061 夜が更けていく音
夜になると、ギルドのラウンジは閉める。
受付を除いて、照明は落とすのだ。
さもないと採掘者連中はいつまで経ってもだらだら飲みつづける。
かといって、かんぜんにギルドを閉めてしまうこともまたできない。迷宮では昼夜は関係ないからだ。
探索を終えて出てきた連中を明かりとともに出迎え、ほっとひと息つかせてやるのも、ギルドの立派な役割だ。ジョン・ヘンリーはそう思っていた。
そして、奥にはじぶんがいなくてはならない。だからヘンリーが寝泊まりするのは、いつもこの事務所だ。
それに――そう語って、夜に事務所で過ごす習慣を見せてさえいれば、部下どもも召喚に誘ってはこない。これも、ジョン・ヘンリーにとっては都合がよかった。
たまに、どうしようもなくめんどうになる時がある。
娼婦から買い取った使いさしの香水を寝床代わりのソファに噴霧し、ストックしてある何本もの長い金髪を床に撒いて、女性ものの下着をソファの下に置いたりしているとき――
翌朝、その下着を拾い上げた部下に肩をすくめてみせ、「じゃあ昨晩のあいつは、スカートの下になにも付けずに帰ったってこったな」などとのたまって下卑た笑いを交わしたりしているとき――
じぶんはいったいなにをしているのだと、情けなくなるのだ。
みみっちい工作や、うすら寒い小芝居をしたりして、いったいなにを守っているのか。
そしてふいに、すべてをぶちまけてしまいたくなる衝動に駆られるのだ。
それが許されないと、分かってはいるのだが。
「ふう……」
知らず、ため息が漏れる。
部下に取り巻かれていると、ヘンリーはいつも肩肘を張っている。その事実に、ひとりになるととたんに楽になることで気がつく。
たったひとりでこうして蒸留酒を舐めているとき、ようやく、解放されたような気持ちになる。
「決定的欠陥――ね」
昼間の、グレイスのことばを思いかえす。
暗い事務所の、ひとつだけ点した執務机の上のランプで揺らぐ炎を眺めながら、もの思いにふける。決定的欠陥、ということば自体が、ヘンリーが内心で使っていたままの単語だった。あの少女は、どこからか嗅ぎつけてきたのではない。ただ、対面しただけでヘンリーの内面を見破ってみせたのだ。
思いかえすと、動悸がした。
隆起した胸板の内側で、心臓が早鐘を打ちはじめる。臆病な小リスのように、恐怖で死んでしまいそうになる。
あのとき、おれは死に近かった。
限りなく、死に近づいていた。
いままで十指では数え切れないほどの鉄火場と修羅場を乗り越えてきたというのに、そのなかのどれよりも危険な場所に、日中のおれは立っていたのだ。
その自覚に、背がじっとりといやな汗をかく。
あれ以上を語られていたら、まちがいなく――「ジョン・ヘンリー」は死んでしまっていただろう。
おれには、「欠陥」がある。
だれよりも屈強な肉体と、すべてを手に入れられるほどの腕っぷし、回る頭とよく通る声、だれもがうらやむ立場と、だれもが憧れる完全無欠な男振り。
男のなかの男。
誉れ高き、ジョン・ヘンリー。
――そのすがたが、この西部では必要なのだ。求められているのだ。
だからおれは、欠陥を隠しとおさねばならない。
小細工と小芝居を弄してでも、守り抜かねばならない。
ヘンリーは、そう信じてきた。
しかし――悪夢を、見るのだ。
すべてが露見する夢を、みなに嘘を見破られ、白眼視される光景を、見てしまうのだ。
ここ数年で、悪夢の頻度はぐっと増えてきている。
酒精の助けを借りないと、寝つかれぬほどに。
もしかしたら、とヘンリーは思う。
おれは、懺悔したいのかもしれない。
あの少女のまえに膝をつき、涙ながらにすべてをぶちまけてしまいたいのかもしれない。這いつくばってみじめに少女にとりすがり、救いと赦しを乞う「ジョン・ヘンリー」は、さぞ見ものだろう。
自嘲の笑いが、漏れた。
と。事務所の扉がノックされる。
「どうした。迷宮からだれか戻ったか?」
夜勤にひとりだけ残している受付嬢へ問い返すと、顔をのぞかせた彼女は、「来客です」と眠そうな声で告げた。通していい、と身振りで示すと、受付嬢は引っ込み、代わりに眼帯の男があらわれる。
「マーチか」
「遅くに済まない、ジョン。入ってもかまわないか?」
「もちろんだ。飲むよな?」
「ああ、うれしいね」
蒸留酒をあたらしいグラスに注ぎ、マーチへと手渡す。
手持ち無沙汰に立っていたこの牧師を、ヘンリーは手招きしてソファのほうへと腰かけさせた。じぶんもその正面へ、どっかと腰かける。
互いにグラスを持ち上げ、蒸留酒をあおった。
ソファに浅く腰かけたマーチは、唇を湿すていどに口をつけ、すぐにヘンリーに対し頭を下げてくる。
「日中は申し訳なかった、ジョン」
「気にするなマーチ。おれとおまえの仲だ」
