041 歯と髪
つんのめるように、ただ走った。
マーチはすこし、意識をとりもどしていたが、その体重をひとりでささえるまでにはまだ至っていない。この男は長身にしては軽いほうなのだろうが、セイラとわたしで支えるには、一八〇ポンド近い重さは手に余るはずだ。しかし意外なほどに速く進むことができていた。
セイラのほうが、かなりの体重を負ってくれているのだ。
ほっそりとした少女らしい体躯に見合わぬほどの膂力を、この子は備えているらしい。疑問はかずおおく浮かんだが、そのすべてを振りはらった。いまはよけいな夾雑物を思考にまじえている余裕がない。生き延びたあかつきには、ゆっくりと話を聞かせてもらおうと、わたしは決め、先導するヘスの背中へと視線を戻した。
大広間を超えて、点検時に駅員が出入りするだけの無骨な鉄扉をひらく。
なかの通路は、配管がむき出しになった空間だ。いくつもの計器と配管とがところせましと詰め込まれ、ときおり水蒸気を吐き出している。ひとの腹をひらいて臓腑をのぞいているような感覚だった。
鉄扉をひらき、通路へ。
また鉄扉をひらき、通路へ。
何回もそれをくりかえすごとに、無機的だった通路が、しだいに肉の色に変わっていく。巨大な龍の内部にいるのだと、いまはじめて実感させられた。
――と。
左手の扉がとつぜん、ひらいた。
とっさの判断で、マーチの肩口を放りなげるように下ろすと、這入ってきた男へと手斧を振るう。手斧の刃が、吸い込まれるように額を断ち割った。
血しぶきに染まった三角帽が落ちる。
勢いを殺さず、からだを低くしてぐるりと一回転する。つづいて現れた真述師が首を引いたせいで、喉は裂けなかった。
「くっ」
かろうじて避けた真述師が、筆杖のさきをこまかく振るように詠書をはじめた。体勢を立てなおすより先に反撃をしようとするのは、さすがの練度だ。
だが、わたしの第二手のほうが速かった。
首を引き、ほとんど後方に倒れこむようにのけぞっている真述師に、わたしは飛びついた。斧頭に手のひらをあてがい、敵の顔めがけて、全身の体重を乗せて突っ込む。斬るというよりはぶつけるようにして、顎の骨ごと、喉をつぶした。
噴き上がる血が、顔にぶつかった。ぬるくどろっとした液体を、乱暴に二の腕で拭い去った。
「先を急ごう」
ぼうぜんとしているヘスに、言った。
つぎの鉄扉にたどり着くまで、妨害には遭わなかった。さいごの扉は、これまでのものに数倍する大きさになっていた。ゆうに二〇フィートを上回る高さで、南京錠が付けられている。ヘスが鍵束から鍵を探そうとするが、わたしは手斧で叩き割った。どのみち、鍵など掛ける機会はこの先ないのだから、ご丁寧に規則をまもる必要などない。
体重をかけて、扉を押しひらく。
風が吹き込んだ。扉の重さの一部は、吹きつけてくる風の重みだったのだと気づく。広がっていた空間は、想像を超えて広い。
「『カジキ』の、喉元よ」
ヘスが言う。
「……私も、ここに来たのははじめて」
天井までの高さは、おおよそ一〇〇フィートを超えているだろう。
肉がひだをつくりながら、数百歩向こうまでつづいている。しかしその中途で、天井に穴が穿たれていた。白い板のようなものが、道を半ばまでさえぎっているのだ。
「……あれは?」
「歯、に見えるね」
セイラがわたしの呟きに応えた。
「とほうもなく巨大な生き物の、歯だ。……この『カジキ』に比べれば、まだまだ小さいけどね」
「龍、か」
ようやく気がついた。
これだけの上空に、どうやってKKKがたどり着いたのか、疑問だったのだ。答えは、龍だった──KKKは、巨大な龍に乗って、雲を抜け、この『カジキ』まで飛んできたのだ。そして喉元へと噛みつき、穴をつくって侵入した。
自律して飛行可能なのだとしたら、その龍は、生きていると考えるのが妥当だろう。驚くべきことに、KKKは龍までも飼い慣らしているのだ。
