030 無数のことば
駅での生活は、刺激的だった。
なにかが起こるわけではなかった。じっさい、平穏そのものといった日々だった。
しかし、わたし自身に起きた変化は、まさに劇的といってよかった。
午前中から夕方にかけては、学校へと通う。
子供たちだけではなく、大人たちも混じって読み書きを学ぶ。四苦八苦して黒板に白墨をすべらせる大人たちを笑うものはだれひとりいない。すべての向学心は、この主要駅では重んじられる。二十六字のアルファベットのかたちが黒板に書かれ、あとはみながひとつひとつを写しとる。決して早いとは言えない進度だったが、わたしも飽きずにおなじ字を書きうつした。
おかげで、アルファベットはわれながらきれいに書けるようになったと思う。
夕方を過ぎると、後は思い思いに時間を過ごしてよい。
子供たちは広い構内を自由に走りまわり、大人たちは集まってキルトを編んだり、合衆国に逃れたあとの生活設計などを話したり、ちょっとしたカードに興じたりする。食事はじゅうぶんに出されるが、酒はほんのすこししか出されない。もめごとを避けるためだと説明されたが、かんぜんな禁欲はマザーがきらっているのだそうだ。
夕方から夜までの時間、わたしは与えられた聖書と辞書に首っ引きとなった。
聖書を読み、知らない単語を辞書でひく。
説明文はどちらにしても読めないのだが、ヘスに読み上げてもらう。ひとつひとつの単語を、なんども黒板に書きうつし、頭へと叩き込んでいく。気の遠くなるような作業だったけれど、さいわい、時間ならいくらでもあった。
とにかく、ことばを知りたかった。
ひとつでも多くの単語を知りたかった。ひとつの綴りをおぼえるたびに、いままでぼんやりとしか見えていなかった視界が、すこしずつ開けていった。いまや目のまえに存在するあらゆるものの名前を、わたしは綴れるようになった――扉、机、木、奴隷、洞人、天人、自由……。
世の中のすべては、ことばでできている。
やがて、書くことも学んだ。
単語を連ねると、文になる。
文を重ねると、文章になる。
口で語るとあたりまえのようにできていたものが、文字に置き換えてみると、これほどむずかしいとは思わなかった。わたしは一文をつづると、ヘスのところへ持っていき、文法や単語のまちがいを正してもらうようになった。
そのうち、ちいさな黒板だけでは、足りなくなった。
詰めても、三から五文を書くのがせいぜいだ。紙が欲しい、と思うようになった。おおきな紙に、じぶんの文章を書いてみたいという思いが高まっていった。
そこで、フレデリックに相談してみることにした。
「紙と、鉛筆が欲しいって?」
眼帯男は頭を掻いた。
フレデリックの個室は、雑然としていた。いくつも置かれたソファのうえには上着やら肌着やらが乱雑に積みかさなり、机のうえには書類の山が四つはできている。そのうえにインク壺や鵞ペンを置いているようなありさまだ。吸い終えた紙巻き煙草が灰皿に山積みされ、かじりかけのチーズや飲みかけのウイスキー瓶が床に転がっている。
マザーの自室とくらべても、数倍は広いのに、見えている床は数分の一にも満たない。
「紙と鉛筆、ね。紙と鉛筆、鉛筆……どこいったかね」
ごそごそと部屋のあちこちを探しまわるフレデリックの尻を、わたしは眺めた。
書類の束がたおれ、ただでさえ散らかった床のうえに広がる。気にしたようすもなく、フレデリックは木の箱を引っぱりだしてきた。
「あったあった。こいつだ」
ふう、と埃を吹き飛ばし、じぶんでむせている。
「こいつを使うといい。エジソン氏がじぶんで発明した、新式の手帳だそうだ」
渡されたのは、小ぶりな聖書ほどの大きさの手帳だ。
なめした革をつなぎ合わせた、旅行鞄のような見た目をしている。表紙にはベルトが付けられ、ページが勝手にひらかないように留められていた。表紙を開けてみると、ちょうど背表紙のところにぴかぴかとした金属部品がとりつけられている。金属部品からはいくつかの輪っかが突き出ていて、そこで紙をはさんでいるようだ。
ぱらぱらと、ページをめくる。はさまれた紙には輪っかのおおきさとおなじ穴が空けられていて、一ページ一ページが、きちんとめくれるようになっていた。
「いいだろ、これ。
エジソンが発明のアイデアを書き留めるために工夫したんだそうだ。紙は入れ替えられるから、ページがなくならない。はみ出た紙は紐でくくってボール紙の表紙を付けりゃ、保存しておけるしな」
「もらっていいの? こんなにいいもの……」
「構わんさ。便利なこたァ分かるんだが、俺ァ筆無精だからよ。二、三日持ち歩いて、それっきりになってた。
この部屋で埃かぶってるよりゃ、こいつも本望だろ」
まとめて手渡された鉛筆のひと束といっしょに、手帳を持ちかえった。
じぶんのものを持つのは、考えてみればはじめてだった。うれしくて、寝台で抱えて眠った。
眠るのは、共同寝室だ。
就眠時間は夜の十時とさだめられている。希望するなら起きていてかまわないが、まわりはすでにまどろみのなかにいるから、ランプを持ってくるのはためらわれた。
暗やみのなかでどうにか手帳や聖書をひらけないかと試行錯誤したすえ、ようやく共同寝室を出ることに思いいたった。
まだ明るい部屋をもとめて、主要駅のあちこちを行き来した。
ようやく、灯火がうっすらと漏れている扉を見つけた――図書室だ。
おどろいた。
世のなかに、これほどおおくの本があるなんて。
本といえば、聖書か年鑑しか、わたしは知らなかった。旦那さまは書斎に数おおくの蔵書を揃えていたものだったが――この図書室に収められている本の数は、それを数十倍してなおあまりあるだろう。
すきまなく棚に詰め込まれた背表紙のならびを見ていると、目まいがした。
聖書の一ページを読むのに四苦八苦して数日をついやしているというのに、世のなかにはまだ、これだけの本が残されている。いかに時間をつぎこんだところで、わたしはここに並ぶ本の十分の一だって読めないのだ。
いまのじぶんがやっている勉強は、なんとむなしいものだろう。
ひとの生涯とは、なんと短いものだろう。




