066 苛烈
「わたしひとりで、やったわけじゃない」
グレイスがつぶやくと、空気がはりつめた。
とくにおおきな声を出したわけでも、威圧する意図があったとも思えないのに、みなが息を詰めた。しぜんと、からだが傾聴の姿勢をとっている。
「黒猫たちのちからによるものだよ──地表ではそう呼ぶんだろう、わたしの仲間を。かれらの献身と信念がひきよせた結果だ。わたしは、かれらに導いてもらったにすぎない」
ぽつり、ぽつり、と語られることばが、重い。
あたりまえのことしか言われていないはずなのに、グレイスの声を通して語られると、なにかのちからが込められる。
ふしぎと、聴きつづけていたくなる。
グレイスのことばに、浸っていたくなる。
そういう声だった。
「なかでも、かれの働きはすばらしかった。
かれが、黒猫を率いてくれたんだ。統率力は、天性のものだな。戦闘についても、一流といっていい。
かれなしに、攻略はありえなかった。
なあ、プルートゥ」
「もったいないお言葉です」
外套をまとった黒猫が、頭を下げる。
「……ちょっと待て、こいつプルートゥか? ニューヨークから付いてきた小坊主の?」
マーチがあっけにとられたように、口をはさむ。
グレイスがうなずいて許しを与えると、マーチに指された黒猫は仮面を外した。
卑屈な顔つきの洞人少年は、もはや面影もない。謹厳な若き将校といった面がまえに、成長を遂げていた。ふさふさとした豊かな癖っ毛が顔をなかば覆っているが、髪の隙間から覗くまなざしが、身につけた武力に裏打ちされた落ち着きを感じさせる。
伸びた身長と、全身についたしなやかな筋肉、いっしゅんの隙もかいま見せぬ身のこなしは、熟練採掘者とくらべても際立っている。
たしか、グレイスよりひとつ歳上だと聞いていたから、それでもまだ十五にしかならない。おどろくほかなかった。
見た目だけでいうなら、グレイスよりも変化は大きい。
おそらく、とジョン・ヘンリーは身についた癖で瀬踏みする。
差しで戦ったら、おれでも苦戦を強いられるだろう。
「……たいしたもんだ。たしかにこいつを見れば、あの第十三迷宮を攻略したって聞いても、与太には思えねえ」
「光栄です」
プルートゥはひとつ、うなずき、
「ですが、攻略を成し遂げたのはあくまでマザー・グレイスです。われわれはあくまで、手足として動いたにすぎません。そこのところを、お履き違えなきよう」
生まじめな視線が、さらにするどさを増した。
ぴりっとした感覚に、ヘンリーの義腕ににぎられた鉛筆がふたつに折れる。
「やめておけ」
グレイスの叱責に、ふたたびプルートゥが生まじめなまなざしに戻った。
「たいへん、失礼いたしました」
おれの見立ては、甘すぎたようだ。ヘンリーは肩の力を抜く。苦戦どころじゃ、済まないだろう。
「すまないな。どうも話が逸れてしまう。
口数の多さは、わたしの欠点だ」
グレイスが頭を掻いた。
彼女のちょっとしたしぐさが、張り詰めかけた空気を変える。じぶんで場を支配するのが習いになっていたヘンリーにとって、それは新鮮な感覚だった。
「それでだ、ジョン・ヘンリー。
ミスリルを捌けるルートに、なにか心当たりはないか?」
「……悪いが、おれの采配できる分を超えてる」
考えこんだすえ、ヘンリーはそう口にした。
「これだけのミスリルがありゃ、世界の軍事バランスが変わる。とうてい、国内じゃ捌ききれねえし、そもそも連合国や合衆国も黙って見すごしちゃくれねえだろう。となりゃあ、極秘裏に、裏ルートから捌く必要がある」
「そもそも、すべてを捌かなきゃいけないってこたないでしょう?」
マーチが口をはさんだ。
「合衆国政府に、申し出るべきです。これだけの発見とあれば、政府に対してすくなくとも採掘量の数パーセントを取り分として主張することは可能だ。地下鉄道の運営資金としちゃ、それだけでじゅうぶんに過ぎます。多く持ちすぎるのは、ただ危険なだけです」
「だめだ。合衆国は信用に足らない」
「合衆国を信用しないって……」
呆れたようすを、マーチは隠そうともしない。
グレイスのもたらす緊張感が、一年まえとは比にならない水準に達している事実に、気づいているのかいないのか。すくなくともヘンリーは、この少女のまえで、すべてを見透かすようなまなざしのまえで、このように考えの偏狭さを露呈するような感情表現をする気には、なれない。
「敵は連合国と、KKKだけでしょうが。それだけで手いっぱいだってのに、よけいな敵を増やしてどうするんです? ミスリルなんて、味方だって目の色を変えちまうに決まってるんだ」
「合衆国はな、マーチ。連合国との対立を、恐れてる」
マーチの目をまっすぐに見つめ、おだやかに、グレイスは語りかける。
しんぼうづよく、子供に言い聞かせるように。
