059 大丈夫
「なぜ、顔を晒した」
事務所へ移動し、ギルドの受付と談話室とを早じまいさせ、念入りに人払いを行い――ようやく、ジョン・ヘンリーは問うた。
ギルド長の机のまえで、簡素な木椅子をえらんで腰かけた少女――マザー・グレイスは、いまやむきだしの素顔のままで、ヘンリーに笑いかける。
「言っただろ。仮面は好きじゃないって」
こうして笑っているさまを見ると、まるきり、ただの少女にしか見えない。
ただ、かつてマザー・旧い馬車が来訪したとき同様に、『地下鉄道』幹部のフレデリック・マーチが脇に立っている。マーチは仮面をまとったままで表情はうかがい知れないが、ふざけているようすは微塵もなかった。
マーチのほかには、さきほどヘンリーが見破ってみせた五人の仮面が並んでいる。緊張したようすの、おそらく年若い洞人少年たちが四名。ひとり落ち着きなく事務所の装飾をあちこち見まわしている、こちらは手練れと思しきものが一名。
「それに、わたしはおまえに会いに来たんだ。
わたしが何者であるかくだくだしく証明してみせるより、顔を見せるのがいっとう早い」
「だが、衆人環視のまえである必要はなかった」
ヘンリーは執務机に頬杖をついて、眉を寄せる。
「あの場所にいる連中は、たしかにおれのギルドの構成員ばかりだ。おれが口止めすりゃ、聞いてくれる人間もいる。だが、全員じゃねえ。
採掘者ってのは、基本的にはろくでなしだ。一攫千金のためにわが身を賭け金として賭場に投げ出す手合いだ。KKKが、あんたの首にいくらの懸賞金を賭けてるか、知ってるのか?
じきに、だれかから漏れて追手がやってくるぜ」
「長居するつもりはない。おまえとの話を終えたらすぐに立ち去る。わたしの身を案じてくれているなら、その心配は無用だ」
それから唇をつきだすようにして、
「だが……そうか。
あとに残らざるをえないおまえには、よけいな面倒を背負いこませてしまう。そこまでは思い至らなかった。すまない。このとおりだ」
拍子抜けするほどあっさりと、頭を下げてくる。
ヘンリーも毒気を抜かれたようなきぶんで、「まあ……おれのほうは気にするこたあねえが……あんたが問題ねえならな……」などと、ついことばを濁す。じぶんらしくもない、と思う。
「で、だ」
下げていた頭を、ふいにグレイスは持ち上げる。
「本題に移りたい」
「……おう」
面食らっていた。
おそろしいほどに、彼女のペースに乗せられている。この歳の少女とは思えないぐらいに巧みに、会話の主導権を握ってくる。ことばや挙動が無意識に呼吸の隙間をついてきているのだろう。百戦錬磨の代議士やロビイスト連中がこういう手法を使ってくることはあったが、これほど洗練されてはいなかった。
それに、この迫力はどうだ。
炯炯とした眼が、まっすぐにこちらの目を見据えてくる。黒曜石めいた漆黒の瞳には、それと対峙するじぶんのすがたが映っている。まるで鏡に映し出されたように、おまえは誰だ、という問いが襲いかかってくる。
これが、マザーと呼ばれる少女か。
これが、『驚嘆すべき』と称される少女か。
ヘンリーは執務椅子へと座りなおし、少女のことばを待った。
「おまえが、わたしたち地下鉄道へ長年の資金提供をおこなってくれていることは知っている。それも、北部の天人たちのように、ほんのおひねりていどの額ではなく、莫大な私財を投じ、われわれの活動を支援してくれていると。
そこで、訊きたい。なぜだ?」
「なぜ?」
「なぜ、おまえは地下鉄道へそこまでの資金を注ぎ込む? 良心の発露では利かない額を、思想を基盤として持たねばつづかないほどの額を、なぜそうまでして注ぎ込んでいる?」
「思想だァ? そんなものはねえよ」
ジョン・ヘンリーは、目を逸らしたいという欲求に耐えかね、机から立ち上がる。
立ち上がった言い訳のように、棚に並べていた蒸留酒の瓶を手に取り、指二本ぶんの量をグラスに注ぎこむと、立ったままそれを呷った。息をととのえてから、つづける。
「おれは、金が余ってた。
で、使い道を探していたところで、おたくのマザーがあらわれたのさ。同じ肌色をした同胞が苦しんでるって聞かされて、まあ、善行を施してみる気になった。それだけのことよ。
おあいにくだがな、マザー・グレイス。
おれにゃ、あんたが否定して罵った天人の金持ち連中とおなじていどの動機しかねえし、そいつを改めようって気もねえ。こういう意識が裏にある金が願い下げだってんなら、寄付は断わってくれて構わねえよ。おれは怒りゃしねえさ。
ま、とはいえ、金は金だ。
色がついてるわけでもなけりゃ、思想とやらが尾ひれみてえにくっついてるわけでもねえ。きれいも汚えもねえから、あんたが気にしないってんなら、これからも送りつづけさしてもらうよ。
