055 反抗
グレイスが、演壇の上に立った。
どうしたわけか、ずいぶんとぼろぼろの衣裳に着替えている。
セイラには、意図が飲み込めない。
皿を雑にそのへんに放り出すと、口のなかの食べものを飲み込むと、並べられた椅子のひとつに腰かけた。乱暴にドレスの袖口で口元のソースをぬぐったとき、となりの紳士が目を丸くしていたのに気がついて、片目をつむってみせる。
紳士は関わり合いになりたくないといった調子で首を振った。
――さあて、お手並み拝見といこうや。
セイラの頭のなかで、ジムの声が反響する。
グレイスは無言のまま、会場内をぐるりと見わたしている。
すでに拍手がおさまり、着飾った紳士淑女らは、少女が語りはじめるのを待っている。なかには、みすぼらしい恰好に同情的な批評をくわえる声なども混じっている。そうしたささやきも、時間をかけて静まっていく。
グレイスは、まだなにも語らない。
感情の読み取りにくい無表情をたもったままに、黙りこくっている。
もはや、会場内を見わたすこともやめている。どこに目線を据えているのか分からないのに、放心状態には決して見えない。緊張でことばに詰まっているようにも、意地を張る子供の沈黙にも、見えない。ただ黙るためだけに黙っているような風情だ。
司会者が、困惑の色を見せはじめる。いくつかのことばを並べ、上品に、グレイスへ語りはじめることを促す。それも、グレイスは黙殺する。
いぶかしむような声。
だれかに事情を問いただすような声。
それも、じきに収まる。
しん、と会場が静まる。
固唾を飲んで、グレイスの一挙一動を見守っている。
心配や困惑、励ましや立腹、侮蔑などといった感情がだんだんと鳴りをひそめ、この少女はなんのつもりなのか、なにを語ろうとしているのかという興味に塗り替えられている。だれもが目を離せなくなっている。だれもが耳をそばだてている。少女のひとことめを聞きのがすまいと、懸命になる。
そして――。
「……わたしの名はグレイス。奴隷でした」
ちいさな声で、語りはじめた。
「奴隷としての生活は、十二年間におよびました。
わたしはいま十三歳ですから、生まれてからこのかた、ずっと鎖につながれたさだめのなかにいたということになります。
奴隷であるじぶんを疑問に思ったことはありません。それ以外の生きかたを知りませんから。
けれども、これがつらいさだめであることは、理解していました。
母も、奴隷でした」
それからグレイスは、語りつづけた。
おのれの人生を、母の代からどういうめぐり合わせで生きてきたのかを、なにを希望とし、なにを夢見、なにをたのしみとして生活を送ってきたのかを、こくめいに語った。
けっして、感情を剥きだしにすることはなかった。
あくまで抑制の利いた声で、たんたんと、事実を語っていった。
ほとんど身振り手振りもなく、ただ、ぽつりぽつりとことばを投げ出すように語っているだけだったのに、ふしぎと、話じたいに惹きつけられていった。
セイラは、しぜんとトムを思い出していた。
トムもまた、すぐれた語り部だった。すでに読んだ本の、波瀾万丈の冒険譚をトムの声で語りなおされると、まわりの子供たちはその場を立てなくなったものだ。天性の語り部は存在する。
しかし、グレイスのそれは、トムの語りとは比べものにはならない。
声じたいがなにかの魔術を帯びているかのように、ひとを語りのなかへと引きずりこんでしまう。セイラはたしかにここにいて、グレイスの語りを聴いているだけのはずなのに、あたかもじぶん自身が奴隷宿舎のなかに閉じ込められ、きつい労働を強いられているような心持ちになっている。
語るものと聴くものの境界があいまいになっていき、たがいが溶け合い、ひとりの奴隷少女になって、過酷な運命を我がものとして体験してゆく。
鞭打たれる少年をかばい、
奴隷監視人へと反論し、
旦那さまに夜の屋敷に呼びだされ、
母の身に起きていた真実を突きつけられる。
ああ、という嘆息が、会場中から漏れる。
激昂し、
母が殴られ、
夜中に高熱が出たことに怯え、
慈悲を請うために屋敷を再訪し、
おのれの身を捧げものとする。
薬をもらい、
母に飲ませ、
翌朝となりで冷たくなっている母を見つける。
そして――逃亡生活がはじまる。
犬をけしかけられ、
真述のほのおに追い立てられ、
土のついたままの芋を食らい、
地下鉄道のしるしを見つけ、
KKKのしるしに怯え、
嵐のような発熱にくるしみ、
天人女性の裏切りに遭い。
そうしているうちに、地下鉄道へとたどりつく。
主要駅で、希望に満ちた洞人たちや、親切な駅員たちに出会う。
文字を学び、
本を読み、
人間らしい生活を身につけはじめる。
だが、
KKKの襲撃がおとずれる――。
「……こうしてわたしはふたたび、『家』をうばわれるはめになりました。
おまえのような洞人に、安住の権利は存在しない。
人間らしい生活など、生涯許されないのだ。
そのように、突きはなされたきぶんでした」
グレイスのことばが、途切れる。
会場は、淑女たちのすすり泣きと、紳士がたの憤然としたため息とに満ちている。
この場にいる善男善女のみなが、この少女のこれまでに同情を寄せ、これからを心配している。
ものの三十分のうちに、グレイスは、この場にいる全員を味方につけてしまっていた。
――大した手腕だな、あの嬢ちゃん。
ジムが言う。
――これなら寄付金も相当の額にのぼるだろうな。……だがよ、
「あの子はそんなタマじゃない、だろ?」
――ああ。
「まあ、見てなよ。たぶん、そろそろ始めるはずだ」
グレイスはたっぷりと間を置いて、ことばを再開する。
「ここにいる皆さまには、こんなみじめな洞人の娘ひとりがどういう結末を迎えようと、関わりのないことだと理解しています。
ですが、わたしのような運命を強いられている奴隷は、わたしひとりではありません。
何万、何十万の子供たちが、あの連合国で、むごいさだめのなかで、希望をうしないかけています。『地下鉄道』がなくなるということは、奴隷にとって、さいごの希望が断たれるということなのです。
どうか、お願いです。
皆さまのおちからで、どうかわたしたちを助けてください。
どうか、わたしたちみじめな洞人に、ほんのすこしの希望をおめぐみください。
どうか――」
壇上で下げられたグレイスの頭が、表情を覆いかくすように、さらに、深々と下げられる。
そのけなげなすがたに、箱型写真機の穴がいくつも向けられ、ここぞとばかりにシャッターを切る音が響く。進歩的な新聞社は、この写真を記事に載せるつもりなのだろう。
あわれな奴隷少女の懇願に、善男善女が正義のたたかいに財をなげうつ――。
提灯記事の見出しが、すでにこの場にいる記者の頭にはととのいはじめていることだろう。
が。
だれもがぎょっとするほど切れのいい動きで、下がっていた洞人少女の頭が、上げられる。頭を下げるまえにみなが目にしていた悲痛な懇願の表情は、影もかたちもない。
代わりにうかべられた表情は――
怒り、である。
「どうか――などと、言うとでも思ったか?
うすぎたない天人ども」