「あの『内戦』をもういちどくりかえすことを、恐れてるんだ。あまりにひとが死にすぎたし、あまりに金が無駄になりすぎたから。あれさえなければ、あるいは勝利をもぎとってもういちど南部を併呑できてさえいれば、合衆国は二十世紀に最強の国家になれていただろう。欧州で揉め事が持ちあがったとしても、地理的に離れていて、唯一、本土を戦火で荒らすことなく大勢を見きわめられる立ち位置を、占められるのだから。
だが、現実は違った。
火種を、内側に残してしまった。いつ燃えさかるとも知れぬ、火種を。
だから、合衆国は連合国との摩擦をなにより恐れてる。
だから、あそこまで弱腰なんだ。奴隷追跡人の入国を、いまなお許し、裁判なく洞人を連れ帰ることさえ認めてしまうほどに。連中の良心は、かろうじて、地下鉄道に小銭を支払うことであがなわれているんだ。
合衆国にとって、いちばん恐ろしいのは、奴隷解放の機運が国内で高まる事態だ。うっかり奴隷解放派の台頭を許したら、休戦が終わりかねないから。現に、いまでは共和党だって奴隷制反対の看板を下ろしてるだろう? 修正第十三条の法案なんて、これまで議論の俎上にも乗せられたことがない──と言わんばかりだ。
けっきょく、わたしたち洞人の味方なんて、合衆国にも連合国にも、いやしない。
わたしたちは、わたしたちだけで立つしかない」
黒猫たちが、おおきくうなずいている。
反論のことばを見つけだそうと目を左右に走らせているマーチを見て、ドレッドがけらけらと笑い声をあげた。
「わかりますが、」ようやく、マーチが絞り出した。「とはいえ、そんなに金を得たって使い道がないのは事実でしょう?」
「足りないぐらいだよ」
「なにをするってんです?」
「ひっくりかえす。この大陸を、まるごと」
さらりと返されたことばが、あまりに不穏な響きを持っていた。
ヘンリーの理解が追いつかないまま、頓着せぬようすでグレイスはことばを重ねる。
「まえに、『内戦』の戦況の推移を軍事評論家がまとめた本を読んだよ。あれほど、末端まで真述師を揃えた南軍が苦戦を強いられたのは、北軍の思いがけない強さあってこそ、なんだそうだ。
北軍の強さは、資金力にある。
兵卒のひとりひとりに手渡された銃火器が、南軍が持たされたそれよりもずっと、まさっていた。
それだけで、卓越した指揮も、考え抜かれた戦術も、貴族の誇りに裏打ちされた士気の高さも、すべて関係なくなってしまったんだ。
……金は、いくらあっても足りないよ。
すべての洞人に、まともな銃を与えるためには」
すべての洞人に、銃を与える──。
うすうす感じとっていたが、じっさいにことばにされると、そら恐ろしさはぬぐえなかった。
「……叛乱、ですか」
マーチがひときわ低い声で言う。
「不服か、マーチ」
「ひとが、どれだけ死ぬと思います」
「ひとは、死につづけてる。これからだって死につづける──奴隷制が存続するかぎり、永遠に。なら、自由をもとめて死ぬほうが、ずっとましだ。
おまえたちもかつて、そう考えたんだろう?
そうやって、『内戦』をはじめたんだろう?
洞人たちは、同胞たちの自由を求めて戦い、死んでいったんだろう?
それと、なにが違う?」
「あれは、戦争です。戦争だったんです」
「わたしたちがやろうとしているのも、それだ」
グレイスは、しばし、マーチの目を見つめていた。
マーチが、目を逸らした。
やがて、諦めたように、グレイスはため息をついた。
「フレデリック・マーチ。おまえは、ここに留まれ」
「は?」
「ギルド『仔猫』の運営を、ひきつづき任せる。黒猫たちはプルートゥによく訓練されているから、おまえが指揮をとる必要はない。やるべきことは本人たちが掌握している。ただ、他のギルドや政府に不審がられぬよう、対外的なやりとりだけはつつがなくこなせ」
一方的に言いわたしたのち、グレイスがこちらを向いた。
「ジョン・ヘンリー。
わたしがルートをとりつけたら、ドレッドと協議し、ミスリルを地上へ運び出すわたりを付けてもらいたい。無論、だれにも露見しないかたちでだ。頼めるか?」
「あ、ああ……」
「マザー! どういうことです!」
マーチが声を張りあげ、立ち上がった。
ふたつの指示の軽重を比較すれば、グレイスの意図は明白である。彼女は、マーチよりもヘンリーを選んだということだ。
グレイスが、マーチに向き直る。
びく、とマーチの肩が震えるのが、見てとれた。ヘンリーの側からはグレイスの表情はうかがい知れなかったが──その形相がいかなるものか、想像することはできた。
「どういうことか、聞きたいか」
マーチが、目を泳がせる。対して、グレイスの目は小ゆるぎもしない。
「わたしがどういうつもりなのか、ほんとうに、おまえは聞きたいのか」
マーチは、黙り込む。
事実上の戦力外通告を受け入れ、青ざめた表情で、座りなおした。うなだれるマーチを見届けたのち、グレイスが振り向いた。
「では、ジョン・ヘンリー。
さっそくだが、『裏ルート』の詳細を、聞かせてもらいたい」
「ああ……」
──グレイスは、潜るまえよりもよほど、苛烈になった。
ジョン・ヘンリーは、その事実を噛みしめながら、じぶんの心当たりを語りはじめた。




