037 開戦
悲鳴を、たしかに聞いた。
セイラは寝転んだ姿勢から顔を上げた。
のんびりとした常日頃の表情は、かき消えている。猫科の動物めいたすばやい身のこなしで、さいぜんまで寝そべっていた照明を降りた。
また、耳を澄ます。
停車場だ、と直感する。もう誰ひとり生き残っていないことも、分かった。
セイラは駆けた。
教室だ。授業中だったへスター・プリンのところに駆け込む。
へスターは、セイラの目つきを見て、即座に理解したようだった。黒板を降りると、壁面に取り付けられていたガラスづくりのカバーを、拳で叩き割り、ボタンを押した。
警報が、主要駅ぜんたいに鳴りひびいた。
*
落ちつけ、とフレデリック・マーチは、おのれに言い聞かせる。
すべては準備していたとおりにやればいい。
主要駅が発見された場合のシミュレーションは、綿密におこなった。『駅員』や『車掌』の訓練も、行き届いている。
まずは子供と老人、怪我や病気で臥せっていたものを、優先して避難させる。それ以外の洞人たちには、ありあわせの武器が手渡された。
戦うためではない。身を守るためだ。
順繰りに、裏手のメトロへと誘導をおこなう。
この状況に陥ったときには、こまかな指示を飛ばしている余裕はない。『駅員』たちはあらかじめ定められたとおりの動きをおこなう。そのように、訓練した。
だから、避難行動のほうは問題ない。
いま対処すべき事態はなんだ、とマーチは自問する。
そして、瞬時に答えへとたどり着く。
「車掌は、小銃を装備し俺につづけ!」
叫んだ。
「停車場の援護に向かう! 敵兵の侵入をあそこで食い止め、『乗客』が避難する時間を稼ぐぞ!」
おなじ指示をくりかえし叫ばせながら、マーチも武装を完了した。
「……三十年ぶりの、鉄火場か」
ひとりごちて、小銃を握りしめる。ともすれば震えそうになる歯の根を、がっしりと噛み合わせた。
「全車掌、行くぞ」
*
マザーが、顔を上げた。
主要駅すべてに鳴りひびく警報は、まるで黙示録の喇叭に聴こえる。わたしは手帳を閉じ、マザーの横顔をうかがった。老女はくちびるを引きむすび、中空を見上げている。目が、閉じられていた。
「はじまったよ」
「……終わりが?」
うんにゃ、とマザーは首を振った。顔をさげ、わたしの目を見つめた。
「はじまりが、さ」
そのとき、天を圧するような爆音が、鳴りひびいた。
*
真述のほのおが、燃え上がった。
けたたましい音を立てて、メトロがつぎつぎと爆発炎上してゆく。十の筆杖が同時に振るわれ、十のほのおが合わさり、大炎と化し、機械のかたまりを飲み込んでいくのだ。ふんだんに搭載している油に引火すると、一挙に爆破される。
「一台も残すんじゃあないわよ!
奴人どもの希望を、すべて打ち砕くの!」
大声を上げていた赤髪の美女が、みずからも筆杖を振るう。十人ぶんを束ねたほのおを凌駕する、巨大なほのおが書き出され、嬉々としてメトロへと食らいついていく。
轟音を立てて、爆発炎上した。
「そこまでだ!」
マーチは叫んだ。
赤髪の美女が、じろり、とこちらを睨んでくる。銀髪の美女が、ふわり、とこちらを振り向く。
白覆面と三角帽の真述師たちが、油断なく筆杖を構えている。
間違いない。
「KKKだな?」
「かくいうあなたは、フレデリック・マーチですね」
銀髪の美女が、冷ややかな口調で言う。
「『銃を持つ従軍牧師』『片目の悪魔』『車掌』『父』──フレデリック・マーチ。内戦では、ずいぶん南軍の兵を減らしてくださったそうですね。お祖父さまよりうかがっています。
貴方がいるということは、ここがかの名高き主要駅で、間違いありませんのね」
「悪りいな、嬢ちゃん」
固い声で、マーチは返答する。
「あんたを俺は知らねえ。あんたのくそったれのじいさまとやらもな」
小銃を構えなおすと、美女がちいさく笑う。銀髪がふわりと広がった。
「いいえ。旧知の仲だと思いますわ。ロバート・E・リー。
そう言えば、お判りですか?」
顔から血の気が引いた。
いま、リーといったか? ロバート・E・リーと?
