057 『鉄槌』
西部の風景は、変わった。
どこまでも広がる荒野、荒馬の乗りこなし、食肉牛の大運搬、焚き火の脇で爪弾くギター、駅馬車強盗との攻防、幌馬車隊の旅路、先住民との争い、馬で駆け抜けるカウボーイ……。
こうした風景は、もはや過去のものである。
ミスリルが、発見されたのだ。
太古の昔にうしなわれたとされていた伝説上の金属が、この大西部より掘り出されたのである。
ことは、こういう具合にはじまった。
ある農場主が、ひどい嵐の夜、地滑りですがたを現わした洞窟に足を踏み入れたのだ。そこは、地上ではまず見ないような異形の魑魅魍魎たちに満ち、互いが互いを喰らう地獄と化していた。農夫が命からがら逃げだそうとした折に、転び、たまさか手に取ったのが――なんと、ミスリル合金でつくられた首飾りだったのである。
この報せに、全世界が驚愕した。
その首飾りただひとつで、これまでに発見されたミスリル総質量の実に七パーセントを占めていたというのだから、驚かぬわけがない。
西部の大迷宮には宝の山が埋まっている――この情報を聞きつけた山師たちは、こぞって西部へと詰めかけた。
世に言う、ミスリル・ラッシュであった。
さらに驚きを重ねたことに――西部に存在する迷宮は、これひとつには留まらなかった。
つぎつぎと各地で発見された迷宮の数は、現在では十三を数えるまでに至っている。
とうぜん、合衆国政府はこれらの迷宮たちを国有化しようと図った。
仮に噂の一割でも真実であったとすれば――合衆国は、産油国に等しい財源を手にすることになる。だが、欧州の旧い判例が仇となった。
古くから迷宮が発見されることの多かった欧州では、長い利権争いの果てに、「迷宮の私有化・国有化はなんぴとにあってもこれを許されず、すべての採掘者たちは自由に迷宮に入り、おのれが勝ち得た財物を私有化することが許される」という合意に達したのだ。
さいしょの農場主は、十五世紀にさかのぼるこのかび臭い判例を盾に、合衆国政府相手に訴訟を起こし、みごと勝訴を遂げたのである。
以来、この古びた慣例が、ここ西部にあっても踏襲されることと相成った。
しかし、実のところ。
さいしょの首飾りを除いて、ミスリル製品やミスリル合金が発見されることはなかった。
だがそれでも、迷宮探索の熱狂は止む気配がなかったし、じっさいミスリルではない財物や真述的遺品を発見し、数世代では使い切れないほどの財を成していくものも珍しくはなかった。
もはや、ミスリルがほんとうにあるのか否かさえ、だれも気にしているものはいない。
また、採掘者たちを当て込んだ「町」の発生も、熱狂に拍車を掛けた。
遠路はるばるやってきた孤独な採掘者たちは、迷宮探索で得た金を使いたがったのだ。
酒、娼婦、賭け事、宝飾品……おどろくほどの高価をつけられた品が、日夜飛ぶように売れた。
歓楽が採掘者をからめとり、明日知れぬ命が財布の紐を緩ませた。
加えて、装備品購入も不可欠である。
採掘者は、真緑の濃い迷宮内でまともに呼吸するために、採掘用仮面を被らねばならなかった。
十七世紀のペスト医師のように顔をすっぽりと覆いかくす仮面をかぶり、全身を覆うぴったりとしたスーツの上に一色の装具を隙間なくまとう採掘者特有の近未来的装束は、脛に傷持つ身であることの多い採掘者たちにとって、匿名性と見栄とを同時に実現する特異な自己表現として機能した。
腕のいい採掘者は迷宮探索で得た財を高額な装具に張り込み、全身でおのれの存在感を誇示したのである。
こうして、歓楽と自己顕示欲とを基軸に産業が生まれるようになった。
あらたな迷宮が見つかるたび、数日のうちに迷宮入口を終端として板敷の歩道が作られ、粗末な板張り平屋が立ち並び、迷宮街が生まれた。
