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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.1 The Exodus of Grace/恩寵

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003 鞭、そして週給二十ドル

 母のすがたを見つけて、おまえは思わずちいさな声を出していた。

 声にもならないような声。

 それでも、母は伏せていた顔をぱっとあげて、おまえを見つける。ひかえめなほほ笑みを返してくれる。


 おまえの顔が、ほころぶ。


 陽の光のしたで見ると、母はとくべつにきれいだ。

 おまえは思った。 


 つやつやした白のドレスはレースで縁取られ、まるで天人ヒューマンの貴婦人のようだ。おなじ白色の帽子をリボンで顎に留め、ていねいに編まれた豊かな黒髪が垂らしてある。母のきれいな褐色の肌に、その服装はよく映えていた。

 それも、()()()()()()()だ。


 おまえは、うれしいおどろきにつつまれた。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()のだ!


 お屋敷づとめの使用人たち――奴隷のなかでも選りすぐりの特権階級――のなかでも、これはめずらしいことだったろう。

 お仕着せの仕事着は、ふつう、一着か二着しか支給されない。旦那さまや奥さまのお近くで働くため、それらはきれいに洗濯されてはいたが、数だけでいえば、おまえのような鉱山奴隷となんら変わりはない。

 

 けれども、お母さんは違う。

 おまえは、誇らしさが胸を満たすのを感じる。


 お母さんは、仕事がばつぐんにできるのだ。

 だから、旦那さまや奥さまに気に入られている。あれだけの衣装もちになっているのも、そのあかしに他ならない。

 

 おまえは叫びだしたかった。


 見て。

 見て。

 あれが、わたしのお母さんなの。


 天人ヒューマンと見まごうほどにうつくしく着飾り、まるで貴族さまみたいに凛としたすがたで立っているのは、わたしの、このわたしのお母さんなんだ。


 わたしはなんの変哲もない、ただの洞人のむすめ(ピカニニイ)だけれど。

 わたしのお母さんは、あんなにきれいなひとなんだよ。


「おいおまえ! なにを怠けている!」


 奴隷監視人オーバーシーアの叱責に、びくりとからだが震えた。


 母のすがたに、おまえは見とれてしまっていた。

 作業の手は、かんぜんに止まっている。瞬時に心臓がはねあがった。奴隷監視人オーバーシーアがこちらに近づいてくる。


 鞭の激痛を予期して、おまえは目をつむった。


 しかし。

 悲鳴をあげたのは、おまえではない。


「ああッ!」


 となりにいたエディが、血飛沫をほとばしらせていた。


 エディ。

 おまえよりも歳下で、まだ八歳だ。痩せっぽちで、お腹がわずかに突き出た子どものからだが、苦痛に堪えかねて、地面へとたおれ伏す。


 背中には、鞭の痕がくっきりと残っていた。

 ミミズがのたうったように背中の皮がはがれ落ち、真っ赤な肉が露出している。エディはシャツなんて着ていなかったから、素肌に受けたその傷はよけいに深い。


「あああああーっ……!」


 エディが泣き声をあげた。

 その声に怒りを逆撫でされたとでもいうように、監視人オーバーシーアがふたたび鞭を振り上げる。


「よくも! よくも! よりにもよって!」


 みたび、よたび。

 弾ける音が、おまえの耳朶じだを叩きつづける。


「旦那さまがお越しになっているときに! この私に! 恥を! かかせてくれたな!」

「あっ、あっ、あぐ……っ!」


 ことばにならない声を、エディはくりかえしくりかえしあげた。

 鞭が振るわれるたびに、血が霧のように舞い、背中からはがれた皮膚の断片があたりにちらばっていく。


 おまえは、息を殺した。

 おまえは、唇をかみしめた。

 おまえは、顔を伏せた。


 おまえの胸のなかで緊張がほどけていき、代わりにじんわりと苦い安堵がひろがっていく。


 ――わたしじゃなくて、よかった。


 グレイス。

 グレイスよ。


 いま、

 おまえは、なんと考えた?


