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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.1 The Exodus of Grace/恩寵

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029 わたしはグレイス

 フレデリックに連れられて、マザーの部屋を出た。


 ぼうっとしていた。

 頭のなかに、まだあの声が反響していた──ふしぎな感覚だった。目のまえにいる老女は口をいっさい動かしていなかったのに、声だけが、ひびく。わずかに聞いたマザーの声とおなじ声であるはずなのに、だんだんと、そう感じなくなっていく。じぶんの声に聞こえていくのだ。


「声を、聞いたんだろ?」


 フレデリックが顔を覗きこんできていた。

 わたしはうなずく。


「ふしぎな感じだよな。あんな芸当は、マザーにしかできやしない。口を動かさずに、どんなに離れた相手にも、ことばを伝えられるなんてな」

「だれにでも、伝えられるの?」


 うんにゃ、とフレデリックが首を振った。


「どうも、違うらしい。

 伝えられるのは、同族──洞人ドワーフだけに限られるんだそうだ。天人ヒューマンやら先住民エルフやらには、あの声は届かない。彼女と面識があろうとなかろうと、だ。『大陸』の精霊が声を届けてくれるんだとかなんだか言ってたな。どういうしくみなのかは俺には分からねえけど、便利なこたァ確かだ。俺ァ、あんまり好きになれねえけどな」

「あなたも、聞こえるの?」

「おう、聞こえるぞ」


 声の感覚を思い出しているのか、くすぐったそうに耳を掻きながら、フレデリックが首肯しゅこうする。それからわたしの視線に気がつき、


「ああ、そういうことか……。

 かんちがいしてるようだから言っとくが、俺は天人ヒューマンじゃねえぞ」

「えっ?」

「こう見えても、洞人ドワーフだ」


 フレデリックの全身を、わたしは眺めた。

 どこからどう見ても、天人ヒューマンにしか見えない。白い肌、長身、波うつ長髪──瞳や髪の色こそ黒だったが、それだけで彼を洞人ドワーフだと見やぶることはできないだろう。


「まあ、お察しのとおり、俺は天人ヒューマンの血が強えからな。じぶんでも気づかなかったぐらいだ──例の『内戦ザ・シヴィル・ウォー』が起こるまでな。

 俺ァ、北軍の従軍牧師でな。洞人ドワーフの志願兵部隊に同行してたんだが、ある日の戦闘で負傷しちまって、南軍の捕虜になったんだ。そりゃあ丁重に扱われたよ──俺の血に、洞人ドワーフの血が混じってるって分かるまではな」


 フレデリックは苦々しく奥歯を噛み締めた。


「そりゃもう、びっくりしたぜ。

 じぶんでも知らなかったからな。そもそも、合衆国内だったらさほど大した意味を持たない。どんな血が混じってようが、個人は個人だ──ってのが、建前だからな。

 だが、連合国じゃ、違った。

 洞人ドワーフ捕虜となったしゅんかん、俺の扱いは目に見えて酷くなったよ。わけが分からなかった。この連合国〈くに〉での定義が、『一滴でも洞人ドワーフの血が入っていれば、洞人ドワーフ』だって聞かされても、納得はできねえよ。

 ……ひでえもんだったよ。

 思い出したくもねえやな、その時期のことは。かんたんにまとめるなら、目玉をひとつ潰されただけで生還できたのが、奇跡ってとこだ」

「……その恨みで、地下鉄道アンダーグラウンド・レイルロードに?」

「いや、恨みとかじゃねえな。

 俺、こう見えて四人の娘がいんのよ。じぶんで言うのもなんだが、まあできた娘たちでな。でも、いまの世の中だと、奴隷の身になりかねねえ。俺から、洞人ドワーフの血を受け継いでるわけだからな。

 だから、そんな世のなかを変えちまいてえんだ。

 娘たちが淑女になるまえに、な」


 フレデリックの歩く背中を、眺めていた。

 この地下鉄道アンダーグラウンド・レイルロードという組織は、さまざまな思いが持ち寄られてつくられているらしい。このやくたいのない世界に抗うには、そういう思いが必要なのだ。


 と、フレデリックが足を止める。


「さて、着いた」


 廊下の先にあった扉が、がらりと開かれた。

 かなり広い部屋だった。机と椅子とが等間隔に並べられており、それと対面するように、一段高い席がある。ちょうど、教会の説教壇のようなかたちだ。異なるのは、壇の背後に黒っぽい板が貼り付けられている点だ。扉を横だおしにしたような大きさの板には、黒い塗料が塗られているらしい。その上には、白い石でこすりつけて書かれたらしい文字や図形が、いくつも描かれている。

