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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.2 The Fall of the Tower/崩壊

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050 とある少女の物語1

 これは、解放の物語ではない。

 これは、革命の物語ではない。

 これは、戦争の物語ではない。


 これは、恋の物語だ。

 わたしにとっては、ずっと。


 *


 胸に穿たれた穴は、灼熱し、脈打った。

 ふしぎと、痛みはなかった。


 ただ、目のまえの女の子が、きれいな目いっぱいに涙をたたえたままに崖を落ちていくのが、ひどくゆっくりに感じられた。


 ――ひどい顔。せっかく、素敵なのに。


 わたしはほほえんでいた。


 口の端から血の筋が垂れていてみっともなかったけれど、さいごに、その子の記憶に残るわたしの顔が、せめて笑顔であるように。


 崖を落ちていくすがたは見届けられなかったけれど、どこにもぶつかることなく、どぼん、という水音が聞こえた。

 あそこは、滝壺みたいに水底までが深い場所だから、きっと助かる。


 だいじょうぶ、きっと助かる。

 あなたは助かるよ。

 わたしは、ちょっとだめみたいだけれど。


 KKKの追手が、崖の底を覗き込み、なにかを仲間に叫んでいる。

 その声も、ずいぶん遠くに聞こえる。

 命がうしなわれそうになっているときって、音は遠くに聞こえるんだな。

 新鮮にそう感じた。


 ああ、とわたしは思う。

 夜の森の木々に切り抜かれた月を見上げながら、後悔する。


 あなたに、寄り添っていたかった。

 あなたと、生きてみたかった。

 抱きしめ合ったときの体温が、その熱さだけが、いのちを感じさせてくれた。

 熱だけが、ほんものに思えた。

 あなたに想われていると知って、あなたに唇を奪われて、あなたの抱えるとほうもない闇を知って、この世界がどれほど残酷で無慈悲につくられているのかを知って、それでも、生きていけると思えた。