要は、あんた次第ってこった、マザー」
ふたたびソファと腰を下ろし、二杯目を注いだグラスを持ち上げて、グレイスを示した。
グレイスは――案にたがえて、怒るでも、困惑するでもなかった。
表情らしい表情もなく、ただ、ヘンリーを見つめていた。
この目ははじめてじゃねえ、とヘンリーは思う。
これは、旧い馬車と対面したときに見たのと、おんなじ目だ。底を見とおす、神さまみてえな目だ。そらおそろしさが、口に含んだ蒸留酒をのみくだすのを忘れさせた。
沈黙が、流れる。
だれひとり口を利かない。
ヘンリーも、グレイスも、その周りに立つ地下鉄道の面々も。口を開けない。開けなく、なっている。
やがて――
おまえは、いまのじぶんが
認められないのだな。
グレイスが、口を開く。
じぶんがなにをすればよいのか、
じぶんがなにをしているのか、
じぶんがやっているのは
ほんとうにやりたかったことなのか、
分からないでいたのだな。
腕っぷしは、昔から強かった。
それを振るうのも、好きだった。
おのれの腕ひとつで
困難をたいらげていくのが好きだったし、
そこにひとが集まってくるのも
たんじゅんにうれしかった。
だから、さいしょの頃、おまえは
じぶんを疑うことも、
迷い揺らぐことも、なかった。
ジョン・ヘンリー。
ジョン・ヘンリー。
ジョン・ヘンリーはすごい奴――。
そう言われるたびに、
おまえはただ、喜べていた。
歯車が食い違いはじめたのは、いつだ?
蒸気機関に腕っぷしひとつで勝ってからか?
その後条件闘争の果てに、
労働者仲間を率いて鉄道会社を辞めてからか?
流れ流れて西部にたどりつき、
採掘者として名が売れはじめてからか?
同胞の扱いに腹を据えかねて
ギルドを飛び出し、
じぶんでギルドを立ち上げてからか?
第十三迷宮の話を聞き、
新天地で自由に生きようと
ギルドの移設を決断してからか?
ギルドが迷宮街での覇権を握り、
その位置が盤石になってからか?
ジョン・ヘンリー。
ジョン・ヘンリー。
ジョン・ヘンリーはすごい奴――。
その声に、圧しつぶされそうに
なりはじめたのは、いったいいつからだ?
おのれの欠如を知ったのはいつからだ?
完璧な男であったじぶんに見出した
決定的欠陥を、あくまで隠しとおそう、
隠しとおさねばならないと
信じ込んだのはいつからだ?
隠せば隠すほどに、
露見したときの崩壊がおそろしくなり、
嘘に嘘を重ねるようになったのはいつからだ?
瑕疵を覆いかくすために嘘が大きくなり、
そのこと自体にじぶんが傷つくように
なったのは、いつからだ?
すべてを偽りだと暴露したくなったのは
いつからだ?
すべてを投げうつ誘惑に身をゆだねて
しまいたくなったのはいつからだ?
ただひとり、一介の労働者に戻って、
ハンマーを振るうだけの日々に戻りたいと
願うようになったのは、
いったい、いつからなんだ?
めまいがしていた。ことばに飲み込まれるように視界が回り、少女の声が大きく、いっしゅんごとにさらに大きくなっていく。蒸留酒の酔いなどではありえなかった。もっと異なる、えたいの知れぬほど大きな渦のなかに、ヘンリーは巻き込まれているのだった。ふしぎと、恐怖も恐慌もなかった。じぶんのちっぽけさを、ただ、心地よく感じていた。守られているようだった。いまはもう失っている記憶だったが、胎児とはこのような心地ではなかったか、と思っていた。
ヘンリー。
ジョン・ヘンリー。
と。
明瞭な声とともに、ヘンリーはみずからのからだのなかへと還っていた。
全身をとりまく重力が、ただただ不快だった。
目のまえには、グレイスがいる。
グレイスは頭を抱えている。眉根を寄せ、びっしょりと汗をかいて、小刻みに震えている。
「すまなかった。
……なんなんだこれは、ちくしょう。自律が、できなかった。勝手に流れ込んできた。……こんなかたちで、さらけ出すつもりじゃなかった。ことばが止まらなかった。くそ。
すまなかった。ほんとうに。
暴くつもりなんか、なかった」
荒い息遣いで、少女が謝る。
だんだんと現実感が取り戻されてきた。
ヘンリーは顔から血の気がひくのを感じながら、部屋のなかを見渡した。ギルドの連中は、だれもいない。子分たちはみな、人払いさせている。安堵する。地下鉄道の面々は、みな体調を崩したようなグレイスを気遣うようすで、ヘンリーの狼狽を見ているものはいない。
ようやく、おのれを取り戻す。
「……大丈夫か、嬢ちゃん」
ことばを口にすると、ようやく、『ジョン・ヘンリー』が戻ってくるのを感じた。
大丈夫。
おれは大丈夫だ。




