065 第十三迷宮の主
「ミスリル──だと?」
予想だにしなかった単語に、耳をうたがった。
一年ぶりに人払いをした『鉄槌』の事務所で、ヘンリーはグレイスと向き合っていた。
グレイスの脇には、五名ほどの黒猫が控えている。ひとりはセイラだった──マントをまとっていたときに見せていた折目正しさはすでにみじんもなく、早々に仮面を外してソファに寝っころがっている。グレイスの変貌ぶりとくらべると、こちらは一年の時を経てもほとんど変わったようすがない。
ヘンリーの横には、マーチを座らせていた。彼をグレイスの側へ立たせることははばかられた。黒猫たちが、地下鉄道の構成員という扱いになるのか、それともまったく異なる指揮系統に属するものとして扱われるのか、判然としなかったからだ。そのあたりもおいおい問いたださねばなるまいが──いまは、持ち込まれた相談のほうが、おおきな話だった。
「……どういう品だ?」
内心の動揺を、なんとか抑えた。
迷宮で見つけた物品をさばくルートを教えてほしい──という、ごくあたりまえの切り口からはじまる相談内容としては、ミスリルというのは破格に大きな代物だったからだ。
とはいえ、ありえない話でもない。
なにせ第十三迷宮なのだ。これまでの十二の迷宮をすべて合わせたよりも広大で、複雑に入り組み、全貌が杳として知れないのが、第十三迷宮である。これまでミスリルの宝飾品がひとつやふたつ見つからなかったのが、不思議であると言ってもいい。
「どういう品──と訊かれても、困るな」
「ざっとどんな見た目かを教えてくれりゃいい。首飾りとか、耳飾りとか。モノによって鑑定できる人間は変わってくるからな」
グレイスは答える代わりに、隣の黒猫と顔を見合わせる。
ことばどおり、困ったような顔をしていた。
「現物はないのか?」
ヘンリーが問いかける。
見せてもらえば、おおむねどれほどの品物であるか見立てられるだろう。正確な鑑定はできないにしても、どういう鑑定士を呼び出せばいいかぐらいは見当がつく。もちろん、真贋の見極めについても専門家の意見を請わねばなるまい。
グレイスがかたわらの黒猫へうなずいた。
外套を羽織っているさいごの一名だ。彼は革の荷袋から、油紙の包みを取り出した。きつく結ばれていた麻の紐が、ナイフで切られる。
油紙のなかからあらわれたのは、ただの石塊だ。
「……これは?」
予想できなかった見かけに、ジョン・ヘンリーは眉をひそめる。宝飾品、あるいは装具や短剣のようなものだとばかり思っていた。
外套の黒猫は、加えて宝石商が用いる小型の拡大鏡を差し出してくる。
受け取って、石塊を覗きこんだ。
石塊には、細い亀裂があった。
その奥には、虹色にきらめく鉱石が見える。
「まさかこいつぁ……原石か?」
「おそらく」
「どれぐらいある?」
「さあ」
「……鉱脈を、見つけたのか」
驚愕に、ことばをうしなった。
いわゆる「ミスリル・ラッシュ」によって西部に殺到してきた連中──『49年組』たちがさいしょのころ躍起になって探していたのが、ミスリル鉱脈である。
きっかけとなった例の「首飾り」が、その存在によって示唆していたのは、この西部にかつてミスリルの鉱脈があったという可能性であった。
欧州の学者たちが、先住民の伝承のなかに語られているとかつて発表していたのが、この「ミスリル鉱脈がアメリカ大陸には存在している」という説であった。奇説・珍説のたぐいと一蹴されていた学説が、この「首飾り」という物証を得て、にわかに取り沙汰されるようになったのである。
発見されれば、そこは世界で唯一のミスリル鉱山となる。
もしミスリルを継続して採掘できるとすれば、たとえその鉱脈がわずか数年で尽きたとしても、世界の均衡は大きく揺さぶられる。
筆杖の触媒が純銀からミスリルに置き換わるだけで、真述の威力・継続時間は倍近くまで伸長するし、真述演算機械に取り込めば、人類の真述研究は二千年を短縮できると語られているほどだ。
大陸全土が沸いたのも、無理はないと言えた。
ミスリル鉱脈を発見したとなれば、大袈裟ではなく人類史に残る偉業となる。生まれる富は、発見者に縁づくもの全員の人生を七度ずつ買っても釣りが出る、という規模のものになるだろう。
しかし──掘っても掘っても、ミスリルは出なかった。
やはり、伝説は伝説である。
西部の採掘者たちはじきに熱狂から醒め、みなそれ以外の宝物での一攫千金を狙う方針に切り替えていった。それでも、迷宮の産出する富はぜいたくな暮らしを約束するものに違いはなかったから、ほとんどの採掘者にとっては、じゅうぶんすぎると言えたのだ。
