035 入電
この屋敷ではたらくメイドたちのほとんどが、実のところ、『地下鉄道』の人間である。
トムの屋敷は、地下に『線路』が敷設され、メトロが停車できるように広大な空間が準備された大型の『駅』だ。主要駅に直接つながる、全米にも数箇所しか存在しない中継駅のひとつだ。
むろん、屋敷を訪ねてきた客や、招待されたひとびとが気がつくような手抜かりはしていないが──屋敷のなかで日々はたらいていれば、構造上ありえない空間や、ふしぜんなほど消費量が多い食物に、違和を感じずにはいられないだろう。
だから、屋敷のなかではたらくものは、みな抱きこんでおく必要がある。それでも背信の芽を摘みきることはむずかしいから、トムはそもそも、地下鉄道の人間をしか雇っていないのである。
雇い入れる洞人は、みな、トムと執事ポッターの眼鏡に叶わなければならない。
地下鉄道から送られてきていても、不審な人間、弱さを抱えた人間は、突き返している。いのちを預けるのに足る相手であるか否か、いざというときに戦いうるか否かを、きびしく見極めているのだ。
だから、トムの見覚えがないメイドなど、この屋敷にいてはならない。
「きみ、いつから入ったの? 名前は?」
気楽に声をかけながらも、目は、じっくりと見慣れぬ少女を見極めようとしている。
ひときわ年少に見える少女は、困惑しているようだった。困惑のしかたにふしぜんさはない。一介の召使いが旦那さまに声を掛けられたときの困惑そのものに見える。演技をしているふうにも、見えない。
「いい加減になさってください、旦那さま」
声をはさんできたのは、ハンナだ。
「新入りをそんな怖い目で見たりして。死ぬほどおびえてるじゃないですか。……この子は、こないだの『出張』のときに、旦那さまがご自身で連れかえってきた子じゃないですか」
「ああ」
ようやく、思い出した。
ちょうど、例のグレイスを連れかえってきたのと同じ頃に、KKKに潰された『駅』から救い出してきた女の子だ。傷を負い、やはり気をうしなっていたために、手当てとその後をハンナとポッターに託していたのだ。
「傷、治ったのかい? もう動いていいの?」
「皆さまのおかげで。……あの、ありがとうございました」
少女がぺこりと頭を下げた。
きれいな顔立ちの女の子だ。
「あれ、この子メトロに乗ってなかったの?」
「ええ。本人の希望で、屋敷に残しました。もともと地下鉄道の子ですから、身元も問題ありませんし」
ハンナがあっさりと答える。
「何度もお伝えしていたはずですけどね。どうしてはじめて知った、みたいな顔をされているのでしょうか」
「うっ」
痛いところを突かれた。
執事や召使いの言っていることを聞きのがすのは、トムの十八番だった。話を逸らすように、新入りの少女へと向き直る。
「どうして残ったんだい?」
「まだ、いのちを救ってもらった恩返しもできておりませんし……」
「気にしなくていいのに、そんなこと」
「ええ。あれだけの傷だったのですから、もう少し休んでいろと再三言っているのですが、聞き分けのない子でして」
きびしい口調と裏腹に、少女の背に添えるハンナの手はやさしい。トムがこの屋敷でいちばん信頼を置いている『車掌』のひとりだった。
「……でも」
少女が目を伏せる。
「なにかしていないと、思い出してしまうので」
ああ、とトムは思い至る。
この子のいた『駅』は、たしかリーマス老人がいたところだ。地下鉄道でも最古参のひとりに入るあの老人の、孫娘かなにかだったのだろう。リーマス老人のゆくえは、まだ分かっていない。おそらく、トムが取り逃がしたKKKの真述師連中に連れ去られたのだろう。
この子は、祖父を亡くしたばかりなのだ。
ハンナの手が、またいたわるように少女の背をさすった。
家族をうしなった子が、新生活をはじめようというきぶんになれるまでには、とにかく時間も手もかかる。残念なことに、いまの主要駅には彼女のような子を癒やしてあげる手だてがない。流れつく逃亡奴隷の数が、多すぎるのだ。傷ついた子は、回復するまで寝かせておくぐらいしか、対策がない。
トムは、ハンナにうなずきを返す。
で、あるなら。この屋敷で、しばらくのあいだハンナたちに面倒を見てもらうほうが、よほどこの子のためになるだろう。かんたんな仕事に気も紛れるだろうし、人恋しければ話も聞いてもらえる。
「好きなだけ、いるといい」
トムは少女の頭を撫でた。
「俺はいっこうにかまわないよ。仕事の量や内容については、ハンナの指示をよく聞いて、決して無理はしないように。また、恩義などはかんがえる必要はないからね。俺たちは信念に基づいて地下鉄道に身を捧げてる。きみみたいな子に恩を着せたくてやっている活動ではないんだ。
余裕があるときでいいから、腰を据えて、じぶんがなにをしたいかじっくり考えてみるといい。答えが見つかったら、義務や仕事などに縛られず、屋敷を出ていっていい。サポートはいくらでもするからね」
「……なんとお礼を言っていいのでしょう」
「お礼はいいんだって。とにかく、いまはじぶんのことを最優先にね」
ぱちり、と片目をつむってみせた。
