054 演出
エジソン氏には、けっきょく会えなかった。
約束の時間になり、EE社の受付に訪いを入れると、社長秘書を名乗る冷たい美女が降りてきて、急遽会えなくなった旨を告げてきたのだ。
「エジソンは、くれぐれも新しい代表によろしくと申しておりました。
また、地下鉄道に対してはこれからも変わらず、全面的な支援をお約束する――とも」
「これはご丁寧に、痛み入ります。
お顔を拝見できなかったのは残念の極みですが、御用とあれば致し方ございませんな」
如才のない返答をするフィリップスに対し、どこか無機質な瞳の社長秘書は、申し訳なさをかけらも滲ませぬ顔でうなずいた。
そっと、隣のグレイスの顔色を盗み見る。
とくに、目立った感情は見受けられない。
――おれは、気づくとこの子の顔色ばかり見ている。
じぶんはこれほど、だれかの顔色をうかがう性格ではなかったはずだ。
なのに、この少女に対してだけは、そうしてしまう。
どこか、萎縮してさえいるようだ。旧い馬車に対してさえ、こんな感覚は持たなかったというのに。
苦笑を浮かべようとした。できなかった。
*
チャリティ・パーティは、円滑に進んだ。
もともと、こうした社交の場に慣れているマーチではない。
微笑と冗談とうわさ話を交換し、ささやかな政治談義を交わす、完全に本心から隔てられた独特の空間。
戦場に慣れたマーチの肌に合おうはずがなかった。
ただ、フィリップスに引き回されるがままに、会うひと会うひとに挨拶をするのが、マーチの仕事だった。
豊富にならべられた食事を、手に取る暇もない。
愛想笑いと定型句のくりかえしで乾ききった口を湿してやりたかったが、軽い酒はおろか水にさえありつけない。
会場のあちこちを駆けずり回っては目についた食物を片端から頬張っているセイラが、ひどくうらめしかった。
むろん、グレイスとは別である。
控え室に座らされ、演説まえの着替えや化粧をさせられていると聞いていた。
いくら地下鉄道の洞人たちが彼女を"マザー"と認めても、こうした場で出資者のひとりひとりに紹介するのはむずかしい――というフィリップスの判断によるものだったが、結果的にはよかった。
あれほど直情的な少女が、こうした皮相な交流の場で大人しくしているとは思えない。
彼女を抑えておくのは、ひと苦労では済まなかったろう。
数十人にのぼるフィリップスの”知己”に引きあわされたあげく、ようやくマーチは演説会場に向かうことを許された。間もなく、演説の時間が始まるからだ。
演壇は、野外にしつらえられていた。
ニューヨークの中心にほど近い、大通りである。演壇に向けて正面には椅子が並べられ、そこには招待された出資者たちがきれいな服を着て腰掛けている。その周りには、物見高いニューヨーク市民たちが立ち見のために陣取り、その隙間から、洞人たちが探るような目を向けている。この空間をひとめ見るだけで、ここ北部合衆国の階層が一望できた。
出資者たちの椅子のあいだを縫うように、マーチは演壇へと向かう。垂れ幕の裏側に、グレイスは控えているはずだった。さらに知己を見つけて声を張り上げるフィリップスを捨て置き、演壇の奥へと進んだ。
うすぐらい場所だった。陽光に慣れた目を凝らすと、さまざまの資材が剥き出しになった隙間に、鏡や机が置かれているのが見えた。
グレイスを、見つける。
声を掛けようとして、マーチは目をうたがった。
「グレイス……、おまえ、その恰好……」
少女がまとっていたのは、この会場に着いたときのカクテルドレスではない。
粗末な、麻のワンピースである。
袖はわざとらしくほつれ、あちこちにつくられたカギ裂きを、目立つ糸で乱暴に縫い合わせたものだ。足元にいたっては、靴どころか靴下さえない、素足のままである。
ほんものの奴隷だって、ここまでの恰好はさせられていない。
「私の発案ですよ」