ミスリルラッシュの開幕から半世紀を数える現在では、ミスリルの採掘を狙っていると公言するのはずぶの素人か詐欺師に限られた。
そのミスリル鉱脈が、見つかったという。
グレイスが、人を担いでよろこぶたぐいの人間とは思えないし、ましてや偽証を通じて利益を得ようとする小物とは一線を画している。そうした下衆どもにたやすく丸めこまれるような手合いとも、思われない。
とはいえ──
「悪いが、信じられん」
原石を、突きかえした。
「おれは、じぶんの目をうかつに信用しないたちでな。かといって、ミスリルの原石なんて代物を鑑定できる人間が、そこいらに転がっているとも思えねえ。真贋を見極めたきゃ、それこそ王立真述協会にでも原石を送って、数ヶ月は待たなきゃならねえだろうさ。……おれァな、嬢ちゃん。あんたのことばを疑いてえわけじゃねえんだ。ただ、あんたに『これがれっきとしたミスリルの原石だ』なんて吹き込んだ奴のこたァ、信用できねえな。たとえそいつが──」
「おれさまみてえな存在でも、かァァァ?」
亡霊が、あらわれた。
真っ白な歯列を闇のまんなかに浮かべて、けらけらけらとけたたましい笑い声をあげる。額に浮かぶ文字は「Peek-a-boo!」だった。
「たとえばだ! たとえばの話! おれさまが第十三迷宮の主だったとしてェ! こちらにおわす、マザー・アメェェーーーーーイジィング・グレイスさまに敗北を喫し、身もこころも捧げてお仕えする下僕の身分に堕ちたとしてだ! 迷宮が蔵する秘宝中の秘宝を差し出すってのァ、こりゃあしごくあたりまえの、礼儀にかなった行いだとは思わんかねえ! そいつがたとえ、ニンゲン連中が目を血走らせて探してる、ミスリル鉱脈だったとしてもよう! けーっけけけけけけけ!」
空中を縦横に飛びながらの演説に、ジョン・ヘンリーはあんぐりと口を開ける。
待て。
待て待て待て。
いま、なんと言ったのだ?
この愚にもつかないふざけた亡霊が、なんと?
第十三迷宮の主、そう名乗ったのか?
では、まさかこいつが。
いや──
「このお方が──」
「亡霊王、ドレッドだ」
こともなげに、グレイスが言った。
亡霊王ドレッド。
有史以来二度のみ、すがたをあらわしたとされている、伝説の洞人真述師である。一説には洞人呪術を創始したとも、サメディ男爵の名を戴いて神々の一柱に列せられたとも語られている。──いずれにせよ、神話の領域に属する名であることは、疑いない。
第十三迷宮の主が、なんらかの神格であるという噂は広く語られていた。
欧州でこれまでに発見されたなかでは、白の大迷宮とよばれる最古の迷宮がそうであったからだ。最奥に陣取り、伝説的な採掘者たちを数多屠りつづけた牛頭の大怪物は、ミノス王の血を承けた半神であったのだ。
この白の大迷宮に匹敵する広大さを持つと語られていた第十三迷宮においても、同じく神格が主として君臨していてもなにもおかしくない──というのが、通説であった。
しかし、亡霊王──である。
冥王ハデスと同一視せられることさえある、地下の守護神である。迷宮に挑む採掘者のあいだで、ドレッドといえば、採掘行の無事を祈る対象として広く信仰されているのだ。
まさか、実在していたとは。
いや、それよりも、とジョン・ヘンリーは思い直す。
真におどろくべきは、それを打ち倒し従えたという、この少女のほうではないのか。すべてが真実であるならば、もはや彼女に比すべきはダヴィデやペルセウスという神話上の英雄たちになってしまう。
あらためて、ヘンリーはグレイスへと向き直った。
こうして見直してみると、傷の数が尋常ではない。
顎の高さで切り揃えられた黒髪にかくされてはいるが、片方の耳は焼き潰されたように縮こまっていたし、左手の小指と薬指とは先端が断ち落とされて丸まっている。この一年間、どれほどの鉄火場をくぐり抜けてきたのだろう。
分厚く節くれだった手のひらや、盛り上がった肩の筋肉の隆起は、十年も闘技場に立ってきた剣闘士を思わせた。
ものすごい、ばかりである。
まだ十四歳ていどの、それも少女であったはずなのに──。
「……すまん、話がどうも見えない」
ただ息を呑むヘンリーと、亡霊王ドレッドとの顔を見比べていたマーチが、おずおずと口を挟んできた。
「つまり、どういうことなんだ?」
「……要するにな、マーチ。
このグレイスは、第十三迷宮を攻略し、主に成り代わっちまったってことなんだよ」
あらためてことばにすると、目まいがした。