さいしょの頃は張りぼてでしかない粉飾看板が、一か月もするとほんものの二階が増築され、頑丈なレンガづくりの屋敷へと建て直され、町の範囲は拡大に拡大をかさね――ほんの三か月後には、巨大な歓楽街が無からできあがるのだ。
これが――現代の、西部である。
*
「で、下りるんですかい」
ジョン・ヘンリーが新聞紙を鋼鉄の義腕で器用に折りたたんでいると、部下のひとりからそう尋ねられた。
「ふん」
ヘンリーは鼻を鳴らす。
「まあ、この目でたしかめてからだな」
「お会いになるんで?」
「いま、ニューヨークくんだりまで出向いてる暇はねえな。この記事のとおりの小娘なら、わざわざ資金集めに顔を出してくるとも思えねえが」
破れが目立つソファの背もたれに身を預けると、スプリングが悲鳴のような軋みをあげた。
鋼鉄製の両前腕を後頭部で組み合わせ、一枚板の巨大なデスクへとブーツを投げ出す。七フィートを超えるジョン・ヘンリーの体躯は、そうしてみると、一本の巨大な丸太に見える。
洞人としては、規格外の巨漢である。
四十年をすこし超えるヘンリーの人生のなかでも、じぶんより大きな人間には出会ったためしがない。洞人はもとより、天人までもが目線の下になる。
長身にたっぷりと筋肉を満載し、ほんのお情けていどの脂肪ものっている。肘から先は、発達した筋肉の隆起がとちゅうで断ち切られ、武骨な自動義腕が前腕の代わりに据えられている。拳を固めれば、真四角の巨大な箱状になるところが、ヘンリー自身のいたく気に入っている部分だ。
顔つきも、巨体にひけをとらない。
まるで岩を削り出したような鼻や顎、ちいさいが獅子のごとき獰猛な輝きを蔵した眼、うつくしく編み込まれた黒髪が房をなして肩口に落ちかかるさま――いずれをとっても、『百獣の王』という印象を裏切らぬ猛々しさである。
こと彼にかぎっては、顔を晒しているほうがよほどはったりが利く。
ジョン・ヘンリーの目のまえにあるものは、彼がその押し出しと腕力とで築き上げてきたものだ――信頼に足る子分ども、数えられ帳簿へと書き込まれている財物の山、昼日中にあっても薄暗いランプの明かりに照らされ浮かび上がる、おどろおどろしい怪物どもの剥製たち。重い樫づくりの扉の向こうでは、受付嬢が詰めかける採掘者たちを次から次へとさばいている。
このギルドこそが、ヘンリーにとっての我が子のようなものだった。
七年前に発見されたばかりの第十三迷宮の迷宮街に、当時のギルドをまるごと移し、この迷宮こそが定住の地と腰を据えてから、いくどもの危機を乗りこえてきた。
利権を奪おうとするギャングを叩きのめし、契約採掘者を奪おうとする敵対ギルドをくだし、じぶんの地位にとって代わろうとする裏切者を打ちすえ――こうして最大ギルドへと育てあげたのだ。
いまでは、第十三迷宮に挑もうとする採掘者の九割が、ジョン・ヘンリーのギルド『鉄槌』へと登録する。そしてギルド憲章にのっとり、第十三迷宮で採掘された財物のおよそ三割が、収入として入りつづけているのだ。生まれる富は莫大といって差しつかえなく、もはや小国の資産規模に匹敵している。
正直を言って、金は余っている。
ギルドの事務所奥でこうしてふんぞりかえっているぶんには、さほどの使い道もないのだ。いい酒を飲み、ときどき思い出したように女を呼んで酌をさせ、ポーカーテーブルに札束を放り投げるぐらいが関の山。
子分どもにはじゅうぶんな小遣いをあたえてはいるものの、欲ぼけを嫌うヘンリーの性格から、身のまわりに残っているのはまじめな労働者気質の洞人ばかりだ。
必然的に、使われない金は積みあがっていく。
だから、『地下鉄道』に出資したのも、ご大層な大義にもとづいてのことでもないのだ。
ヘンリー自身は、元奴隷でもなんでもない。
もとは大陸横断鉄道のレールを敷設する肉体労働者で、出身もそもそもが北部である。だから、洞人奴隷たちがいかにひどい目に遭っているかというのも、北部にいるおおくの天人たち同様、人づてに聞いただけだ。ただ、仮にも同胞である洞人がそれほどの苦難を強いられているなら、助けになってやろうと思っただけのことだ。
