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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.2 The Fall of the Tower/崩壊

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049 黒い炎

「マザーが死んだから、それがどうしたんだ」


 もう一度。

 先ほどよりも感情を剥きだしにした声で語りながら少女が、一歩、二歩と、進み出る。


 グレイス。

 グレイスだった。


「グレイス……?」


 たしなめるような、あるいはたしかめるようなヘスターの声を、少女は歯牙にもかけない。


「なにも終わらない。なにも終わっていないでしょう。

 むしろここから始めなくちゃならない。反撃を。復讐を。

 わたしたちは、長を殺されたんだ。

 なぜ、怒らないの。

 なぜ、憤らないの」


 グレイスは両腕を開いて、ぐるりと身を回しながら、その場にいるすべての人間を指し示す。


「なぜ、だれも怒っていないの?」


 舞うような動きが、静止する。

 決然と。


「運命を呪ったり、嘆いたり、泣きわめいたりするばかり。なぜ、怒りを燃やさないでいられるの?」


 少女のおおきな瞳が、らん、と輝く。

 獲物を見いだした肉食獣の眼のように、ひとところに据えられる。

 駅員の、ひとりだ。さきほど手を挙げて発言した壮年の駅員だ。


「あんた」

「……っ」

「あんたは、怒らないの? 天人ヒューマンどもを殺してやりたいと、目にもの見せてやりたいと、思いはしない?」


 面食らっている。

 まさかじぶんが()()()()なんて思いも寄らなかったという顔で、しかし目を逸らすことはできないでいる。


「しかし、そんな……」

「『そんな』、なに?」


 年端もいかない少女に、かんぜんに気圧されている。

 この地下鉄道アンダーグラウンド・レイルロードにおいて、いくつもの修羅場をくぐりぬけてきた熟練の駅員が、である。

 まるで蛇に睨まれた仔兎のようだ。


「それは、獣の考え方よ。グレイス」


 割って入ったのは、ヘスターである。


「牙に対して牙を以てするのは、人間以下のやりかた。

 私たちは、正しいやりかたで戦わなければ、意味がないの。

 報復や憤怒、憎悪を恣意のままに振るってしまえば、KKKと変わらなくなる」

「それの、なにが悪いの?」


 間髪入れず、グレイスがそう返す。

 ヘスターが口ごもる。理解が追いつかないようだった。


「逆に訊くよ、ヘスター・プリン。

 いままさに牙があなたを引き裂こうとしているとき、あなたは獣を相手に対話を望むの?

 ことばの通じない相手を、説得しようとする?

 では、目のまえで幼児が襲われていたとしたらどう?

 幼児の手には、ナイフがある――それを、あなたはあくまで振るうなと言うの?」


「それとこれとは話が違うわ……」

「同じだよ、ヘスター・プリン。

 洞人ドワーフがいま立たされているのは、そういう局面。

 洞人ドワーフがいま突きつけられているのは、そういう選択。

 なぜ、分からないの?」


 しん、と。

 広間のなかが静まりかえっている。


 いまや、涙に暮れるものはひとりもいない。

 この場にいる全員が、少女のことばに耳を傾け、目を逸らしている『シスター』と、あくまで真正面から目を見据えようとしている少女のすがたを、固唾を飲んで見つめている。

 目の前で起きはじめているなにかを、見逃すまいと努めている。


 マーチは反射的に恐怖を感じた。

 この場の雰囲気が、支配されはじめている。この少女によって。たった数分間の発言によって。

 なにか取り返しのつかない現象がはじまりつつある事実を、じぶんがとうてい制御しきれない空気の揺らぎを、マーチは恐れた。


「口が過ぎるぞ、グレイス」


 だから。

 月並みな、大人のような顔をとっさに取りつくろっていた。


「なにが?」

「冷静になれ」


 重ねることばには、中身がない。

 とにかくこの不自然な風向きを断ちたいという、ただその一心でしかない。


「冷静? わたしは、この上なく冷静だよ。

 うろたえているのはあなたでしょう、フレデリック・マーチ」


 そして。

 中身のないことばを、少女は許容しない。容赦しない。


「口が過ぎるって、どういう意味?