 なにをする場所なのだろう、とわたしは首を傾げた。


「ここが、教室だ。

 まあおおよそ午前中から夕方にかけて、ここでおまえは読み書きやかんたんな計算を習うことになる」

「教室……?」

「学校、つったほうが分かりやすいか?」


 学校。

 学校と、言ったのか。


 わたしは思いかえす。

 母といっしょに、夢を見たことを。『お父さん』が迎えにきたら、北部の学校に通い、読み書きや歴史を学ぶのだと。そこには同世代の友人たちがいて、日々のパンを心配することもなく、ただ学び、遊び、恋をし、未来に思いを馳せ──希望に満ちた暮らしを、するのだと。


 わたしは、机に触れた。

 椅子の背を、撫でた。置かれていた小さな黒板を手に取り、紐が付いた白墨をそっと握った。

 学校がこういうものなのだと、知らなかった。

 知らずに、憧れていた。


「お母さん」

 

 つぶやいた。

 わたしはいま、ここに立ったよ。そう、胸のうちで呼びかけた。


「さて、だ」

 フレデリックの咳払いで、わたしは我にかえる。

 隣にはヘスのすがたもあった。ふたりは並んで壇上に立つと、それぞれ白墨の一本を手に取り、文字を書いた。


 FREDERIC MARCH──フレデリック・マーチ。

 HESTER PRYNNE──へスター・プリン。


「さて、改めての自己紹介だ。

 俺の名前は、フレデリック・マーチ。皆には『ファーザー』と呼ばれてる。この地下鉄道ザ・レイルロードで、『車掌』を請け負ってる」

「私はへスター・プリン。いちおう『シスター』という暗号名だけど、『ヘス』って呼ばれることが多いわ。この主要駅で『駅長』を任せてもらってます。

 あとは、この教室でみんなに字を教えるのも私の担当。よろしくね」


 わたしは、ぺこりと頭を下げる。


「違うだろ」

 フレデリックが教壇に置かれていた鞭を、いたずらっぽく鳴らしてみせた。

「名乗られたら、名乗り返す。それが礼儀だ。きみの名前は?」

「グレイス、です」

「どんな字を書く?」


 わたしは硬直する。


 じぶんの名前のつづりを、わたしは覚えていない。

 アルファベットはひと通り教えてもらったから、かんたんな単語なら読み取ることはできるが──そのなかに、じぶんの名前は入っていない。

 とうぜんだ。

 奴隷は、字を学ぶことを許されていないのだから。

 もしじぶんの名前を練習しているところなんて見られたら、鞭では済まない。


「書け、ません」


 やっとのことで言うと、ヘスが「さいしょのレッスンね」と、黒い板に白墨をすべらせる。きれいな文字で、「GRACE」と書かれた。


「これが、あなたの名前。

 手元の黒板に、書いてみなさい」


 机のうえに置かれていた小さな黒板を、手に取った。先の尖った白墨を、わし掴みにする。黒板の表面に先を下ろしたとたん、白墨の先端は、ぽきり、と音を立てて折れてしまった。


「あっ……」


 ヘスの顔を盗み見る。

 怒っては、いないようだ。


「白墨は、指先でつまむように持つの。そうすると手元も見えて書きやすいし、適度なちからがこもるわ」

 おずおずと、いう通りにする。


「そう、それでいい。やり直して」


 わたしは、ゆっくりと書いた。

 じぶんが白墨をすべらせていくと、そこに字が生まれる。奇跡のようだ。線を書くことが、これほど気持ちのいいことだなんて、思わなかった。おのれの手でことばを生み出すことが、これほど嬉しいことだなんて、知らなかった。黒板に顔をうずめるようにして、わたしは書いた。


「あ」


 まちがえた。

 白墨を持ち上げると、黒板には「GRC」と書いてしまっている。「A」を先に書かねばならないと、分かっていたのに。


「だいじょうぶ。白墨はこすれば、自由に消せるのよ」

「待ってろ、その辺にぼろきれがあったはず──」


 待てなかった。

 わたしは手の腹で黒板をこすり、たんねんにこれまでの痕跡を消した。もう一度、書ける。もう一度、挑戦できる。わたしはまた、黒板に顔をうずめた。


 G。

 R。

 A。

 C。

 E。


 グレイス。


 グレイス。


「グレイス──!」


 わたしは、黒板を目の高さに持ち上げた。

 そこには、たどたどしく、お世辞にも見栄えいいとは言えない文字が、並んでいる。しかし、わたしの書いた文字だ。まぎれもなく、わたしの名前だ。

 黒板を、ヘスとフレデリックへと向ける。

 ふたりが、ほほえんで頷いた。


「わたしは──っ」

 涙があふれ出た。これまでのすべての記憶がよみがえる。渦を巻いて頭のなかを掻き乱していく。頭を振って、涙を拭いた。


 それから、宣言した。


「わたしは、グレイス。

 わたしの名前は、グレイスです」



ここまでで第一章完結です。


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