042 巨人の睥睨
グレイスの身のさばきは、天性のものだ。
セイラの目から見ても、衆に秀でたものが見受けられた。
正式の武術など習っていないはずなのに、勘がいい。身を低くして懐に飛び込み、真述の射程をうまくかいくぐっている。判断が早く、迷いがない。からだの隅々まで意識がゆきわたり、どう動くのがもっとも効率的かを瞬時に見さだめられている。
対する真述師は両名とも、そうとうの訓練を積んでいるはずなのに、詠書の速度がまるで追いついていない。グレイスの手斧を向けられれば避けるのが精いっぱいとなり、もうひとりが攻撃されている隙に筆杖を走らせることで、かろうじて反撃の糸口をつかんでいる、というありさまだ。
押している。
おそるべきことに。
これが、『驚嘆すべき少女』か。
セイラの脳裏に、KKKによってつけられた異名がよみがえった。トムが語っていたのだ――この少女を救出したとき、教会のただなかにいた十数人の男たちは、みな手斧で斃されていたのだと。筆杖で武装し、奴隷追跡人をみずから任ずる成人した男たちが、十数人である。それを、たったひとりで打倒してみせたのだという。
いま、このように闘っているさまを眺めてみれば、疑問は雲散霧消する。
まちがいなく、この少女がやってのけたのだ。たった一振りの手斧で。
「――ちっ」
赤髪のほう、スカーが舌打ちを漏らして、ふたたび髪を編んで引き抜いた。振りかぶられたグレイスの斧を避けつつ、空中浮遊した髪箒へと飛び乗った。銀髪のアナベルも、おなじように中空へと逃げる。
こうなると、戦況は一変する。
手斧の短いリーチでは、空中一〇フィートの位置に陣取る真述師には、攻撃が届かない。対する真述師のほうは、攻撃をふせぐことに気も取られず、ゆうゆうと筆杖を振るえるのだ。小銃がなければ、この圧倒的優位をひっくり返すことはむずかしい。
「くっ」
グレイスが、身を投げるようにして、かろうじて炎と氷とを避けた。
この真述師たちは、おそらく契約真述師だ。
そうでなければ、かくも巨大な炎や氷を生み出せるはずがない。
契約真述師とは、六属性――月、火、水、木、金、土のいずれかの聖霊に、誓いをささげている真述師を指す。
ほんらい、真述によって歪められた法則は、世界の矯正力によっておおよそ六秒後には自浄される。生み出された炎は消え、氷は溶け、水は蒸発する。そのため、たとえば真述で起こした炎を保ちたければ、もともと燃焼しうるものに火を移しておかねばならない。
しかし、聖霊と契約を行なった真述師の場合は、ことなる。矯正力によってかき消されるまでの猶予時間が、おおよそ六〇秒へと飛躍的に延びるのだ。かつ、生み出される現象も強化される……炎はよりたかく燃え上がり、氷はより冷たく凍てつくのだ。その代わり、契約を行なったものは、きびしい戒律を守らねばならなくなるのだというが、それがどういったものであるのかまでは、セイラは知らない。
――重要なのは、契約を行なった真述師は手ごわいということだけだ。
セイラのまえに、グレイスのからだが転がってくる。
擦り傷と火傷が、皮膚のいたるところにできていた。お構いなしに、グレイスは跳ね起き、すぐに真述師たちをにらみつける。セイラはとっさに、抱えていたフレデリックのからだをヘスへと押しつけ、グレイスを庇うようにまえに立ちはだかった。
炎が、セイラの頭にかぶさった。
「セイラ!」
「黙っていたことが、三つあるんだ。グレイス。
一つ、ぼくは女の子じゃない」
髪をむしりとって、グレイスへ向き直った。
グレイスが目を剥くが、セイラが手にしているのがほんものの髪ではなく、つくりものだと気づいたようだ。燃えさかるウィッグを放り捨て、セイラは短く刈られた頭を撫でた。
「二つ、ぼくは洞人じゃない」
顔をつるりと撫でた。
皮膚の色が、洞人らしい褐色から、そばかすの散った黄色へと変わる。母が持っていたらしい極東の、凹凸のすくない顔立ちが、露わになる。決して気に入ってはいないが――セイラの生まれ持った顔だ。
「三つ、ぼくはひとりじゃない」
広げた両手のひらから、影が湧き出した。じわじわと浸食するように肌を這いのぼってきた影が、セイラの痩せたからだを骨格とし、まわりに筋肉をかたちづくっていく。手足がともに長さを増し、幾重にも塗り固めるように、影が隆々たる筋骨をつくりあげていく――数秒後、セイラの肉体は一〇フィートを超え、巨人ゴリアテのような堂々たる偉丈夫へと、化けた。
セイラが瞑目する。
「頼んだよ、ジム」
意識を、手放した。
瞑目したセイラの顔を、影が覆う。狼を戯画化したような獰猛な表情の仮面が、すきまなくセイラの顔を覆った。全身が真っ黒の、巨人が完成する。
見上げるような背丈の巨人は、グレイスのはるか頭上で、舌を出して笑う。
「おうともさ、ハック」
巨人が咆哮する。
ふたりの女真述師へと向き直ると、髪箒に乗ったまま驚愕の表情を浮かべる彼女らを、丸太のような腕で薙ぎはらった。地表へ倒れ込んだ真述師たちが、すぐに筆杖を走らせ、炎と氷とを呼びだす。
両腕を盾に、巨人が真述の攻撃を受け止めた。
へいぜんとしている。
「ここはぼくとおれとが引き受ける。先へゆけ」
我にかえったらしきグレイスが、ヘスとともにフレデリックのからだを抱え上げ、龍の頭を目指して走り出した。追撃をしようとするスカーを、拳を飛ばして防いだ。
セイラ――ハックが、ジムの頭のなかに声をひびかせる。
――トムがくるまで、ぼくたちで保たせるよ。
――あの野郎が来るもんかよ。ここを上空何フィートだと思っていやがる。
――くるよ。トムだもの。
――ああそうかい。好きに信仰してやがれ。
ジムは応え、ふたたび固めた拳を地面へと叩きつけた。
氷の真述は詠書の途中で防がれ、緑色のかがやきが雲散霧消した。




