が、赤い魔女だ。KKKの幹部が支配する農場……たしかに、かんがえただけで心臓を吐き出してしまいそうだった。まだ見ぬおそろしい魔女のすがたを描こうとする想像力を振り捨てて、馬車の揺れそれ自体に意識を集中する。
閉ざされた幌からは景色は透けなかったが、分厚い布地越しの日光はぼんやりと馬車のなかにオレンジ色の光を投じていた。不定期な揺れのなかに、リズムを見いだし、そこに身を委ねてしまおうとわたしは努める。この先でわたしを待ち受けているものについては、かんがえない。思考を、放棄する。ただ待つという行為のなかに、おのれをうずめてしまおうとする。まだ奴隷になって日が浅いというのに、こういう待ちかたはもう身についていた。
やがて、念願のまどろみが意識をおおいはじめた。
*
「ずいぶんと、おきれいな顔立ちだこと」
とげとげしい響き。
わたしの顎先をぴんと指先でつついて、奥さま――派手派手しいドレスを着込んだ初老の女が吐き捨てた。
「野外ではたらいたことは一度もありませんって顔ね。不細工しか要らないと、伝えてあったのに」
馬車の御者をつとめていた男が、じろりと睨まれて萎縮する。
奥さまの目が、またわたしを向いた。
「いいこと。うちでは美醜は関係ないわ。はたらける洞人は、みんな野外ではたらいてもらう。おまえがこれまでしてきたような屋敷づとめをまたやれるなんて希望は持たないことね」
屋敷づとめなんて、したことがありません。だってわたしは、奴隷じゃなかったんだから。
言いつのりたくなる衝動を、ぐっと抑え込む。
わたしは奴隷じゃない――。そういう言い分がとおらないことは、さすがに学んでいた。奴隷商人に連れられ、売り物としてドル金貨と引き換えにされた身分の洞人であるからには、奴隷なのだ。出自などは関係がない。それが、洞人の人生というものだ。
反抗的な目ととらえられてしまわないよう、目も伏せた。
「はい、奥さま」
「あとは頼むわよ、ジェイムズ」
「もちろんですとも、奥さま」
奥さまがきびすを返すと、神経質そうに痩せた男が代わりに声を張り上げた。
「私が奴隷監視人のジェイムズだ。だがおまえたちは名を呼ばなくていい――なにか言われたら“はい、監視人さま”か“わかりました、監視人さま”のどちらかで答えろ! “いいえ”は要らない――奴人に否は許されないからだ! 分かったか、おまえたち!」
「分かりました、監視人さま」
わたしたち八人が声をそろえると、ジェイムズは応答がわりにぴしりと鞭を鳴らした。
「よし、さっそく仕事だ――まだ日没まではたっぷり二時間はあるからな! 道中の疲れなどは言い訳にはならんぞ……馬車で運んでいただいたんだろうが? さあ、農場へ向けて、駆け足ィ!」
*
デルモラ、といわれる鉱石がある。
茶褐色で、見栄えせず、手のひらのなかで砕けてしまうほどにもろい。ミシシッピ川以南ではありふれた鉱石で、希少性も加工性もひくい。だが、これを粉末状にしたものを畑に撒くと、微量にふくまれた真緑の効果で土壌を肥えさせる。ちいさな洞窟からでも山ほど取れるため、南部の農園ではごく一般的に用いられる肥料のひとつだ。
そして、これを掘るのが鉱山奴隷の仕事だ。
――“主人の持つ鉱山で、穴掘りや木こりをしてたの。ばりばりの肉体労働”
掘りながら、わたしは何度もグレイスの声を思い浮かべていた。
さらりと語ったあの口調からは、これほど苛酷な労働であるとはとうてい読みとれなかった。これほど暑く、これほど息苦しく、そしてこれほどきついだなんて……。
洞人の体格でかろうじて這いこめるほどの孔が縦横に掘られた洞窟のなかで、わたしはつるはしを振るっていた。
獣脂のきついにおいがただようランプをかざし、ほんのすこし色が違う箇所を見つけると、その周囲を掘るのだ。なるべくデルモラ自体をきずつけないようにしないと、粉が舞ってひどい咳にくるしまされるから、注意しなければならない。慎重に、しかもすばやく周囲を掘り、かたまりとなっているデルモラをとりはずすようにして、トロッコのうえに乗せる。トロッコ一杯に茶褐色の鉱石がたまると、坂道に敷かれたレールに沿って押し上げなければならない。重たく、全身に汗がふきだすが――地上にトロッコを押し上げたほんのいっしゅん、陽光を浴び、新鮮な空気を吸うことができる。その数秒間だけが、癒やしだ。
