058 わたしもだ
騒動か、とジョン・ヘンリーは腰を浮かす。
この出口のない議論からひととき逃れるには、渡りに舟だった。
もともと腰を据えてものをかんがえるよりも、腕っぷしを振るっているほうが性に合っている。鬱屈などは、喧嘩の仲裁でもして、二、三発も拳を叩きこんでやれば、雲散霧消してくれる。くわえて、ギルド内の揉め事にはギルド長みずから首を突っ込んでくるというところを見せておけば、その事実が将来の抑止力にも繋がる。腰は軽いに越したことはない。
が。
実のところ、騒動はすでに終わっていた。
事務所から表へ飛び出したときにヘンリーが見たのは、エドマンドの装甲服が床に伏し、そのうえを見たことのない黒装束が傲然と踏みつけているさまだった。
背格好からして、黒い装甲服のほうは洞人だろう。まあたらしく、傷ひとつない安物の黒装甲服は、いかにも新人採掘者といった風情だ。それが、名の知れた一級採掘者を圧倒している。
ちょっと見には、飲み込みがたい状況だ。
ふつうなら、逆だった。足蹴にされているエドマンドは、採掘や戦闘の実力においては折り紙付きだが、人種差別的な物言いと乱暴さによって悪名を馳せる男だ。
彼が洞人を足蹴にしているならまだ分かる――ヘンリーは許さないが、合点がいく光景なのだ。新人採掘者、それも洞人とくれば、彼のような性根の歪んだ男にとっては恰好のえじきなのだ。道徳観念を発揮してうかつにエドマンドを止めようとすれば、じぶんたちがとばっちりを食いかねない。騒ぎに発展させてヘンリーが止めにかかる羽目になっても、エドマンドからは恨みを買う。それを恐れて、彼の新人いびりは増長の一途をたどっていた。
だから――逆は、いちども見たことがない。
「ギルド長!」
エドマンドが、苦しげな声でヘンリーへと呼びかけてくる。
「見てくれ! このメス餓鬼がよ――」
しかしその次につづくことばは、洞人採掘者が踏みつけるちからを強めたことで、断ち切られる。呼吸を圧迫されたエドマンドは、仮面越しにみじめにあえいだ。
「おうおうおう。ちったあ落ち着け新入り。
見ねえ仮面だが、着いたばかりか?」
「おまえは、この男の仲間か?」
仮面の内側から、くぐもった声がひびく。たしかに、年端もいかぬ少女の声に聞こえた。
黒一色に塗られた仮面は、横一直線に白い風防の筋が入っただけの、よく見る既製品の安物だ。個性がない大量生産品ゆえ、ほとんどの採掘者がさいしょの採掘用に買ってすぐに使い捨てる代物である。
「あァ、やっぱり新入りか。
まず落ち着け。耳の横についてるスイッチを押してみろ。外部拡声器が起動する。そっちのほうが、おれたちも声が聞き取りやすい」
「これでいいか」
電子信号に変換され鮮明になった声に、黒の仮面が感心したように傾いた。
「へえ、これは便利なものだ」
「どういたしまして」
「で。おまえはこの男の味方なのか」
「いいや、味方じゃねえな」
ヘンリーは肩をすくめる。
「そいつ――エドマンドっていうんだが、あんたも分かるように、なかなか友人には持ちたくねえいい性格をしててな。だから質問の答えはノーってことになる。……だが、ここで揉め事を起こされるのは困る。それに、おれのギルドメンバーをおれのまえでぶち殺されるのもな」
「殺しはしない。話をしてただけだ」
ぐ、とふたたび踏みつける足に力が加わる。エドマンドの嚙み殺した悲鳴が聞こえる。
ヘンリーは苦笑いを浮かべた。
「ずいぶん話が弾んでたみてえだな。
まあどういう話だか、聞かねえでも分かる。おおかた、そこの屑天人があんたに因縁つけて絡んできたんだろう? で、あんたは身を守った。よくある話だ。で、このあとはおれがあんたに一杯おごって、機嫌を直してもらやあ、一件落着だ。
なに、その男のことは気にしなくていい。そいつァ、これだけの人数のまえで恥をかかされたんだ。しばらくこのギルドででかい面はできねえさ。だよな、エドマンド?」
エドマンドのオーダーメイドの仮面が、こくこくと必死に上下した。
「で――お次は、あんたの話だ」
「わたしか」
「あんた……いったい、何者だ?」
ヘンリーが真顔に戻ったとたん、彼女は全身を脱力させた。
一見して、なにも変化がないように見えたが――ジョン・ヘンリーの目には、その短躯が瞬時に動き出せるよう、全身の筋肉を収縮させているのが見て取れた。
こいつは相当だ、とヘンリーは思う。
殺気を受けて全身を硬直させるのではなく、弛緩させる。それができるのは、迷宮の怪物たちと渡り合う日常を送る採掘者たちのなかでも、上位一割にも満たないだろう。エドマンドごときが敵わないのも、うなずける。
「何者、とは?」
黒の仮面が問い返してくる。慎重な声だ。
「おれが気づかないとでも思ったかい? あんたの動きに合わせて、いつでも行動に移れるようからだを緊張させた人間が、この室内に六人いる。見覚えがねえ仮面の連中ばかりだ――あんた同様、装備もまあたらしい。製造元は巧妙にばらけさせちゃいるが、全員、既製品しか身に着けてねえ。ひとりも、『採掘者』がいねえってこった」
「なるほど」
面白そうに、黒仮面がうなずく。
「ギルドメンバーは全員覚えているのだな。
驚いたな、この街では誰ひとり顔を晒していないというのに」
「そいつが西部の掟ってやつだ。仮面は娼婦のまえでも取らねえ。家族は持たねえし、深入りも詮索もなし。脛に傷持つ人間にとっちゃ、おあつらえ向きの慣習だ。おれは好かねえがな」
じぶんの素顔を、ヘンリーは指さしてみせる。
「わたしもだ」
告げて、洞人少女が黒の仮面に手を掛けた。気圧差にぷしゅうと音を立てて、密封されたヘルメットが頭全体から取り払われる。
みなが啞然としながら見つめるなか、少女はするどい目つきをあらわにし、ジョン・ヘンリーへ向けてにっこりとほほえんでみせた。新聞記事の写真で見るよりも、よほど幼く見えた。
「気に入った、ジョン・ヘンリー。
わたしはおまえと話をしにきたんだ」
マザー・『驚嘆すべき』・グレイスが、そこにいた。




