046 落下
スカーが身をひるがえす――動作の途中で筆杖をふるい、振り向いたときにはすでに授文がかがやいている。
赤く染まった文章がまたたき、炎が現われる。
その時点ですでに、スカーの視界に声の主のすがたは映っていなかったはずだ。
身を低くして、視界から逃れていたのだ。
声の主はすべるように床を蹴り、まるで蛇が這うようなすばしこさでKKKの真述師三名をいなすと、彼ら三人へ向けて銀色の盾をかざしている。
いっしゅんまえまで、影も形もなかった盾を。
わたしは朦朧とする意識のなか、なにが起きたのかを見ていた。
銀色の甲冑をまとったその男は、たゆたう湖面のように波打つ同色のマントを、広げたのである。マントはそれ自体が意志を持つ粘性生物であるかのように、身をよじらせ、男の手のひらのまえへするりと移動すると――瞬時に円形を形づくり、銀の盾を出現させたのだ。
盾が、炎や氷を受けたしゅんかんに体積をぐっと増し、すべての攻撃をその内側へのみ込むようにして防いでみせた。
「よっ」
のんきな掛け声とともに、甲冑の男がなにかを壁面へ向けて投擲した。
壁面へと転がっていったそれは、金属製の、手のひらににぎり込んでしまえるほどの球体だ。床面に跳ね、かん、かん、と硬質な音を立てた球を覆うように、ふたつめの銀色の盾がすべり込んできた。ちょうど壁面に皿を押しつけるような恰好で、静止する。
「衝撃、くるよ」
いっしゅんのちに、くぐもった爆音が響き、わたしたちの足元で床面が震動した。
銀の皿状の盾がどけられると、そこに穴が開いていた。
吹き込む風の音がすさまじい。
青々とした空と、雲の切れ端が穴からうかがえた。
銀の皿が、収縮する。
鞭のように細くなった銀色が、わたしたちの腰へとそれぞれ巻き付いた。
ヘスターが目を丸くし、マーチがからだの痛みに顔をしかめ、セイラが表情を青ざめさせるのが分かった――つぎのしゅんかんには、全身を浮遊感がつつんでいた。
「――っ!?」
激しい混乱に、声にならない声が漏れた。
わたしたちは、穴から空中へと無防備に放り捨てられたのである。
仲間じゃなかったのか。救出にきたわけじゃなかったのか。さまざまな問いがちりぢりに脳内を駆けめぐるなか、穴の向こう側で、男が面頬越しにこちらを見ている。表情はとうぜんうかがえない。
甲冑の男はいちど、向こう側の敵を振り向いた。
「では、お先に」
うそぶいて、みずからも虚空へと身をおどらせた。
銀色の鞭が、ふたたび宙でしなる。
落ちつづけているわたしたちのからだを、また引き寄せ、腰のところで縛り上げる。藁でくくられた薪のきぶんだ。
そこに――巨大な、銀色の鳥が出現した。
いや、鳥ではない。
よく見れば、その肌は羽毛ではなく、男が身にまとう甲冑と同じ、鏡のように磨き抜かれた銀でできている。両翼を広げたままに空中に静止しているさまは、まるで天井から吊るした骨格標本のようだ。ハチドリであっても、ここまで静止したままに空中浮遊をつづけることはできないだろう。
飛行機械だ、と直感する。
さきほどマーチに見せられたエジソン社のものもすさまじい技術の粋だと感心したが、この機械はものが違う。空中に浮いている仕組みがいっこうに想像できない。
銀の飛行機械は、鞭に束ねられたわたしたちを下方で待ち構えていた。
硬質な銀色が、わたしたちのからだを受け止めると同時に、どろりと溶ける。粘性の沼に飲み込まれるように、生ぬるい不快感が全身をつたう。わたしたちのからだは飛行機械のなかへと取り込まれていった。ようやく床面に着地すると、わたしは瞬時にからだを起こし、構えた。
しかし、予期した攻撃はこない。
内部は、外観からは想像もできないほど緻密な機械たちがひしめき合う空間を為していた。
硬質な床面を除き、天井や壁面はすべてガラスのように透明になっており、外がそのまま見通せるようになっている。「カジキ」の肌面にさきほどの穴がぽつんと開いているのも、そこから悔しげな顔をのぞかせたスカーらが筆杖を突き出しているのも、その先からほとばしった炎や氷が透明な壁面に阻まれて雲散霧消していくさまも、見えた。
飛行機械の前方には古風な執事服をまとった白髪の天人がいて、操縦桿らしき円環へと手を掛けている。
「ようこそ、『コシュタバワー』へ」
と。
ふたたび天井から、なにかが落ちてくる。
さきほどの甲冑の男であるらしい、ということは分かったが、飛行機械の天井をどろりと抜けてくる男の恰好は、すでに仕立て服をまとった紳士のすがたに変わっている。というより、銀色の甲冑そのものが、飛行機械の天井へと溶け込んでいっているらしい。紳士はすとんと長い脚で着地する。
若い天人の青年だ。
青年は、後ろに撫でつけていた金髪をささっと掻きみだすと、慣れたようすで設えられていた椅子へと腰を下ろす。青年は靴と靴下を乱暴に脱ぎ捨てながら、執事服の老人へと告げた。
「出してくれ、ポッター」
「かしこまりました」
操縦桿が引かれる。
すさまじい速度で飛行機械は踵を返すと、飛行機械は「カジキ」から離れていった。
*
その後――執事服の老人にかんたんな手当てを受けながら、この青年こそが地下鉄道最強の『武装車掌』、トム・ソーヤー本人であることを、聞かされたのだった。