 ()()()()()()()口が過ぎる?

 ()()()()()口が過ぎる?

 ()()()()()()口が過ぎる?

 それとも、()()()()()()口が過ぎる、ということ?」

「おい! いい加減にしろ!」


 怒声がほとばしっていた。

 聞くも空しく上擦った声は、地下空間のなかで幾重にも反響した。そのそらぞらしさを糾弾するかのように。


 グレイスはため息をつく。


「お願い、フレデリック・マーチ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()


 幼児に語りかけるようなゆっくりとした口調だった。


「わたしは()()を求めているの。

 大きな声で意見を封じ込めようとしないで、()()()()()()()()()


 怒りを噛み殺した口元に、マーチは怯えた。

 叱られた子どものような心地だった。


「それよりも、わたしの疑問に答えて。

 なぜわたしたち洞人ドワーフだけが、このように堪え忍ばなくちゃならない?

 天人ヒューマンは暴力を使う。

 ヘスター言うところの、()()()()()()をもって、わたしたちを支配しようとしてくる。

 それに対して、なぜわたしたちは暴力で応えてはいけない?

 なぜ、『人間らしいやりかた』を徹底しなければならない?

 その『人間らしさ』は、『奴隷らしさ』と、どう違うの?」


 グレイスはことばを切る。

 マーチの返答を待っている。自身がそう述べたとおりに、対話をしようというのだろう。


「心に、自由がある」


 ともすれば真っ白になりかける頭のなかから、古い議論の切れ端を、ようやくのことで引っぱりだした。


「人間らしい方法を選ぶとき、おれたちはひとつの選択肢をみずからの意志で選び取っている。

 恐怖や怒りに駆られてナイフを手に取るのではなく、それをみずからの意志で置く。

 それこそが、自由意志だ。

 心が鎖で繋がれていない証拠だ。

 奴隷らしさとはまったく異なる」


 かろうじて、言い切った。


 グレイスは、マーチの目を見据えている。

 その奥の揺らぎさえも、見通されているようなきぶんに、マーチは陥った。


「フレデリック・マーチ。

 あなたは、かつて奴隷だったことはある?」

「……その質問に、なんの意味がある」

「答えてほしい。あなたは、奴隷だったの?」


「……囚われた経験がある。そこで、奴隷として扱われた」

「それは捕虜だよ」


 一蹴だった。


「奴隷とは、だれかに所有権を握られ、単なる財産として扱われる状態を指すの。

 ヒトではなく、モノとして扱われることを指すの。

 こういう身分だったことは、ある?」

「……ない」


 グレイスが視線をめぐらせる。


「ヘスター・プリン。あなたは?」

「……ないわ」

「ミスター・ポッター。あなたはどう?」

「ありませんな」


 ふたたび、グレイスの視線がマーチのもとへ戻ってきた。


「わたしは、ある。

 わたしは、奴隷だった。

 ここにいる、多くの洞人ドワーフたちとおなじように」


 両手を広げたグレイスは、駅員や乗客のひとりひとりと目を合わせていった。

 目の合った洞人ドワーフたちが、グレイスにうなずきを返していく。

 まるで契約を結ぶように。


「奴隷ってね、絶えず肉体がだれかに所有されつづけるということなんだよ。

『心の自由』と、さっき言ったよね。フレデリック・マーチ。


 心だけで言えば、すべての奴隷はもともと自由なんだ。

 精神だけは、だれにも所有されないから。


 そして、それこそが――奴隷制において、もっとも残酷なことなの。


 自由な心を持っているのに、肉体は束縛されつづける。

 精神はじぶんのものなのに、肉体は他人に奪われつづける。


 そして、感情は肉体に従属するものなんだよ、マーチ。


 涙や慟哭を許されぬ哀しみや、大声や拳を許されぬ怒りは、昇華や消化のしようがないまま心の奥底へ吹きだまっていく。

 おりとして、沈殿しつづける。

 その澱が水面を超えてしまいそうになると、奴隷はどうするか知ってる?


