053 紙幣と硬貨
エジソン・エレクトロニクス。
近未来都市ニューヨークを象徴する、最先端技術の粋をきわめたドーム状の建築物を、マーチらは見上げていた。
透明度の高い硝子でつくられた半球が、マンハッタンの端にひろびろととられた芝生のなかに堂々と立っているさまは、まさしく王のようだった。
王。
まちがいなく、王である。
真述大国と呼ばれる連合国に対し、北部合衆国は「科学大国」と呼ばれている。
全世界で群を抜き、すでに二十一世紀の水準にも達すると言われる、圧倒的な科学力。その進歩をただ一社にて牽引するのが、このエジソン・エレクトロニクスなのである。
「約束の時間までは、まだ十分ほどありますな。
訪いを入れるには、いささか早すぎるが……万が一にも遅刻できませんゆえ、ここでお待ちいただきたい」
フィリップスが、懐中時計をぱちりと閉じた。
「いいですかな、グレイス嬢。
言うまでもありませんが、エジソン氏は地下鉄道最大の出資者にして協力者です。
むずかしいお人柄ですから、くれぐれも失礼なきよう、ご注意を。
基本的には私が応対いたしますから、お任せください。
なあに、質問されるまで、口を開かねばよいのです。むずかしいことはありません」
つまり、喋るな――ということだ。
グレイスはうなずくでもなく、ジャケットのポケットへ乱暴に手をつっこんだまま、芝生の向こうを見つめていた。ふてくされた子供にも、見える。
「よろしいですかな?」
フィリップスの念押しを黙殺したまま、グレイスは芝生の隅を指す。
「あれ」
少女の指の先へ視線をめぐらせると、芝生にきもちよさそうに寝ころぶ天人たちが見受けられた。
「ああ。ここの敷地はEE社の社有地ではありますが、公園としても開放されているのですよ。
都会人にとっては、貴重な緑ですからな。つくづく、エジソン氏は公益を重んじるかたですな」
「違う。あっちだよ」
グレイスはにべもなくフィリップスをあしらうと、さらに向こうを指さす。
警備員の制服に身を固めたふたりの天人が、洞人の少年となにかを言い合っているらしい。
洞人の少年はうすよごれた労働着をまとっており、この芝生でくつろぐ天人たちのリラックスした外出着すがたとくらべると、ずいぶん浮いて見えた。
「ああ……。
ここは料金もなにもとっていませんから、ああいう手合いは入り込んでくるものです。しかたありませんな」
「ミスター・フィリップス」
「おっと――」
マーチの声でフィリップスがわざとらしく口を押さえるよりも早く、グレイスは警備員たちのもとへと大股で歩きはじめていた。
決然とした歩調に、どこか危ういものを感じ、マーチもあわてて少女の後を追いすがる。
「なにをしてる」
なんの斟酌もない横柄な口調を、グレイスは警備員へと投げつける。
振り向いた警備員は、グレイスのすがたを見たとたんに目を丸くする。――いかなニューヨーク人といえど、洞人にそのようなことばづかいを受けることは慣れていないのだ。召使い風情がなんのつもりだ、と言わんばかりに腕を組んだ警備員は、追いついてきたマーチを見て表情をほぐした。
「失礼。どうなさいました?」
あくまで紳士的な口調でマーチが問い直す。
じぶんから言い出さないかぎり、マーチの風貌は天人にしか見えない。警備員もようやく話の分かる人間が出てきたとばかりに追従笑いを浮かべてみせた。
「いえ、大したことじゃありません。
この子供が、どうしてもここから出ていきたくないとごねるもんでしてね。ついことばを荒げてしまった」
「なにかしたのか、彼は」
ふたたび意外そうな顔をして、警備員がグレイスを振り向く。
しかしあくまでマーチに向かって、
「とんでもありません。なにかさせるわけがありません。
私らはそのために雇われておるのですから。
トラブルは未然に防ぐ。それが仕事です」
胸を張ってみせる。
「トラブルを起こすのか、おまえは」
グレイスが、男の子に向かって問いかける。
男の子は十四歳ぐらいだろうか。じぶんよりも小さな少女におまえ呼ばわりされたことにいささか驚いたようだったが、それでも、首を横に振る。
「そのつもりはないそうだが?」
警備員の顔に失笑が浮かんだ。
「そりゃ、そう言うでしょうけどね」
「なんの確証があって、おまえは彼がトラブルを起こすと決めつけている?」
「……旦那、頼みますよ」
ほとほと困り果てた、という調子をよそおい、警備員はマーチへと言ってくる。
召使いのしつけは旦那の仕事でしょう、つまらんことを言って天人さまを困らせるなと一喝して鞭でもくれてやってくださいよ――そういう要求が、言外に含まれていた。
マーチは、ただ肩をすくめる。
「間に入りたいのはやまやまなんですがね……あいにく、おれにはその権利がないんです。
主人は、そっちなんでね」
グレイスに向かって首をしゃくると、警備員は目を剥いて少女のすがたを見た。
マーチの主人は今度は矛先を変え、洞人の少年へと詰め寄る。
「おまえ、名前は」
「……プルートゥでさ」
「じっさいのところ、なんのつもりでここに入ってきた?」
「……昼寝をしようと思いましたんで。お嬢さま」
「お嬢さまじゃない。お嬢さまなどと呼ぶな、プルートゥ。
わたしはグレイス。単なる洞人だ。おまえとおなじ」
グレイスは少年を見すえたまま、警備員に語りかける。
「この場所で、昼寝は禁止されているのか?」
「そりゃ、禁じられちゃいませんがね」
「ではプルートゥ、おまえはなぜこの警備員の言うことに従おうとした?
おまえは、諦めてこの公園を出ようとしていたな――なぜだ?」
「なぜって……」
「やましいところがあるのか?」
「そんな、まさか!」
「では、なぜ堂々としない。胸を張って、権利を主張しないのだ?」
「……」
うつむいたまま、少年は黙りこくる。
潮時だ、とマーチは判断した。
「グレイス。ここらで終わりにしようや」
「なぜだ。なにも終わっていないのに」
「悪かったねきみたち、ひきとめたりして。これで昼食でも摂ってくれ」
握手とともに握らせた紙幣を覗き込み、警備員らは顔を見合わせてほほえんだ。
「いえいえ。子供は質問が好きなもんですからな」
「きみも。よけいな口出しをして済まなかった」
プルートゥと名乗った少年にも何枚かの硬貨を渡そうとしたマーチの手が、横合いから掴まれる。硬貨が落ち、芝生の上に音もなくこぼれた。
グレイスだった。
こちらを、にらみつけている。
「それは許さん。洞人相手には、許さん」
小声でそう言う。
「おまえもだ、プルートゥ。
この街がどういう場所か、洞人がどのように扱われているか、わたしにも分かった。
だが、納得はしない。
いいか、プルートゥ。
おまえは自由身分だ。奴隷じゃない。
なのに、奴隷のように振舞っている。それは許されない。
卑屈に振舞うな。胸を張って生きろ。
洞人であることを、誇れ」
しばらく、グレイスは少年の目を見据えた。
それから、すばやくきびすを返して、EE社のビルへと歩を進めていく。呆然としたままグレイスの背中を見送る少年のすがたをちらちらと振り向きつつ、マーチは少女の背をふたたび追った。
背を向けたまま、グレイスは語りかけてくる。
「マーチ」
「あ、ああ……」
「わたしが話すべき内容が、分かった」
グレイスの足は速く、表情は見えなかった。




