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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.2 The Fall of the Tower/崩壊

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040 訣別

 赤髪と銀髪が授文スペルをつづり終えたのはほぼ同時だった。

 緑色の流麗な筆記体が空中でかがやきを増す。片方の一文があかあかと燃える炎の帯となり、もう片方が研がれた剣の切先を思わせる氷の鞭となった。

 たなびく炎と氷とが、みずからの意志を持っているかのように空を切り、わたしたちへと殺到する。


 対するマザーの筆杖ペンは、動かない。


 ただひと突き、先端の石突いしづきが廊下を叩いて、かつん、という乾いた音を立てた──しゅんかん、地の底から湧き上がるように、真っ黒な幼児の影が現れた。光を吸い込む漆黒が、ひとのかたちに空間を塗りつぶしているようだった。


 黒子タールベイビーだ。


 一体ではない。いくつもの幼児が、短い手足をばたつかせるように生み出され、やがて折りかさなるように積み上がると、巨大な壁を現出させた。

 真述ロジックの炎と氷とが、その壁へとぶつかる。

 影はすこしだけ表面を波打たせ、炎と氷とを飲み込んで、また沈黙した。底無し沼に小石を投げ込んだようだった。


「なっ──」

「これは……」


 赤髪と銀髪とが、絶句する。


 それはそうだろう。彼女らの常識のなかに、洞人ドワーフ筆杖ペンを振るう光景などはかつてありえなかっただろうから。ましてや、じぶんたちの誇る真述ロジックが、そんな()()()()()なぞに阻まれようとは、想像だにしなかったはずだ。

 わたし自身も、マザーの部屋でじっさいに見せられるまでは、信じられなかった。


洞人呪術ヴードゥーだ」

 ひとり、まるで動じたようすのないサトペンが、喝破する。

「あの人形どもは、無限に湧くわけではない。壊しつづければ、いずれは収蔵が尽きる」


 そう。

 それこそが、『真述ロジック』と『呪術ソーサリー』の決定的な差異だ。


 呪術ソーサリーとは、かつて暗黒大陸で一部の洞人ドワーフだけが用いていた秘儀だ。天人ヒューマンが生まれながらに備える体内の真緑インクをつかう真述ロジックとは異なり、真緑インクを帯びた薬草や動物の死骸などを組み合わせることで、真述ロジックに似た効果を発揮させる術である。長年の口伝によって、さまざまな効果を持つ呪術ソーサリーが伝わってはいるものの──基本的には、つくられた人形を操ったり、人間を強化または弱体化させるような薬を生み出すのが、呪術ソーサリーの限界と言える。

 その場で法則をねじ曲げる真述ロジックほどの汎用性もなければ、融通も利かない。事前に準備していた人形や薬を使い果たしてしまえば、呪術師ソーサラーの持つ筆杖ペンはたんなる置物へと成り果てる。

 サトペンのげんは、まったく正しい。


 だが──。


「種が割れてるのは、ざんねんなことだ。

 もうすこし、お嬢さんがたには驚いてもらいたかったんだけどね」


 ふたたび、石突が地面を叩く。

 黒子タールベイビーの影が、こんどは()()の単位で湧き上がった。おびただしい幼児の似すがたが、母親を乞うように腕を伸ばしてうごめいている。赤髪と銀髪が、ひっ、と息を呑むのが分かった。


 ……逆言すれば。真緑インクの消費をともなわないゆえに、操る人形の数にかぎりはない。準備にさえ時間を費やせば、兵力はいくらでも増強しうるのだ。

 攻勢には向かないが、こうして一所を防衛するには、うってつけの技能だった。


「さあて、お嬢さんがた。がまん比べといこう」

 マザーのすがたを覆い隠すように、合体した黒子タールベイビーたちが、立ちはだかっていく。わたしたちの視界は、黒子タールベイビーの背中でかんぜんに埋まっていた。

「おまえたちの真緑インクが尽きるのが早いか、わたしの人形たちが尽きるのが早いか──。

 覚悟しなよ。元奴隷は、がまん強いからね」


 戦闘がはじまった。

 影のすきまから、爆発音や叫び声、緑色の光が漏れてくる。マザーは数秒ごとに筆杖ペンを突き、さらなる黒子タールベイビーを地面から湧き上がらせては、戦線へと加わらせていく。前方の黒子タールベイビーが減るよりも、はるかに増殖速度のほうが早い。