 くびれるんだよ、みずから。


 地獄に落とされると分かっていて、自死を選ぶの。

 そうするしかないから。

 生きていられないから。


 おのれを殺すことを、自由意志の発露と呼ぶの?

 ナイフを置いて、獣の牙に身を委ねることを、人間らしさと呼ぶの?

 だとしたら、死んだ洞人あのこたちは『自由な人間』なんだろうね。

 だとしたら、生きのこった洞人わたしたちは、『不自由な奴隷』なんだろうね。


 あなたの言に従うのなら、ね。


 これが、奴隷だよ。

 これが、奴隷が強いられている生き方なんだよ、フレデリック・マーチ。


 あなたたちがこの地下鉄道ザ・レイルロードで強いているものも、これと同じ。


 あなたたちは、()()()と言う。かつてのわたしたちの主人と同じように。

 あなたたちは、()()()と言う。かつてのわたしたちの主人と同じように。

 あなたたちは、()()()()()()()()と言う。かつてのわたしたちの主人と同じように。


 そして、()()()()()()()()()()、と言うんだね」


「…………」


 返すことばなど、なかった。

 論理の穴がどうこう、という次元の話でさえも、なかった。

 もはやこの子が語る絶望を、すべての奴隷たちが直面した現実を、体重の乗っていないことばで圧し潰すわけにはいかなかった。


 黙っているしか、なかった。


「ねえ、フレデリック・マーチ。

 わたしはあなたが好きだよ。


 この地下鉄道ザ・レイルロードが好き。

 希望にあふれた乗客たちの顔を見るのが好きだし、

 正しい物事のためにみずからを捧げつづける駅員たちの汗が好き。

 意志の力で築きあげられた、あのすばらしい主要駅メインステーションが好き。


 すごく、好きだったんだ。


 けれど。

 わたしが好きだった人たちは、死んだ。

 わたしが好きだった場所は、壊された。

 わたしの好きだったものが、また、奪われていった。


 わたしは許さない。

 わたしは許せない。

 わたしは許さない。


 KKKを許さない。

 天人ヒューマンを許さない。

 奴隷制を許さない。

 連合国を許さない。

 屈辱を許さない。

 虐待を許さない。

 差別を許さない。

 別離を許さない。

 失望を許さない。

 蔑視を許さない。

 哀哭を許さない。

 そして、すべての諦観を許さない。


 怒りを、

 ただ怒りだけを、

 肯定する」


 なにかが、閾値いきちを超えた。

 なにかが途切れ、代わりになにかがつながれた。


 ふいに燃え上がるようなほのおが、幻視された。

 見つめていた少女の影に重なるように、目がくらむようなかがやきと、全身の血が沸き立ったような熱量が、マーチのからだ目がけて襲いかかってきた。


 ほのおは、憤怒だった。

 この少女が抱き、この場のすべての洞人ドワーフへ伝播し、その感情すべてを燃料として吹き上がった、純粋な怒りそのものだった。


   もう、やめだ。

   もう、終わりにする。

   わたしたちの非暴力を、終わりにする。


   虐げるものたちを、虐げてやる。

   踏みつけるものたちを、踏みつけてやる。


   この大地を、

   黒く、

   黒く、

   塗りつぶしてやる。


 ノモ、だった。


 すべての洞人ドワーフたちが、おなじ声を聞いていた。

 耳元でささやかれるがごとく、おのれの胸郭にひびくがごとく。


 ――マザー。


 気づくと、少女のまえにひれ伏していた。

 はじめてオールド・チャリオットに出会ったときのように。


 周囲で、すべての洞人ドワーフがおなじくひざまずいているのが分かった。

 おのれの身のうちに、いまや共有物となった憤怒のほのおを燃やしながら。


 ――マザー・グレイス。


 だれかが、呟いた。


 やがて――

 だれもが、呟いた。


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