 ふたつの魂が、抱き合ってさえいれば。


 ――なに、考えてるんだろ。わたし。


 自嘲の笑いが浮かぶ。

 神さまを裏切ってるのに、どうして、こんなに幸福を感じたりしているのか。


 でも、それももう終わり。

 もうすぐ、召されるのだから。


 ほら。

 天使さまが来た。


 KKKの追手を、悪魔たちを打ち倒して、銀色のかがやきを放ちながら、天使さまが来た。

 面頬めんぽおに隠れてお顔は見えないけれど、わたしを覗き込んでいる。

 なにかを、おっしゃっている。


「――」


 耳がもうすこし利いたらよかったのだけど。


「――」


 わたしは目を閉じて、そのしゅんかんを待つ。


 ふわ、とからだが持ち上げられる。


 *


 目覚めは、ゆっくりだった。


 一面の白さと、身をつつむやわらかさ。

 これが天国かしら、とわたしは思う。


 息を吸いこむと、胸がずきんと痛んだ。すぐに現実に引き戻される。


 白いシーツにくるまれるようにして、寝台に寝かせられているのだった。

 わたしは胸をおそるおそる覗き見る。

 ふたつの乳房に、包帯がぐるぐるに巻かれていて、その中央に薄く血がにじんでいる。

 おそらく意識をうしなっているあいだに、傷が縫われ、何度か包帯も取り替えられていたのだろう。

 的確な治療を受け、一命をとりとめたのだ、と気がつく。


 生きていた。

 理解したしゅんかんに、ものすごく喉が渇いていることに気がつく。我ながら現金なものだ。


 寝台の横には、水差しが置かれている。

 飛びつくようにしてそれを手に取るが、注ぐためのグラスは見当たらない。


「……私なら、水を飲むまえにお医者さまにうかがいますね」


 女性の声だった。

 振り向くと、ずいぶん遠くでドアを開いたばかりといった様子のメイドが、こちらにトレイを持ってくるところだった。


「胸の傷は怖いのですよ。水を飲んだせいで、死ぬ人もいます。

 ……あなたはだいじょうぶだと、ポッターさんが請け負ってくださってますけどね。

 朝食です」


 トレイの上には、オートミールのかゆと、オレンジジュースのグラスが置かれている。

 粥はまだ湯気を立てていた。

 くっきりと空中に尾を引く湯気を、見るともなく見る。


「……わたしは、生きているのですね」

「胸を刺されていたのに、うまく心臓を逸れていました。

 主に感謝なさいね」

「あの、天使さまは?」

「天使さま? ……ああ、旦那さまですね。

 あなたをこの屋敷に置いて、また急ぎ出ていかれましたよ。

 まったく忙しないったら。

 ああ。言いそびれておりましたが、ここは旦那さまのお屋敷です。

 KKK連中には特定されていない『駅』のひとつですから、

 安心して療養なさい」


 では、あの天使さまは地下鉄道ザ・レイルロードの構成員であったのか。

 わたしは脱力する。


 すると、粥がいかにもおいしそうに見えてきた。

 匙を手に取った。


 *


 メイドとして働きはじめた。

 ハンナとポッターさんに相談し、お屋敷に置いていただくことになったのだ。


 おじいさまはKKKに襲われ行方知れずとなっていたし、カナンの地へ逃がしてもらうにしたって頼りはない。

 ほかにやるべきことも見つからなかった。


 さいしょの頃は、ごくあたりまえのメイドの仕事ばかりをこなした。

 広いお屋敷のいたるところを掃き、銀食器を磨き、調度品の埃を払い、本を虫干しした。

 やるべきことは無数にあって、おかげで、気をまぎらわせていられた。


 だが、ふとした拍子に、物思いは忍びよってきた。


 あなたのことを、思い出していた。


 生まれて初めて迎えた、『乗客』だった。

 だから特別に感じているのだと、じぶんでは思い込んでいた。

 それが違うと分かったのは、名付けようのない磁力に引かれていると分かったのは、口づけをされてからだった。


 女の子だった。

 あなたも、わたしも。


 そんな常識をすいっと飛び越えてみせて、あなたはわたしを見つめた。

 あのまっすぐな黒い瞳で、見つめた。

 それで、わたしはいままでに身につけたすべての倫理、すべての良識を、投げ捨ててしまえることに気がついた。

 手を繋がれているとき、このままどこかへ連れ去ってもらえたら、とわたしは何度も願った。


 でも、違う。

 あなたは逃げてきたのだ。くらい運命から、むごい宿命から。命ひとつを手にして、ただえんえんと駆けてきたのだ。

 深く、深く、傷つきながら。


 わたしが要る、と思った。あなたが立っていられるために。

 あなたが要る、と思った。わたしが立っていられるために。

 しがみつきながら、抱きしめていた。

 抱きしめられながら、しがみつかれていた。

 震えたからだで、ただ、互いの熱を分かちあった。生きるために。


 あのときのことを思い出すと、いつも身が震えた。

 小刻みに肩が震えだし、止まらなくなった。

 あたたかな屋敷のなかにいるというのに、まるで雪の中に裸で放り出されたみたいだった。