「さいわい、通るのには問題ないみたい」
ヘスが、龍が噛み付いた箇所を指さした。
「通してくれるかどうか、分かんないけどね」
セイラが肩をすくめる。
「ぼくたちが脇を通り抜けようとしたとたん、ぱくり、とひと口で呑み込まれちまうかも」
「それでも、行くしかないわ。……ごめんねマーチ。つらいだろうけど、ちょっと目を醒まして。あそこを通らないといけないの」
マーチがうなり声をあげる。
その声を肯定と取って、わたしたちはおそるおそる歩きはじめた。
なるべく、振動を立てず、音を出さず、ゆっくりと歩をすすめていく。歯へと近づいていくと、噛みちぎられた肉の跡から、上空の荒れくるう風が吹き込んでいるのが分かった。そちらに視線を向けると、龍の顔を覗くことができた。
鋭い、流線型の顔をしていた。
片側だけで三つの赤い目が並び、鋼のように艶のある黒の羽毛が、全身をくまなく覆っているようだった。遠目にぜんたいを見ることができたなら、おそらく、巨大な鴉のように見えるだろう。
とつぜん、ぎいいいいい、という音が鼓膜をはげしく震わせた。
龍が、歯ぎしりをしたらしい。マーチに肩を貸しているから、耳をふさぐにふさげない。歯を食いしばって、耳をつんざく反響を、ただ耐えた。
と。
歯ぎしりの音とは異質な爆音が、加わった。
天井を見上げると、黒ずんだ煙が湧き上がっている。穴が穿たれていた。影がふたつ飛び込んでくる──赤髪と、銀髪のふたり組だ。天井から降りてくると、床から数フィートの位置に浮遊したまま、静止する。
「ようやく見つけたわ!」
赤髪が笑った。
ふたりの長かった髪が、いまは肩口までの短さに揃っている。足元で彼女らの空中浮遊をもたらしているのは、髪をねじって束ねたような棒状のものだ。ちょうど、三つ編みにした髪をそのまま引き抜いたような形状である──そして、それはじっさいのところ、そのように生み出されたものだ。
髪箒、である。
真述師は、髪に真緑の多くをたくわえていると言われる。それゆえ、真述の使用頻度が高い南部貴族のほとんどが、髪を長く伸ばしている。この髪をねじり、引き抜くと、巨大な筆杖のようになる。東洋のフデと呼ばれる筆記具が、このように束ねた毛に墨をつけて使われたところから、名前をとっているようだ。
真緑をたっぷりと含んだ髪は、ちょうど龍の鱗にある繊毛と同じように、空中浮遊の授文を書きつづけることができる。真述師はこの髪箒に乗って、空を飛ぶことができるのだ。
赤髪と銀髪が、ゆっくりと床に降り立った。
手に持った髪が、しゅるしゅるとほどけて、女真述師たちの毛先へと戻ってゆく。ふたたびゆたかに波打つ長髪を取り戻した二人が、筆杖を取り出した。
「あなたたちがここにいるってことは──マザーは?」
「とうの昔に、おっ死んだわ」
ヘスの問いに応えて、赤髪が言う。
「そう言えたら、よかったのですけれどね」
銀髪が言う。
「ざんねんながら、まだあの老女は健在です。まだ、大魔導師と闘っております。おかげで、私たちもとんだ回り道を強いられましたの」
わたしたちの間に走った緊張が、それで和らいだ。
「なんで明かすのよ! 阿呆じゃないの! せっかく揺さぶりをかけていたのに!」
「あら、そうでしたの。そんな下衆な発想は思い浮かびませんでしたわ。さすがですわね、スカー」
「あああ! 殺してやりたい!」
令嬢とは思えないしぐさで髪を掻き乱していた赤髪──スカーが、ふいに、こちらへと向き直る。
「でもまずはあんたよ。グレイス。『驚嘆すべき少女』。
大魔導師の絶対命令だからね。まずはあんたをちゃっちゃと片づけて、それから事故に見せかけてアナベルをぶち殺すわ」
「あら。おなじ偽装を考えていましたのね」
スカーとアナベルが、左右対称に筆杖を構えた。
わたしも、手斧を構え、姿勢を低く保った。