もう一度グラスを掲げてみせると、二十年来の付き合いの友人は、ほっとした顔でふたたびグラスを持ち上げた。
「嬢ちゃんは、寝たのか」
「なかば、無理矢理ね」
マーチはソファに深く座りなおしながら、答える。
「ほっときゃ毎晩、ほとんど明け方まで手帳に書きものをしてる。日記なんてかわいらしいもんじゃねえ、あれは計画さ。細かい字でびっしりと数字や図を書きながら、考えてる。地下鉄道はどうあるべきか、今後どうしていくべきか、なにが足りなくて、なにを増やしていかなきゃならねえか――ほとんど休もうとしねえのさ。じぶんを罰するみたいに」
「……嬢ちゃんは、マザーの死をじぶんのせいだと思ってんのか?」
「どちらかと言やあ、『託された』って意識の強さだろうな。旧い馬車が、あれだけ誰かを近くに置いていろいろ教えてんのを、はじめて見た。かんぜんに、後継者と見なしてたとしか思えない。さいごにマザーに声を掛けられたのも、あの子さ。なにを語られたのかは主のみぞ知るってとこだが……すくなくとも、あの子はじぶんで組織を担うつもりでいる。そいつは間違いない」
「嬢ちゃんを、地下鉄道は認めてんのか?」
「正直なとこ、俺たち幹部連中は半信半疑さ。あまりに危ういし、あまりに直情的だ。
新聞、読んだろ? あんなふうに天人に決別を告げようだなんて、あの子以外だれも思っちゃいなかった。聞いてすらいなかったからな。あすこにいた天人の金持ち連中はさぞ驚いただろうが……俺たちほどじゃなかったろうよ」
苦笑を浮かべて、またひとくち、マーチはグラスを傾ける。
「だが、洞人たち――逃亡奴隷やら、一般の駅員たちからは、すでに絶大な信頼を得てる。これは否定しようのない事実だ。マザー・グレイスという旗頭なしに、いまの地下鉄道が成り立たないってことも、また事実。あんな子供に組織を背負わせるのは気が咎めるが、ほかに手立てがなくてな……」
「子供、か」
言われてみれば、まだ年端もゆかぬ子供なのだ。
少女のすがたはまちがいなく目にしたはずだったのに、ヘンリーはいまさらその事実に気がついたということに、驚愕した。
相対すると、「子供である」という印象は瞬時に消し飛ぶのだ。
日中、ヘンリーはあの少女に対等な口を利いていた――いや、利かされていたという実態を、今さらのように思い出していた。
嬢ちゃん、などと呼んでみせてはいたが、ことばのひとつひとつをまともにとりあって、大人の取引相手をまえにしているかのように接していた。けっきょく、新ギルドの設立も飲まされ、その手続き回りもこちらで請け負ってやる方向になっていたのだから、会話の主導権がどちらに握られていたのかは言及するまでもない。
旗頭、とマーチは言った。
しかし、あの少女を単なる飾りものとしてとらえているのであれば、そのほうがよほど、危うい。
現にマーチはニューヨークの演説で「かんぜんに出し抜かれている」のだ。その過去をごまかすような物言いが、ひどく危うい。
そう、ヘンリーには思えてならない。
だが、マーチに指摘する気にもなれなかった。
ふしぎなことに、あの少女を止めたくはないのだ。このまま放っておいて、どこまで独力でやってのけるのかを、見てみたくなってさえいる。
「……ちなみに、ギルドの設立なんてのも、嬢ちゃんの独走か?」
「そりゃもう! あの調子なら、そのうちじぶん自身で迷宮に潜りたいと言い出しかねない! 俺ア、とにかく頭が痛えよ」
「ご苦労なこった」
ふと、気になって問いかける。
「ところで昼間の嬢ちゃんだが……あれは、どうしたんだ? ほら、急に様子がおかしくなって、おれになにやら語りかけていたときだが……」
「ああ、あのときかい? おまえさんになにか聞こえてたってんなら、そりゃ声だな。俺たちからは、急に黙りこくっておまえさんを見つめてたようにしか見えなかった。
……なにか、失礼なことを言ってなかったか?」
「いや。とくに問題はねえ」
言い訳のことばをいくつか重ねようとしたが、やめた。
不自然に思われる。うまく嘘がつけないなら、きっぱりと黙っておくほうがましだ。なんにせよ、グレイスの発言を他人に聞かれていなかったことに、安堵した。まだ、取りつくろえる。……すくなくとも、じぶんが頃合いだと判断する日までは。
ヘンリーは蒸留酒の瓶をさいごまで傾け、中身をすべてグラスへ移し替えると、ぐっと飲み干した。それから、マーチのグラスに、次のひと瓶を空けて注ぐ。
「悪いな」
「気にするな。まあなんとか、嬢ちゃんを支えてやれ」
「振りまわされる、の間違いかもな」
じぶんのグラスにもお代わりを注いだ。
手元がぐらつきはじめている。酔いが早すぎたようだ。
「だが、悪いきぶんじゃない」
マーチがひとりごちて、ひと口すする。
「未来があるってのは、悪くないもんだ」
しばらく、ふたりで黙り込む。
夜が更けていく音に、ただ、耳をすませた。




