表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.1 The Exodus of Grace/恩寵

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/110

002 こーん、こーん、こーん

 誰もが、見ないふりをしていた。

 目を逸らしていても、けたたましい羽音は聞こえつづけている。幾十匹もの蝿が、格好の餌食を見つけて歓喜に踊っている。


 トビー。

 正確には、トビー、だったもの。


 鉱山にいたる道の片隅に、それは晒されていた。

 すでに異臭を放ちはじめているそれは、苦痛と絶望に目鼻を歪めたままに事切れていた。からだじゅうにいくつもの穴が空き、涙のように流れた血の跡が乾き、黒ずんでいる。はげしい苦悶に身をよじらせた形跡はあったが、もうふたたび、動くことはない。

 さきほど眺めたとき、乾いて皺の寄った眼球に、蝿が止まっているのに気づいて、おまえは目をそむけた。


 おまえは斧を振るっている。

 こーん、と高い音が響いて、老いた樹の肌に刃が打ち込まれる。ちからいっぱいに引き抜いて、もういちど打ちこむ。こーん。これを、ただえんえんとくりかえす。

 いよいよたおれるときになると、声をあげる。

 ほおい、という声。声を合図に、周囲ではたらく洞人たちが、ゆっくりと倒れ込む樹を避ける。


 こーん、こーん、こーん。

 こーん、こーん、こーん。

 ほおい。


 いたるところで、これが聞こえている。

 その律動に意識を向けて、労働そのものに没入していきながら、死臭と、蝿の羽音とを忘れようと、ただ努めている。なにもかんがえるな。なにも見るな。奴隷たちはおのれに言い聞かせる。なにもかんがえるな。なにも見るな。正気を保っていたいのなら、なにも。


 トビーの逃亡が発覚してから、おおよそ三日が経ったころ。奴隷たちは、熱っぽいことばを交わし合ったものだった。

 ふつうなら、一日も保たずに捕まってしまうものが、二日目になっても、三日目になっても、捕まらない。奴隷狩人スレイブ・ハンターの手も、猟犬の牙も、トビーを引きずり出すことはできていない。


 ひょっとして、と奴隷たちはささやいた。


 トビーは、逃げおおせたのではないか。

 トビーは、地下鉄道アンダーグラウンド・レイルロードにめぐり会えたのではないか。

 いまごろ、約束されたカナンの地で自由身分を手に入れ、なにものにも所有されない生活へ漕ぎ出したのではないか。

 希望とともに、その名が語られた。


 しかしいともたやすく、希望は打ち砕かれる。

 いつものように。


 集められた全員のまえに、トビーが引き出されてきたとき、奴隷たちのあいだには嘆息が広がった。漏れたため息は、しかしすぐに飲み込まれる。

 旦那様は、みずからの財産が目減りしてもいい、と決めたのだ。

 トビーは見せしめとなった。

 いのちが傷つけられ、焼き尽くされ、絶望と悲嘆の声が農場の隅まで響きわたった。

 並べられたおまえたちは、あいだに控えた奴隷監視人オーバーシーアたちが目を光らせているせいで、目を逸らすことも、耳を塞ぐこともできず、トビーの死を見守った。


 グレイスよ。

 おまえも見たのだ。

 死にゆく仲間のすがたに、将来のじぶんを重ね合わせずにいることなど、おまえたちの誰にもできはしない。だからおまえも、磔にされたおまえを、見たのだ。逃亡を企てた末路を、夢を見た挙句の罰を、自由を願うことの罪深さを、味わったのだ。

 舌の上にいまでも残る苦味は、そういうものだった。


 だからおまえは、斧を振るっている。

 腐りゆくトビーから目を背けながら。

 夢見ることを遠ざけながら。


 なにも見るな。

 なにも考えるな。


 こーん、こーん、こーん。

 こーん、こーん、こーん。

 ほおい。


 馬蹄の音が響く。

 あらわれたのは、流麗たる白馬だ。

 うつくしい毛なみと、金のかかった装具を身につけ、堂々とした闊歩ですすみ出でてくる。馬なりに、おまえたちのごとき奴隷たちよりもよほど珍重がられていると、解しているのだろう。まなざしには自尊がふくまれている。


 白馬にまたがるのは、旦那さまだ。


 愛馬に負けず劣らず、肌が白い。飽食と贅沢によって磨かれた肌だ。なかにはみっちりと肉が詰まっていて、どこを触れてもはね返しそうだ。

 しかし露出はきわめてすくない。五月のじっとりとした気温のなかであっても、幾重にも重ねられたやわらかな生地にからだを包み、錦糸銀糸にいろどられた装飾で見るものの目をくらませている。


 これぞ、天人ヒューマン

 白い肌と天与の権利をもち、数多くの洞人ドワーフたちを所有する、生まれついての支配者階級。

 南部を支配する、いと貴き、青い血の持ち主。


 その顔は、満足にかがやいている。

 おのれの築きあげたものを眺める、経営者のまなざし。地平までを埋め尽くす奴隷たちの機械的労働によって、じぶんの財布がすこしずつ重たくなってゆく感覚を、心ゆくまで愉しんでいる面差しだ。


 ただし、これはおまえの見てとったものではない。

 おまえは、ちらりと目を向けただけで、すぐに顔を伏せている。視線を向けるような不遜を、奴隷監視人オーバーシーアは許さない。旦那さまのすがたを見つめるような背徳行為には、かならず鞭が待ち受けている。


 なにも見るな。

 なにもかんがえるな。


 こーん、こーん、こーん。

 こーん、こーん、こーん。

 ほおい。


「旦那さま!」

 喜色をほとばしらせるような声で、奴隷監視人オーバーシーアが叫ぶ。


「わざわざこんなところまで……先にお教えくだされば、お迎えをやりましたものを!」

 媚びがたっぷりとふくまれた口調に、旦那さまは倦んだように鼻息を鳴らした。

「御身みずから、奴隷どもの働きをお確かめに?」

「いいや。私のこどもたちは、しっかりやってくれておるだろう? そのために、おまえを雇っておるのだ」

 南部貴族らしい、たっぷりと間をとる、きどった抑揚。


「もちろんにございます、旦那さま」

 へつらいに満ちた、奴隷監視人オーバーシーアの声色。


 あれほど権勢と鞭をひけらかす奴隷監視人オーバーシーアといえど、身分は雇われ人にすぎない。自前の土地や奴隷を持つことなどとうていかなわない、貧乏天人プア・ホワイト

 おまえのような洞人ドワーフと、さしたる差はないのだ、実のところ。


「それよりもな、私は教育に来たのだ」

「教育、とおっしゃいますと?」

「よく考えてみればな、きのうのあのすばらしい教訓的なできごとを、屋敷づとめの奴隷どもには見せてやっておらなんだ。これでは、()()()()()()()()()()トビーも浮かばれない」

「なるほど。それできょうは、全員を連れておいでなのですな」


 おまえは顔をあげた。


 馬にまたがったままに監視人オーバーシーアと語らう旦那さまのうしろに、ずらりと奴隷たちがならんでいる。

 お屋敷づとめの、きれいに着飾った、使用人たち。


 そのなかにはもちろん――


「お母さん」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