 おまえのなかに自問がひろがる。


 じぶんじゃなくて、よかったと?

 苦痛に泣きわめいているのが、エディでよかったと?

 じぶんよりも歳下の、少年とも呼べない子どもが苦しんでいるのに、それでよかったと?

 わたしが免れたから、わたしが助かったから、それでいいと?

 きのう処刑されたのが、きょう鞭打たれたのが、わたしでなければ、それでいいと?


 グレイス、とおまえはみずからへ呼びかける。

 おまえはいつから、こうなったのだ?


「ふん、蛮人の子は蛮人だな」

 監視人オーバーシーアが吐き捨てた。

「ぴいぴい泣きわめいていれば、それで済むと思っている。じぶんがなぜ罰せられたのかも省みずに。……旦那様のありがたい教えを、なんとも思わなかったようだなッ!」


 ふたたび、鞭が振りかぶられる。

 さらなる苦痛を予見し、エディの眉が歪み、目がまるく開かれ、襲いくる衝撃を耐えようとまた固くつむられ──しかし、想像していた痛みがやってこないので、おそるおそる、薄目が開かれた。


 おまえと、目が合った。


「あ──、グレイス……?」

「だいじょうぶ? エディ」


 にっこりと、おまえは笑いかける。

 痛みなどないかのように。


 おまえのからだは、しぜんと動いていた。

 エディと監視人オーバーシーアのあいだに立ちふさがり、腕をさしあげ、毒蛇のように襲いかかる鞭を二の腕でうけとめたのだ。

 鞭の先端はぐるりとおまえの腕を一周し、張り付いた。てのひらで中程をつかむと、もう、つづけて鞭を振るうことはできなくなる。


 鞭は振り切ったあとがいちばん速い。

 頭上に振るわれたときに腕を出せば、痛みは最小限におさえられる。奴隷たちは、経験則でそれを知っている。おまえも例外ではない。


 とはいえ。

 おまえの腕も、むろん無傷とはいかない。

 皮は剥がれ、灼けつくような激痛が、腕ぜんたいを駆けまわっている。蛇に、たえず毒を流しこまれているような心地だった。


 しかし、おまえは痛みを無視する。

 痛みなどに、支配権をくれてやらない。恐怖などに、竦みあがるつもりはない。代わりに、怒りへと、薪をくべる。


「な──こむすめ、なんのつもりだ!」

「こむすめ、ではありません」


 おまえは呼吸をととのえた。


「わたしは、グレイス。

 グレイスという名があります」


 お父さんが、つけてくれた名前だ。

 おまえはゆずらない。


「反抗するつもりか!」

「逆らうつもりはありません、旦那さま」

 監視人オーバーシーアを無視して、旦那さまへと話しかけた。

「さしでがましい真似をお赦しください。ただ、このような真似を見すごすわけにはまいりませんでした。──二度目の鞭は、よけいでしたから」

「ほう。なぜだね?」


 旦那さまは笑みを浮かべた。

 怖じぬよう、おまえは胸を張る。


「仕事の手を止めていたことへの罰は、一度目の鞭で済みました。二度目の鞭はいわれなきものです。そればかりか、旦那さまの財産を損なう結果になりかねませんでした」

「ふむ」

「エディは幼い男の子です。

 いまはろくな働きができませんが、十年後には立派な成人男子となります。きびしい畑仕事もなんなくこなす労働力となりますし、売れば千ドルもの値がつくでしょう」


「おい、その辺で──!」

「かれに、」


 激昂しかけた監視人オーバーシーアを、おまえは指さして黙らせた。


「いくら、お支払いですか。旦那さま」

「週給二十ドル、だったな?」

「え……はぁ……」


 あいまいに、監視人オーバーシーアは首肯する。


「週給二十ドル。それがかれの、収入のすべてです。()()()を稼ぐのに、いったい何ヶ月かかることでしょう。それとも──」


 おまえは監視人オーバーシーアに向き直る。


「──あなたは、損失を穴埋めする当てもなしに、()()()()()()()を損なおうとしていたのですか?」


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