いまも、わたしはその貴重な数秒間を全身で味わっていた。
ふかぶかと息を吸い込み、吐く。
肺の入り口にこびりついた粉塵を出し切ってしまうつもりで、おおきく。
ただ、今回の数秒間は、一秒だけ長すぎた――あるいは、あまりに息の吸い方が“これ見よがし”すぎたのかもしれない。
「おいおまえ! なにをさぼってる!」
はっと振り向く。
奴隷監視人――ジェイムズが、そこにいた。
洞窟のなかではなく、陽のしたには、とうぜん天人の監視もおおい。それを忘れていた。削げた頬と落ちくぼんだ目の監視人は、鞭をぴしゃぴしゃと鳴らしながら近づいてくる。
肌が粟立った。
――と。
「おわっと、奴隷監視人さま。やめといたほうがいいと思いますよお」
明るく、弾むような少年の声。
ジェイムズとわたしのあいだに両腕をひろげて入ってきたのは、十歳そこそこの洞人の少年だった。くりくりとした目でわたしにそっと目くばせをしてから、またジェイムズへと語りかける。
「ついこないだ、鞭の打ちすぎで仕事がおくれてるって、奥さまに大目玉食ったばっかでねえですか。こんな新入り鞭打って、さっそく火種をこしらえるこたあねえですよ。こいつにゃ、おれが言って聞かせまさあ」
底抜けに明るく、聞いているとほのかにほほえみがこぼれるような声だ。
「ね? 聞かねえようなら、そんときはそんときだ。このおれが、責任をもってぶん殴ってやりますよ。まじめな泥んぼの足をひっぱるのはいつだって、怠けものの“ジム・クロウ”だって相場が決まってら。このエディ、容赦はしませんよう」
しゅっしゅっ、と口で風切り音を再現しながら少年――エディは、拳を打つ真似をしてみせる。
ジェイムズはぷっと吹き出した。
そのことをとりつくろうようにいかめしい渋面をつくりなおして、奴隷監視人は鞭を巻きなおす。
「……ふん。おまえが見るなら、とくべつに今回ばかりは見のがしてやる。次はないぞ」
「ほれほれ行くぞ、この怠けものめ!」とエディはわたしの背中をぐいぐいと押した。「おれの鉄拳を食いてえか!」
わたしはトロッコへと手を掛けた。
エディと手を並べて、ふたたび洞窟へと向かって押しはじめる。
空気が弛緩し、まわりの洞人たちも三々五々、仕事へともどっていった。隣を押すエディに、そっと小声で言う。
「……ありがとう、ほんとうに助かったわ」
「……いいさ。名前は?」
「わたし、メアリー」
「おれはエディ。……知ってる? どうして?」
ふしぎそうな顔でこちらを見かえすエディは、子どもらしさに満ちていてかわいらしい。
わたしもぷっと笑みをこぼした。
エディもまあいいやというふうに笑い、片眉をひょいっと上げる。
「あの奴隷監視人さ――やっかいだけど、おれだけには弱いんだ。むかし、おれを鞭打ったのをきっかけにたいへんな事件をひきおこしちまったからね。そんときは、おれが鞭から庇われたんだ」
「そうだったのね」
「すごいひとだったんだぜ、おれを庇ってくれた洞人はさ。……みんながあのひとのことを、悪く言う。洞人も天人も、みんなさ。恩知らずとか、罰当たりとか、人殺しなんてね。旦那さまがひどい怪我を負って“あんなふう”になっちまったのも、お嬢さまがKKKの活動にのめりこんじまったのも、ぜんぶ、あのひとのせいだって。でも、おれは知ってる。あのひとは、すごいひとだったんだ。あの事件のあと、たったひとりで北まで逃げのびて、地下鉄道に身を投じたんだから。いまでは、マザーとまで呼ばれてるんだぜ」
「もしかして、それって――」
わたしは息を飲んで、言う。
「グレイスっていう、女の子?」
「グレイスを、知ってるの?」
エディが、目を丸くした。