 わたしとあなたは、寄り添っていなくてはいけない。

 寄り添っていなくてはいけないのに、離れている。

 その事実が、底冷えを生み出していた。


 わたしは身の震えを同僚に悟られないよう、うずくまるようにして仕事をつづけた。


 そんな日々がつづくうちに、旦那さまが帰ってきた。

 お礼を申し上げ、お声を掛けていただき――そのとたんに、あの悲報が届いた。


 主要駅メインステーションが、襲撃された。


 旦那さまはポッターさんを伴いすぐに出動され、それから、おおくの傷ついた駅員たちが大挙して屋敷に現われた。


 屋敷は野戦病院へと作りかえられた。

 きれいに磨かれた床に血が流れ、高級な調度品には包帯や消毒液が山のように積まれた。

 わたしたちメイドは、看護婦となって眠る時間もなく働いた。

 めまぐるしいほどの、忙しさ。


 旦那さまがじきじきに連れてこられた、地下鉄道ザ・レイルロードの幹部の方々に、挨拶をする余裕もなかった。

 手当てを待ちながら苦悶の声を押し殺している人びとをまえに、待ってくれなどと言えるはずもない。

 不眠不休の数日が慌ただしく過ぎていった。


 *


「集会、出なくてよかったの?」


 ハンナが水差しを取り替えながら、そっと言う。


「あなた、もともと駅員なんでしょう?」

「駅員なんて言っても、祖父と二人きりの駅でしたから。

 わたしなんかが出たって、意見を申し上げることもできませんし。

 それより、まだ苦しんでる方がいらっしゃるのですから」


 ようやく寝付いた怪我人の額に浮かぶ汗の粒を、ぬぐう。


 駅員は全員参加のこと……とのお達しではあったが、もちろん、集会に出られるような体調ではない人も大勢いる。

 寸刻も目を離せないひとも何人かいたから、残ることに躊躇はなかった。


 たくさんの汚れ物を籠に満載して、中庭の井戸へと移った。

 周囲にだれもいないことを確かめてから、ハンナが声を低くした。


「……今回はたぶん、よくない話になるわよ」

「よくない話、ですか?」

「ポッターさんたちが話しているのを、偶然小耳に挟んだの。……地下鉄道ザ・レイルロードは、たぶん、おしまい」

「そんな」

「マザーが、行方知れずなの。……ご存命だって信じたいけれど、あのご高齢で、『絶望の魔法使い』と戦ったのよ。ご無事とは、思えない」


 マザー・旧い馬車オールド・チャリオットと、わたしは会ったことがない。

 しかし、その声は知っている。

 この国に暮らす洞人ドワーフならばだれでも、夢の中で、幾度も聞いたことがあるはずだ。やさしい、落ちついた、昔話を語るような口調の、老女の声を。


 あのひとがいるかぎり、地下鉄道アンダーグラウンド・レイルロードは揺るがないと言われていた。

 では、あのひとがいなくなったとしたら?


地下鉄道ザ・レイルロードが、終わる……?」


 洞人ドワーフの希望が、最後の救済が、ついえる。


 それが、どれほど重い意味を持つことか。

 奴隷の身分に甘んじさせられているすべての洞人ドワーフにとって、地下鉄道アンダーグラウンド・レイルロードという名がどれほどの光明であったことか。


 水をくぐらせた包帯の端を、思わずぎゅっと握りしめた。


「……いま、下ではその話をしているんでしょうか」

「……たぶんね」


 ハンナも、目を落とす。


 しばらく、会話をつづけることができなくなって、わたしたちは包帯の洗濯に集中した。

 たらいに開けた井戸水のなかに、血を含んだ包帯を入れ、押し込むと、水がしだいにピンク色に染まっていく。

 たらいのなかは、じきに赤黒く変色していった。


 風が吹いた。

 ひっつめにまとめた髪が幾筋か、こぼれ落ちた。


 ――と。


   もう、やめだ。

   もう、終わりにする。

   わたしたちの非暴力を、終わりにする。


   虐げるものたちを、虐げてやる。

   踏みつけるものたちを、踏みつけてやる。


   この大地を、

   黒く、

   黒く、

   塗りつぶしてやる。


 声が、聞こえた。


 耳打ちされたかのように、間近に聞こえた。

 憤怒の感情が流れ込んできた。

 怒りはやがてわたしの困惑を包み込み、得体の知れない憤りが代わりに吹き上がった。


 数秒間、炎が視界を真っ黒に染めていた。


 やがて、

 感情がわたしの支配下へと戻ってくる。


「――いまの」


 ハンナが、耳を押さえていた。

 聞こえていたのは、わたしだけではなかったようだ。


「いまの、ノモよね。……マザーの。

 でも、マザーの声じゃなかった……」


 ハンナの疑問に応える余裕が、わたしにはなかった。

 声に、どうしようもなく聞き覚えがあったからだ。

 知っている女の子の声にしか、聞こえなかったからだ。


 わたしは立ち上がり、空を仰いでいた。


 これは。

 この声は。


「――あなた、なの?」

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