同胞愛は、強いほうだ。
もともとジョン・ヘンリーがギルドを立ち上げたのも、既存の採掘者ギルドで洞人採掘者たちが差別的な扱いを受けていた現実を見かねて、じぶんがめんどうを見たところから始まっている。ここ第十三迷宮で最大ギルドの座を得てからは、『鉄槌』のにらみが利いているおかげで、天人も洞人も対等な口が利けるようになった。
本音を言えば、『地下鉄道』の構成員として、奴隷解放のためみずから戦いに赴きたかった。……あいにく、ギルド長という立場がそれを許さなかったが。
それだけに、今回の『事件』には、心中複雑な思いである。
「驚嘆! ――とはな」
新聞の見出しに躍る扇情的な文言を、ひとり読み上げた。
ニューヨークで開かれた『地下鉄道』の資金集めパーティは、とんだ波乱のなか幕を閉じたらしい。ひとりの洞人としては、この壇上でぶち上げたという少女の演説には快哉を叫びたいところだが――『地下鉄道』の一出資者としては、頭が痛い。
これまで出資をおこなってきた天人たちを、真正面から面罵し、決別を宣言してみせたのだ。北部のリベラル層からはとうぜん、総すかんを食っている。なかには、KKKの奴隷追跡人に彼女の身柄をひきわたすべきだとか、合衆国内での逃亡奴隷逮捕の合法化を再度議論の俎上に載せよといった過激な物言いも混じっているようだ。
ともかく、合衆国内の世論はかんぜんに敵に回ったと見ていい。
「……いちばんめんどうなのは、KKKでしょうな」
部下のひとりが言う。
「おそらく、この非難囂囂の状況を追い風に、またぞろ『鉄槌』への立入捜査を要望してくるはずです。ここが『地下鉄道』の駅じゃねえかって疑いを、連中は捨ててねえですから」
「くだらねえな」
ヘンリーは肉食獣の唸り声のように、口のなかでひとりごちる。
「だが、痛くもねえ腹をさぐられるのは、我慢ならねえ」
「『鉄槌』はやましいことなんざ何ひとつねえんです。ここは立入捜査の申し入れを、いちど受けてみちゃどうです?」
「バカヤロウ、そいつが我慢ならねえって言ってんだ」
ジョン・ヘンリーの脳裏に想起されていたのは、かつて鉄道会社の労働者として働いていたころの記憶だ。
一日の労働が終わると、労働者たちは一列に並ばされ、身体検査をされたのだ。レール敷設に用いる犬釘をちょろましてはいないか、調べられるのである。
あのときヘンリーの労働着を叩いて調べた現場監督の天人は、まるっきり泥棒を見る目でこちらをにらみつけたものだった。
ああいう扱いには、死んでも我慢ならない。
そのために、こうして独立独歩を保っているようなものだ
「……ですがね、大将」
言いにくそうに、部下が言う。
「じっさいのとこ、洞人採掘者と、南部出身の天人採掘者とのいさかいは増える一方です。こんなギルドに金を払ってられるかと吠える連中も、ひとりやふたりじゃねえ」
「それを抑え込めねえおまえらじゃねえだろう」
「ええ、とくだん問題にはならねえ。
ですが――大将が今後どうするかはっきり言ってくんなきゃ、俺たちだって肝が据わりませんや。じっさい、どうなんです。『地下鉄道』、下りるんですか。担ぎつづけるんですか」
「――」
答えあぐねた。
やはり、この目で見極めたい。
この記事中で次期『マザー』として名指しされているこの少女が、ほんとうに『地下鉄道』の長たるにふさわしい存在なのか。あの『マザー・旧い馬車』の後継たりうる人物なのか。
ひと目でも見れば、見極めがつく。人を見る目なら自信があるのだ。
「……行くしかねえか。北部に」
決意を固めかけた、そのときである。
けたたましい怒声と悲鳴とが、扉の向こう――ギルドの受付より聞こえてきた。




