031 問いと対話
「おや、おまえかい」
目を白黒させていたところへ、声をかけられた。
マザーだった。銀髪の老女は、書棚のすきまにそっけなく置かれた木の椅子のひとつに腰かけていた。小ぶりの本をひとつ膝に乗せ、座面から足を垂らしている。床につかずに揺れる木靴を見ていると、まるっきり童女のように見える。
「本の多さに、圧倒されていたね」
わたしはうなずく。
マザーは音を立てず、そっと椅子から下りた。
「哲学、神学、医学、博物学、歴史、社会論、外交論、経済論、美術書、料理本、百科事典、辞書、絵本、詩集、小説本、それに聖書――。
まあ、世のなかにはありとあらゆる本があふれてる。活版印刷術とやらが発明されてから、とくに増えたやね。
ここにある本は、世界に存在する無数の本たちの、ほんの一部にすぎないが、それだけでも数千冊をくだらない。
途方に暮れるだろう? 頭がくらくらするだろう?
朝から晩まで飲まず食わずで励んだって、ひとりの人間がすべてを読みつくすことなど、とうていできないんだ。しかも悪くしたことに、人間は忘れる生きものときた――たとえば十冊を読んだとすりゃ、もうさいしょの一冊なんてろくすっぽ覚えちゃいない。百冊を読んだとしても、かろうじて粗筋を話せるのが、十冊もありゃ及第だ。
読書ってのはね、そもそもが敗けいくさなのさ」
「じゃあ、どうしてこんなにもおおくの本があるのですか?」
「誰しもが、語りたいからさ」
マザーは書棚の背表紙たちを端から撫でていく。
「ひとはね、じぶんの頭のなかにある考えの価値が、じぶんじゃ分からないんだ。
たいてい、これは世界をひっくりかえすぐらいすばらしいアイデアだ、なんとしても語らなければならぬ、残さねばならぬと思い込む。取り巻き連中の世辞に背中を押され、あるいは周囲の無理解に拍車をかけられ、羽根ペンを手に取る。いつしか、はなばなしく出版された本が、賞賛を集めるのだと、夢を見るのさ。
ここにならんだ本のほとんどが、そうして書かれたものだ。
かんちがいと、夢と、誇大妄想の産物さ。
それじたいにはほとんど価値のない、たわごとばかりだ」
マザーは手に取った本を、幼児にそうするようにそっと撫でる。
そのまなざしに、軽侮はふくまれていない。むしろ、愛情に満ちているように見える。辛辣なことばと、裏腹なしぐさに見える。本たちを、その一冊一冊を、愛しているように見える。
「……では、なぜ、価値のない本をならべているのですか?」
「対話するためだよ」
マザーが、わたしの目を見る。
見据える。
「本を読んで、考える。その考えにこそ、価値があるのだよ、グレイス。
本とはね、著者そのものなのだ。
ひとつの人格が、ひとつの思想が、まるごと、ことばのかたちをとって、この紙の束に詰め込まれている。なかにはおろかしい偏見もあれば、すぐれた卓見もある。なんてことのないレシピのなかから、人生の真理がひろえたりもする。
読みながら、おまえはさまざまな考えをめぐらせるだろう。
この論には納得ができる、この比喩は実感として分かる、このことばの選びかたは正しくないように思える、この主張にはどうしても納得がゆかない、なぜだろう――。
浮かんだ疑問や、反論や、事例や、記憶や、脱線や、まるで関わりのない思いつきなどを、そら、その手に持った手帳に、書き留めるといい。書くことは考えることだ。
本はね、グレイスや、中立を偽装する。書かれていることが客観的な事実であると、人間一般に通用する真実であると、嘘をつく。そいつをおまえに信じ込ませるために、手練手管を弄して、おまえを説き伏せようとする。
真に受けてはならない。
どんな本であっても、だよ。
考えてもごらん、ここにならんだ本のほとんどすべてが、富裕な天人男性によって書かれているのだ。たったひとつの立場から放たれた意見に、偏りがないはずがないだろう?
本を、考えるための道具だととらえることだ。
あるいは、対話相手なのだと、割りきることだ。
おまえにとっての成果物とは、読み終えた本を積み上げることではない。読んだ冊数を数えることでもない。その手帳に書かれた、おまえ自身のことばなのだ。
読書における真に価値あるものとは、
本を読んでいるとき、おまえの頭のなかで巻き起こっている嵐そのものなのだよ」
語り終えて、マザーはにこりと笑った。
「どうだな、グレイス。
すこし、本に挑むことが怖くなくなったかな?」
「……ええ、すこし」
わたしは、じぶんの間違いに気がついた。
ならべられた本を、屹立する殿堂だとかんがえていたのだ。対話相手と、対等の相手ととらえていなかった。だから威圧された。だから圧倒された。
人間なのだ。
ことばは、人間なのだ。
相手が単なる人間であるならば、なにを恐れることがあるものか。
「……でも。
わたしは、どういう本から読みはじめたらいいのですか?」
「さあて。わたしには分からないね」
ふいと目を逸らして、マザーが本を書棚へと戻した。
「おまえがなにを知りたいかは、おまえ自身がいちばんよく知っているのではないかね? わたしがなにかを学べとおまえに押しつけるのは、無意味だ。興味を捏造することだけは、できないからね。
ひとつ助言をするとしたら――問いを立ててみることだよ。
人間とは、なにか。
世界とは、なにか。
真理とは、なにか。
いにしえの哲学者たちは、こうしたかたちで問いを立てて、本を読み、ものを考えたのだよ。
問いとは、おまえの人生における課題だ。心の底から湧き上がってくる、『知りたい』という渇望だ。そういう問いをひとたび立てられたなら、あとはかんたんだ。問いを口のなかでつぶやきながら、書棚をながめてごらん。読むべき本は、おのずと分かる――向こうから、おまえに声をかけてくれるだろうよ」
マザーが、去っていった。
わたしは、ひとりで書棚のまえに立ち尽くしていた。
問いならば、いくらでもあった。知りたいことならば、いくらでもあった。でも、そのなかで切実なほどに強い渇望は、いくつかにかぎられていた。ふわふわと浮かぶ不定形の観念を、つかまえて、ことばへと引き下ろす。
――洞人とは、なにか。
――自由とは、なにか。
――幸福とは、なにか。
――奴隷制は、なぜ終わらないのか。
――地下鉄道に、なにが足りないのか。
――わたしのなしうることとは、なにか。
問いを、手帳に書き留めた。
それから書棚へと向かう。十冊ほどが声を発しているように、思えた。わたしは本を選びだすと、空いていた机の端に積み上げ、椅子へと腰かけた。ランプを引き寄せる。
読みはじめた。




