039 世界を滅ぼすもの
「どうしたんだね、そのすがたは」
マザーが言う。
「見る影もないじゃないかね。あのご立派な『大佐』が、堕ちたものだ」
サトペンと呼ばれた男は、応えない。
ただ、暗がりのなかから黄色い瞳を、こちらに向けている。たたずんでいるだけなのに、まるで荒れくるう竜巻をまえにしているような圧があった。
サトペンに引きつづいて、若い天人の女性が二名、暗がりのなかから現れた。赤髪と銀髪のふたり組だ。
油断なく、わたしは身構える。
「やっと会えたわね、お婆さん。よくもまあ、虚仮にしてくれたもんだわね」
赤髪が言う。
「『地下鉄道』ですって。地下を走る鉄道ですって。まさかその名前じたいが虚偽だったなんて、思いもしなかったわ。
だれひとり、思いもしなかった。地下鉄道の本拠地が、空中に浮かんでいるだなんて」
そう。
この主要駅は、空中に浮遊しているのだ。
正確にいえば、龍──かつて『カジキ』と呼ばれた、巨大な一角龍──の死骸のなかに、施設がつくられているのだ。メトロじたいは、大陸全土の地下を網目のようにおおう地下坑道を走っているが、連絡を受けると線路が切り替わり、地下空間に敷設された巨大な転移述式へと吸い込まれてゆくのである。その先が、龍のからだへとつながっているのだ。『地下鉄道』という名を信じるかぎり、メトロを抑えることができたとしても、主要駅にたどり着けはしない。
この事実を明かされているものは、すくない。
乗客たちにはまず知らされないし、車掌のなかでも、ごく限られたものにしか、知らされない。わたし自身、真実を明かされたときは、耳を疑った。
「どうして知ってるのか、って顔ね?」
赤髪が嗤う。
「アンクル・トム。そういう名の洞人を、覚えているかしら?」
マザーが歯噛みした。そうやって感情をあらわにする彼女のすがたは、めずらしい。
「彼が、こころよく協力してくれたわ。お願いしたのは、ごくかんたんなことよ。この符をポケットに入れて、主要駅に持ち込んでもらったの。あとは初歩の真述で、符の座標を追えば、この場所が分かるっていう寸法。反応が上空にあったときには、よっぽど符の作り主をくびり殺してやろうかと思ったけど、そうしなくてよかったわ。
あとは私たちも空を飛んで、ここにたどり着いたってわけ」
「どうやって、トムを抱きこんだんだい。金じゃ、あの男はなびかないはずだ」
「ずいぶんな信用ね。ま、そうでなければ主要駅に出入りさせないんでしょうけど。
実はね、まだ奴隷身分だった妻と娘とをわれわれのほうで保護したの。このちょっとした親切に、彼はきちんと報いてくれたわ」
「……人質かい」
「ひと聞きの悪い。KKKは人質など取らないわ。洞人は、ひとではないのだから」
けらけらけら、と赤髪が笑った。
「それで、トムは無事なのかい」
「私たちKKKは約束は守るわ。やるべきことを果たしたら、家族に会わせてあげるって、あのおじさんに約束したんだもの。
だから、無事であるわけがないでしょう?」
「……全員、殺したの?」
たまらず、口を挟んでいた。
「ええそうよ。妻と娘はもうとっくに殺してあったんだもの。会わせてあげるには、おじさんのことも殺してあげなくちゃ。KKKは、約束を守るの。
……で? 口を挟んできたおまえは、どこの雌犬よ?」
赤髪の形相が変わった。先ほどまでの笑みを消しとばし、憤怒と軽侮をまなざしに込め、わたしを睨めつけている。ひとを従え、ひとを踏みにじるのに慣れた、KKKらしい眼だ。
二年まえのわたしなら、目を背けていただろう。
目を伏せ、這いつくばり、赦しを乞うていただろう。
だが、いまはちがう。わたしは奴隷ではない。奴隷などでは、ない。
だから、わたしは名乗る。
胸を張り、傲然と、目を見返して。
「わたしはグレイス。
おまえは何者だ、雌豚」
赤髪のかんばせがただ一色の怒りに塗りつぶされるよりも早く、手に握られた筆杖が空中に緑色の軌跡を描く。わたしは背中に隠していた手斧を取り出し、赤髪の喉へと振りかぶった。
真述のほのおがひらめき、斧の刃がかがやく──
その双方が、静止させられた。
ほのおも、刃も、空中に縫いとめられたように動きを止めている。両者の間には、サトペンの手のひらがかざされていた。それだけだ。
それだけなのに、一インチさえも動かすことが、できない。
「すこし、静かにしていろ」
サトペンの錆びた声が、響く。
「しかし、大魔導師……! この小娘は、きたならしい奴人のぶんざいで──」
「俺のいうことが、聞けんか」
ほんのすこし、声が大きくなっただけだった。
それだけで、赤髪の反論は封じられ……わたしの胸郭のなかで、心臓が悪魔の手にわしづかみにされたように痛んだ。サトペンは震え上がって黙りこんだ赤髪を尻目に、わたしへと向き直る。
人間ではない、と思った。
この男は、人間ではない。人間ならば、これほどおそろしいわけがない。人間ではないから、これほどに怖いのだ。膨れあがった恐怖は、いまにも破裂してしまいそうだった。一度破裂してしまえば、おそらく、もう取り返しがつかない。わたしは狂気に取り憑かれ、叫びながら逃げ出してしまうだろう。
「これが、噂の『驚嘆すべき少女』か」
サトペンの目が、マザーへと向き直る。とたんに手斧を静止するちからが消えて失せ、わたしは荒い息を吐きながらその場へとうずくまった。
「この娘を、きさまが選んだのだな」
「わたしじゃあないさね。神さまが、お選びになったんだ」
「抜かせ。
──アナベル。スカーレット。その雌餓鬼だけは、かならず殺せ。そいつが、世界を滅ぼすもの、われわれの最終目標──ヨシュアだ」
呼びかけられた赤髪と銀髪が、目の色を変えた。
追いつめた獲物をいたぶって愉しむ捕食者の目から、到達すべき目標を示された軍人の目へ。筆杖が、振るわれる。
「──させないよ!」
マザーは叫び、髑髏の筆杖を、振るった。