少女がおどろいたような顔をしてから、目を伏せる。隣から、ハンナの突き刺さる視線に気づき、トムはぎょっとした。
「……なんで睨まれてるの?」
「あなたの、そういうところなのですよ。トムさま。無思慮で無自覚。ごじぶんの振舞いを、すこしは顧みてください」
「えっ? えっ? 俺なんかまずいことした?」
「知りません」
ハンナが怒ったように少女を連れていってしまった。どことなく、トムから少女を庇うようなしぐさだった。周囲で立ち働くメイドたちも、みなそっけないようすだ。
「ええー……。なんで……?」
金髪を、ぽりぽりと搔いた。それから、少女の名前を聞き忘れたことに気がついた。
*
ようやく書斎に赴くと、ポッターが地下室から上がってくるところだった。
「旦那さま」
「ポッター。いま帰ったのかい」
英国風のアクセントでポッターは「つい先ほど」と答える。
きれいに撫でつけられた銀髪と、皺ひとつない執事服から、彼が長旅を終えてきたばかりだと見抜くことは余人にはできないだろう。ポッターは、いつ見てもかんぺきなのだ。伸びた背すじは、六十歳を超えたいまも、曲がる気配すら見られない。
「状況は?」
「あまりかんばしいとは言えませんな。連絡が途絶えたいくつかの『駅』は、すでに潰されておりました。このぶんでは、我らの関わらぬ『線路』も、そのいくつが残っているやら」
「やはり、KKKか?」
「でしょうな」
話しながらも、ポッターは手を止めない。しずかな舞踏のような流れる所作でコーヒーを入れ、トムのもとへと運んでくる。口をつけると、いつもどおりのかんぺきな温度だ。
「今回の視察で分かりました。連中は、どうやら本気ですな。本気で、地下鉄道の『線路』を寸断しに掛かっている」
「ふむ」
「未確認の情報ですが、今回はサトペンがじきじきに動いているとの噂も流れております」
「まさか」
「まさか、とは言い切れぬでしょう。
あの男がヨクナパトーファに還ったと言われてから、すでに十年が経っているのです。十年もあれば、例の決闘の傷も癒えておっても、なんらおかしくはない」
トムは、黙り込んだ。
かんがえたくもない事態だったが──サトペンが還ってきたのだとすれば、筋がとおるのだ。
ここ数週間のKKKの動きは、まさに電撃的だった。奴隷でも自由洞人でもお構いなしに捕らえ、数百人の単位で片端から拷問にかけては、地下鉄道の情報を漁りはじめた。かと思えば、同時多発的に複数の『駅』が潰された。トムらが捕捉しているだけで十二──全土で見れば、桁が変わるだろう。
たしかに、まだ致命的な事態にはおちいっていない。メトロは捕捉されていないし、主要駅の場所も、掴まれている兆候はない。ただ、やりかたがあまりに徹底している。戦後三十年を過ぎ、連合国内の世論が再戦忌避にかたむきつつある現在としては、ありえないほどに。
だが、真実、サトペンが還ってきたのだとしたら?
あの『連合国最強の男』『最悪の奴隷使役者』『破綻顕現者』『絶望の魔法使い』『否定の王』『一〇〇〇〇人殺し』『死の化身』『ほろぼされざるもの』『あらゆる悪の黒幕』『大佐』が、ほんとうに動いているのだとしたら?
この動きのすべてに、筋がとおるのだ。
「……主要駅では、どう見てる?」
「サトペンの帰還はありえないものと、結論しておりますな。あの悪魔が還ってきたのなら、被害はこのていどではとどまらないものと想定しているようです。大統領選が近くなっておりますので、ウィルクスの再選を防ぎたい集権派がKKKをけしかけているだけだろうと」
「おまえはどう思う、ポッター?」
「八割がた、主要駅の見方が正しいでしょうな」
すこし間を置いて、無表情なまま、
「ただ、あのマーチが、無意識に悲観を避けていなければよいのですが」
「……あいつは、北軍の従軍牧師だったか」
「ええ」
ならば。
無意識のうちに、あの悪夢を直視しまいとしてはいないか。過去の恐怖から、目を背けようとしてはいないか。願望が加わると、予測は信憑性を欠くものとなる。客観という眼鏡が、主観の霧にくもらされてしまうからだ。
「……いや、やめよう」
「確証がない以上、かんがえても埒があかないですな」
トムのこころを読んだように、ポッターがつづけた。
「とにかく、対処だ。
場合によっては、俺もなりふりかまってはいられない。主要駅の判断を仰がず、『出張』することも辞さない」
「よろしいのですか?」
「もともと、俺は地下鉄道の『支援者』なんだよ、ポッター。『車掌』であるまえにね。マザーの指令は尊重するけど、くびきを付けられる謂れはない。すくなくとも、そう認識している」
「然り、ですな」
ポッターがうなずいた。
「『甲冑』の点検をし直しましょう。『コシュタバワー』の整備もはじめておきます」
「頼む」
──と。
そのときだった。
血相を変えたメイドが、ひとり書斎へと飛び込んできた。電信を担当している、眼鏡のメイドだ。手に電報の紙きれを握りしめている。
「入電です!」
眼鏡のメイドが、泣き叫ぶように言った。
「──本部が! 私たちの、主要駅が!」