あの『内戦』に従軍したもので、その名を知らぬものはいない。戦略上の最大目標として、あるいは、南軍の意志を象徴するものとして、いつもその名は語られていた――おどろくべきことに、敬意をもって。あの残忍無比な南軍にありながら、だれよりも気高い男として知られていた。連合国に貴族の誇りを持つものが存在するのだとすれば、あの男をおいてほかにないとさえ、言われていた。
なんとなれば――
彼こそ、南軍総司令官だったのだから。
「ということは、あんたが」
「孫娘の、アナベルですわ。
アナベル・リーと申します」
社交界に現われた令嬢のように、ドレスの裾をつまんで頭を下げる。
いや、真実、令嬢なのだ。
あの将軍の孫娘となれば、南部でも有数の高貴な姫君だ。リー将軍自身は二十年もまえにこの世を去ってはいたが――彼の誇り高き生きざまは、合衆国であろうと、連合国であろうと、賞賛するほかない。いまや、リー家は南部三代名家の一角として広く知られていた。
「はっ!」
もうひとりの美女が、アナベル・リーを鼻で笑い飛ばした。
「また、お祖父さまの知名度頼り? 七光りもいいところね、なっさけない!
あたしの名前は知っているわよね、『牧師』?
あたしはスカーレット。その名も高き、スカーレット・オハラよ!」
オハラ。
その名も、聞いたことがあった。新興の家ではあるが、タラと名付けられた綿花農園は、南部でも最大規模の大農場として名高い。一〇〇〇人もの農園奴隷を使っておきながら、これまでひとりも逃亡奴隷をのがしていないことでも、有名だった。
数年まえに、ひとり娘が農園を受け継ぎ経営に乗り出したと言われていたが――そこから、ずいぶんと奴隷への扱いがきびしくなったという噂を耳にしている。となれば、このスカーレットという女性が、そうか。
「よしなさい、スカー。あなたの名前なんて、知らないって顔だわ」
「あああ! また傷物だなんて呼んでくれたわね! 殺す! あんたはぜったい殺すわ! 氷女!」
「黙れ、ふたりとも」
長身の男が言うと、ぴたりと口げんかが止まった。
叱りつけられた犬のように、瞬時だった。他者に命令をくだすことに慣れきっている名家の令嬢ふたりをつかまえて、まるで、仔犬あつかいだ。よほど、この男は畏れられているらしい。
ふかぶかと被った帽子の隙間から、黄色く光る目が覗いている。立てた襟のせいで、それ以外の表情はうかがい知れないが――その視線につらぬかれたしゅんかん、マーチの背が総毛立った。
この感覚を、
俺は知っている。
「旧い馬車だ」
錆びた声で男が言う。
「旧い馬車を出せ。小物に用はない」
声を聞くほどに、胸にざわめきが立ちのぼる。不吉な予感を肌が感じとっている。肺が引き絞られ、呼吸が詰まる。立っているだけのことが、とほうもない困難になる。口をひらけば恐慌の叫び声をあげて、そのまま小銃を放り捨てて逃げ出してしまいそうだ。
この感覚を、俺は知っている。
戦場で、味わったことがある。けものとしての本能が危機を知らせているのだ。ぜったいに敵わない飢えた肉食獣をまえにして、逃げろと騒いでいるのだ。
――こいつは。
――この、男は。
ぎり、と奥歯を噛み締めた。
恐怖と恐慌を押し殺して、いつもの笑みを浮かべてみせる。
「いやだ、と言ったら?」
男は、小揺るぎもしない。
こちらの反抗など、水面に小石を投げ込んだほどにも感じないのだろう。
「交渉ができるとでも思ったか」
男が顎をしゃくる。
KKKの連中が、筆杖を振るい、空中に緑色の軌跡を描きはじめた。マーチは「応射開始!」とみじかく叫ぶと、みずからも小銃を発砲しはじめた。