フィリップスが鼻高々といったようすで後ろから入ってきた。
「しかしこんな……。
ミンストレル・ショーじみた衣裳を着せるってのは……」
マーチの脳裏に、天人の喜劇役者が顔を黒塗りにして行う芝居が浮かんでいた。
洞人の特徴を誇張し、あざけり笑うことを目的としたショーだ。いま、グレイスが着せられているのは、その舞台衣裳とほとんど変わらない。
「だいじなのは『演出』なのですよ、ミスター・マーチ」
ぴん、と人差し指を立てて、フィリップスが言う。
「出資者というものはね、気持ちよくお金を払いたいものなのです。
とくにこの地下鉄道という組織は、善意と同情によって資金を集めているのですから、なおのこと。
多少嘘くさくなったとしても、なあに、そんなことを指摘してくるような野暮な方はいらっしゃいませんよ。
それよりも、たっぷりとご婦人がたに涙を流してもらって、夫君らの財布の紐を緩めてもらうのが肝要です。
だいじょうぶ、なにも詐欺を働こうというわけではないのですから、堂々としておればよいのです。
正しい目的のために使われる金を集めようとしてるんですからな」
フィリップスは満足げにほほ笑みながら、グレイスの顔に炭を塗りつける。
わざとらしい汚れが、褐色の肌にこびりついた。
グレイスは目の周りだけを、わずかにこすった。
「そういう意味では――つまり、皆さまの同情を買うという意味ではね――旧い馬車の堂々たるすがたよりも、痩せた奴隷の女の子に立ってもらったほうが、ずいぶん効果的であるとも言えますな。
私に言わせれば、旧い馬車は演説がいささかうますぎたのです。
洞人にあれほどの語彙と論理を使って語られたら、天人の皆さまは複雑なきぶんでしょうからな。だれが、頭のいい洞人に好感なぞ持つものですか。それの極みが、例の『獅子君』でしょうが……いえいえ、これは話が逸れましたな。
演説の内容も、おおむねこちらで指図しました。
まあ、この短時間で原稿を覚えるというのは、お嬢さんには酷な話でしょうから、大筋は彼女自身の経験にもとづいた話をしてもらいます。逃亡奴隷としての体験を、たっぷりと語ってもらうのですよ。
なあに、すこしばかり訥々としてるぐらいのほうが、それらしい。
途中でことばに詰まったら、ハンカチを顔に当てるように指示もしてあります。感きわまったと見せてやれば、かえってご婦人がたの涙を誘うというものです」
マーチは、グレイスの膝に置かれていた走り書きの束を受け取ると、おおいそぎで目を通す。
ひどいものだった。
グレイスは、じぶんがいかに搾取され、いかに虐げられてきたか、どれほどみじめな生活を送り、どれほど過酷な運命を強いられたあげくに逃亡を選ばざるをえなかったのか、切々と語ることになっている。
果てには、じぶんの主人に受けた性的虐待のことまで、赤裸々に語る羽目になっているのだ。
とうてい癒えているとは言いがたい生々しい傷痕を、これほど多くのひとのまえでさらけ出せというのか。
こんな少女に。
「フィリップス。おれは認められない。こんなもの――」
「構わない」
割って入ったのは、グレイス本人だった。
「わたしは、これを語ることに納得してる」
「しかし……!」
「いいんだ」
そっけなく告げたグレイスの顔に、暗さはない。
運命に耐え忍ぼうとしている顔には、見えない。
その先のなにかを、意志をもって見つめている顔だ。
なにかをしようとしている顔だ。
――わたしが話すべき内容が、分かった。
日中に掛けられたことばを、思い出す。
マーチは、胸の内でざわざわとと得体の知れない不安が騒ぎ出すのを、感じていた。
だが――
「――それでは、ご登壇いただきましょう。
地下鉄道を代表し、グレイス嬢にお越しいただきました。大きな拍手であたたかくお出迎えください!」
朗々と通る司会の声に、グレイスは幕の向こうへと押し出されていった。
止める間など、なかった。




