027 緋文字
抵抗もむなしく、おまえは着衣を剥ぎ取られた。
台所の片隅だ。まわりに誰もいないのは救いだったが、下着すがたでは、いざというときに逃れにくい。不安を抱いたまま、おまえはヘスの背中へ恨みのまなざしをそそぐ。
「さあさあ! 洗うわよ!
あなた、雨が降ったつぎの日の仔犬みたいな臭いがするもの。うんと石鹸が要るわ」
ヘスは修道服の袖をまくり裾をからげている。細い二の腕と、色の白さが目立つふくらはぎが眩しい。いまこの場にはおまえと彼女しかいないとは言え、ずいぶん慎みのない恰好だった。
沸かした湯をおおきな桶にうつして、井戸水でうめているすがたを、おまえは見つめた。
このひとは他人の見る目に頓着しないのだ、とおまえは気がつく。これぐらいの年齢の天人といえば、着かざり、しぐさをうつくしく見せることに意識のすべてを注ぎこむものと相場が決まっている。そう思い込んでいたおまえにとって、この女性は新鮮に映った。
──だからといって。
信用できるわけでは、ない。
なにせ、天人だ。洞人では、ない。地下鉄道に属しているからには、悪い人間ではないのだろうが……立場がかわれば、どうなるかはわからない。おまえはヘスを見つめた。
見きわめなければ。
目のまえにいるこのひとが、どういう人間か。
と──。
「あら。どうしてまだ脱いでないわけ?」
下着すがたのおまえを、ヘスが見とがめた。
「ぜんぶ脱がないと、洗えないじゃない」
いやだ、とおまえは思う。
ぜったいにいやだ。こんな天人の女なんかに、見られてたまるものか。おきれいな柔肌をむぞうさに晒すような女に、知られてたまるか。見くだされてたまるか。
従わない、とおまえは決めた。
この先、二度と天人なんかには従わない。善人づらをして近づいてきたって、おなじことだ。わたしは折れない。そう決めた。
ヘスを睨みつけた。
「……脱ぎたくないの?」
おまえは、無言だった。
「見られたくないの? それとも、服を脱ぐのが嫌?」
無言。
「怖いの?」
無言。
「わたしが出ていったほうがいい?」
無言。
「その目。
その目を、むかし見たことがあるわ。鏡のなかに」
無言。
「……ひとつ、話をしてもいい?」
無言。
「私ね。
むかし、ひとりの男のひとを愛したの。すてきなひとだった。出逢ったしゅんかんに雷に打たれるみたいな恋に落ちて、惹かれあって、親の許しを得るよりもはやく、結ばれていた。
すごく、自然なことだったわ。
私たちにとっては、すごく自然なこと。
……でもね。世間にとっては、そうではなかった。彼は洞人で、私が天人だったから。
私たちのひそかな結びつきは、ずいぶんつづいたわ。両親に知られたときには、私のお腹はふくれていたわ。腕っこきの産婆さんでも、もう遅いって言うくらいにね。両親はそれを聞いて、諦めたの。そして、認めたわ。
私たちの結婚を、ではなく、
私という娘が、もういなくなったのだと」
無言。
「ある日、帰ってくるとKKKがいた。
彼らは包みを持っていた。笑いながら、私にそれを開けるよう言ったわ。ひと抱えもある布のかたまりからは、ものすごい臭いがした。
私は開けて、泣き叫んだわ。
愛したひとの首は、乾ききっていて、何十匹もの蝿にたかられていたの」
ヘスが、修道服のボタンをはずしはじめる。
おまえは無言のままに、見つめた。
「KKKは、私を連れていった。
背中に、おそろしく痛い針をなんどもなんども刺されたわ。おしまいに、私の顔に、この『A』を彫った。
『これは頭文字なのさ』と彼らは言った。
『なんの頭文字だか、分かるか?』
私は分からないと言った。
そうしたら、彼らは言ったの。
『鏡で背中を見てみるがいい』──と」
修道服が、はらりと落ちた。
彫刻のように均整のとれたからだを、ヘスが後ろへ向ける。
背中には、赤い文字で、
『姦淫《ADULTERY》』と彫られていた。
おまえの、乏しい語彙のなかにはないことばだった。しかしその筆致のまがまがしさと、鮮血にも似た赤色のなまなましさだけは、分かった。
目をそむけることが、できなかった。
目をそむけてはならない、と思った。
「生まれた子供は、連れ去られたわ。女の子だった。どうなったかは知らないけれど、洞人の血を引いた赤ん坊をKKKがどう扱うかだけは、知ってる。
そうして、私はひとり残されたの。
この世界のなかに、ただひとり。
もう、だれにも裸を見せることができないって思ってた。でも、おなじように、傷ついた女の子たちがいるって、気づいたの。この『地下鉄道』で働きはじめてからね。それから、これを見せることが怖くなくなった」
無言。
「あなたが、肌を見られたくないって思うなら、それでいい。無理することはないわ。
私は服を着て、出てく。
ここにきれいな服と、清潔な布を置いていくわ。気が向いたら、布と湯で、汗を拭いて、きれいな服に着替えて。私は扉のすぐ外に立ってるから、とちゅうでだれかが入ってくる気遣いはないわ。終わったら、教えて」
おまえは、口を開く。
頑なな態度をとっていたことを、恥じた。
「おことばに甘えても、いいですか」
「もちろん」
「あなたはいいひとです。いいひとだと、思います。でも、肌を見せるのはいやです。できません。あなたがいいひとであっても、女のひとであっても」
「分かったわ」
なにごともなかったかのように、ヘスは修道服を身につけてゆく。首までのボタンを留めなおすと、すっかり元どおりの修道女がそこにいた。
「ありがとう」
礼のことばは、すなおに出ていた。じぶんでもおどろくほど、すんなりと。何年ぶりに、心の底からお礼を言っただろう。
ヘスはおどろかなかった。
こちらに向かってお辞儀をしてみせ、扉を開けて出ていった。さいぜんのことばどおり、扉の向こうに立ってくれているのが、気配で分かった。
おまえは、おずおずと下着を脱ぎすてた。
鏡をなるべく見ないように努め、湯に布をくぐらせながら、一心に、肌をこすった。
泣いていた。
だれにも、泣き声を聞きとがめられない。
大声をあげて、むせび泣いていた。涙が桶に落ちて、湯に溶けていった。