 わたしは思い出す。

 暇さえあれば、マザーは編み物をつづけていた。

 いま思えば、あれは黒子タールベイビーの素であったのだ。髪の毛を編み込み、重油を染み込ませ、営々とこしらえつづけた、無数の防衛兵力──この主要駅メインステーションがはじまってから、いままで積み上げてきた数を、そうそう倒しきることなど、できないだろう。


 勝てるかも、しれない。

 わたしの胸に希望が浮かんだ。あのKKKの、最強の連中を相手取って、みごとに打ち倒せるかもしれない。そうすれば、もはや怖じることはないのだ。恐怖に怯える日々が終わりを告げるのだ──。

 夢想は、マザーの視線によって打ち切られた。


「なにをしてる」

「え?」

「行くのさ。いま、へスター・プリンとセイラ・メアリ・ウィリアムズが来る。その後について、おまえは行くんだ。この主要駅メインステーションから、逃げるのさ。

 おまえはもう、見るべきものを見た。

 あの男を、トマス・サトペンを、見た。

 ここで見なければならないものは、もうなにも残っていない。老いぼれがみじめに死んでゆくさまを、おまえは見る必要はないからね」

「でも」

「勝てる、とでも思ったかい?

 勝てるわけがないだろう? 時間の問題さね。黒子タールベイビーは疲れ切ったあの女真述師(ロジシャン)たちを押さえることはできても、あの『否定の王』を傷つけるなど、とうてい能わない。洞人呪術ヴードゥーなどでは、だめなのだよ。あれを斃すには、ほかの武器が要る。それも、まだまだ先の話さね」


 マザーが言い切るより早く、「マザー!」と叫ぶ声が後方からひびいていた。

 通路の曲がり角から、ヘスとセイラとがすがたをあらわしていた。マザーはわたしに目を据えたまま、声を張り上げた。


「『シスター』へスター・プリン!」

「はい、マザー!」

「グレイスを連れておゆき。『カジキ』の頭部を目指すんだ。喉元の壁面に隠し扉がある。そこに迎えが来ているから、わたしを待たずにそのままゆきなさい」

「ですが、マザー……!」

()()()()だ」


 ごくり、とヘスが唾を呑むのが分かった。

 わたしの知るかぎり、マザーが統帥命令をくだしたのは、地下鉄道ザ・レイルロードの歴史上においてこれが二度目だ──一度目は、わたしの救出に武装車掌アームド・コンダクターの派遣を命じたときだと、マーチに聞かされていた。


 ヘスが駆け寄ってくる。

 セイラがマーチのからだを抱え起こした。わたしの手を引こうとするヘスに、首を振った。マザーの目を見返す。


「マザー、わたしは」

「お別れだよ、グレイス。

 いや──『マザー』驚嘆すべき(アメイジング)・グレイスよ」


 ほほえんだ。

 まさしく、慈母のごとき笑みだった。


 胸を打たれ、わたしは沈黙する。

 マザーのほほえみは、すぐにきびしい戦いの色へととってかわった。薄くなった黒子タールベイビーの戦列が、筆杖ペンのひと突きによって増強される。分厚い影の壁は、まだまだ破れない。

 わたしのことは、もはや見ていない。


「行こう、グレイス」


 セイラの声で、我に返った。

 マーチの肩を、セイラとともに抱え上げた。通路の角を曲がるとき、ただひとりで戦線を保ちつづけるマザーの背中に、頭を下げた。


 師との、それが訣別だった。


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