038 邂逅
あれほどけたたましかった銃声が、やんでいた。
安堵はおとずれなかった。発砲する必要がなくなって止めたのではなく、発砲するものがいなくなったのではないか、という危惧が頭を占めていた。
へスターは、さいごの一台となったメトロの一台に、子供たちを詰めこんでいた。
子供たちも、なにかただならぬ事態が起きていることを、理解してくれているようだった。騒ぐでもごねるでもなく、無表情のままに行列を為している。いくら時間をかけても子供たちの笑顔を取り戻すよう努めても、ただひとつの出来事で、瓦解する。またたくまに、心の壁が張りめぐらされてしまうのだ。歯がゆかったが、今だけは、救いだった。へスター自身にも、余裕なんてなかったからだ。
なぜ、主要駅の場所がばれたのだろう。
露見するはずがなかった。地下鉄道が地下鉄道である限り、この場所にたどり着くはずがなかったのだ。発想が及ぶはずがない。
主要駅こそ、世界でいちばん安全な場所なのだ。
そのはず、だったのに。
子供たちの搭乗が、とどこおりなく終わった。
いつでも出せる。ジムじいやにそう頷かれ、へスターは悩んだ。
出していいのか。
出発して、ほんとうにいいのか。
メトロが出発すれば、ほかに逃れる道はない。いま、ぎりぎりまで時間を稼ごうと踏みとどまっている車掌たち──フレデリック・マーチらを、見捨てることになる。それでいいのだ、と訓練のときには伝えられていた。いざとなれば、車掌は捨て石なのだと、乗客たちを優先しろと、フレデリックは語っていた。
だが、ほんとうに?
「ヘス」
声に振り向く。
セイラだった。へスターは救われたような心地で、セイラに質問を投げかける。
「セイラ! ……マザーは?」
「分からない。
きみが警報を叩いてからすぐに、マザーの部屋に行ったんだ。そこにはいなかった」
グレイスもだ、とセイラは付け加えた。
「どうするだ」
ジムじいやが、ふたたび問うてくる。
「出して、構わないだか?」
だめだ、とヘスターは思う。
車掌たちもマーチも乗っていないじゃないか。グレイスもそうだ。それにマザーを置いていくつもりか。地下鉄道の象徴であり、支柱であり、理念そのものであるあの老女を、置いていくというのか──。
喉まで出かかったヒステリックな反論を、ようやくのことで飲みくだした。
「……私の任務は、乗客の保護です」
じぶんに言い聞かせるように、へスターはつぶやいた。
「出してください。責任のいっさいは私がとります。……皆が稼いでくれた時間をみすみす浪費して、思いを無下にするわけにはいきません」
ジムじいやがうなずき、機関室へと消えていった。
へスターは、震えていた。
駅長の任を受けたとき、覚悟は決めていたつもりだった。しかし、こうしていざ決断をしてみると、とほうもなく、怖かった。恐ろしかった。
震えながら、ヘスターはメトロを見送った。
私は、この駅の駅長だ。
この駅のさいごを、見届けなければならない。これから死ぬというのは、恐ろしくてたまらなかったが──残らなければならない。メトロのほうは、ジムじいやがいればなんとでもなる。セイラも乗ってくれているのだから、万全だ。
拳を握って、震えを押し殺した。
「さ、行こう」
かけられた声に、驚いた。
セイラが、貨物車の陰から顔を覗かせた。乗っていたふりをしていたのだ、と気がついた。こっそりと目を盗み、客車から降りて、隠れていた。もう取り返しがつかなくなるまで。
「行きなさいと、言ったでしょう!」
「おあいにく。教師のいうことは聞かないって、決めてるんだ」
重ねて怒鳴りつけようとして、諦めた。
ヘスターは、セイラとともに走りはじめた。
*
肩を貸して、マザーを歩かせた。
マザーは、足が悪い。杖を突きながらゆっくりと歩いていくぶんには問題ないが、こうして先を急ぐときには、誰かが肩を貸してやらねばならない。わたしよりも頭ひとつぶん低い高さで、銀髪が揺れている。
さきほどまで響いていた銃声が、とだえていた。わたしは直感していた──車掌たちが、すでに全滅の憂き目に遭ったのだろうと。
「KKKの真述師は、練度がちがう」
マザーが、わたしの心を読んだように言う。
「真述師退治のセオリーは、やつらが授文を書き終えるまえに撃つことだ。単純だが、これが利く。訓練を重ねた兵の発砲は、真述師が筆杖を振るうよりも、早いからね。
だが、KKKはちがう。
『内戦』の反省を活かし、鍛えぬいてきているからね。攻撃用の授文を綴るのに、一秒を超えることはない。大仰なしぐさを好む真述師にはありえないほどちいさな動きで、細かく詠書を終えるのだ。
きゃつらに、銃では勝てない」
「……対して、地下鉄道の構成員は洞人がほとんどです」
わたしがあとを引きとった。
「真述師に対する恐怖を、根っこまで刷り込まれています。
目のまえの敵に対する恐怖は、かならず、一手を遅れさせます。真正面からの戦闘で、地下鉄道がKKKを制することは、まず難しいと言っていいと思います」
「なぜ、逃げなかったんだい」
マザーの問いに、目を見た。
咎めるような色は、見られなかった。純粋な問いだった。
「見届けるためです」
「よかった」
「え?」
「あなたを残していけないから──なんて言ってたら、張っ倒してたところさ」
わたしは肩をすくめる。
マザーが、懐から筆杖を取り出した。
天人たちが使うものほど、小ぶりでも、洗練されてもいない。握りの代わりに髑髏が象られた意匠は、いかにも仰々しく、いかにもまがまがしい。洞人魔術の筆杖だった。
わたしは、マザーの目をもう一度見る。
「死ぬのですか?」
「死ぬさ」
「なぜ」
「ここが、わたしの場所だからさ」
マザーは、笑う。
「おまえをこれ以上見てやれないことだけが、残念だよ。
おまえはまだまだ危なっかしい。早すぎると思うけどね。どうやら神さまのほうでは、おまえの番がきたとお考えのようだ」
「わたしの番?」
「そら、来たよ」
立ち止まった。
あれほど明るかった構内が、暗がりのなかに閉ざされている。光が削り取られているというよりもむしろ、闇黒そのものが蚕食し、じわじわと質量を増しているような、感覚。
闇が、ふくれあがる。
ひとのかたちを為したそれが、手になにかを引きずっている。放り投げられた。
足元へと転がってきたのは、血まみれになったひとのからだだった。
マーチだ。
わたしはとっさにうすく開かれた唇のまえに、手のひらをかざす。かすかに、呼吸はあった。まだ、死んではいない。
「――旧い馬車」
男の錆びた声がした。
闇が、茶褐色の長身のかたちになっている。天人の青白い肌のなかで、黄味がかった瞳が、冷然とこちらを見下ろしていた。
「トマス・サトペン」
マザーが応じた。
「──なんて、ざまだい」




