026 到着
メトロが停止した。
おまえは眼帯の男のあとにつづいてメトロを降りる。降りたしゅんかんに取り押さえられることののないよう、じゅうぶんに警戒しながら。
しかし――。
圧倒とともに、警戒はうしなわれた。
見たこともないほどに巨大な建造物だった。
おまえが見上げた天井は半球型になっており、ちょうど巨人がスープ椀をうらがえして重ねたようなかたちだ。中心から放射状に延びた骨格が、そのまま柱となって天井をささえている。天井に手を届かせようとすれば、おまえの背丈を一〇〇倍にもする必要があるだろう。
線路は、十二もの数が並行に走っており、おまえがいま降りてきたのと合わせて、五台のメトロが停車している。うち二台は出発が間近であるらしく、洞人たちが搭乗口にぞろぞろと乗り込んでいるのが分かる。
──奴隷じゃない。
質素な服をまとってはいるが、その洞人たちは奴隷特有の緊張と諦念をみじんも感じさせない。ほがらかに談笑し、これから小旅行でもたのしもうとする天人みたいに、どこかうわついている。じっさい、彼らの手には、ボール紙でできた簡素な旅行鞄がにぎられているのだ。
「……あの『乗客』たちは、これから国境へと向かう」
おまえと視線をかさねるようにしゃがんだ眼帯の男が、説明した。
「行くあてを持たない逃亡奴隷たちは、みな一度この駅へと集められる。体調が復調をとげ、マザーとの面談を終えてこれからの方針をさだめたら、あのメトロへと乗り込むのさ。
つまり、いよいよ自由を手に入れるときだ。
俺たち地下鉄道の支援者が、合衆国にいるんだ。メトロでそこまで届けたあと、一部は合衆国内で就労し、一部はカナダまで向かう」
「カナンの地──?」
奴隷たちのあいだでささやき交わしていた隠語を、おまえは口にした。
合衆国よりも安全な地。
逃亡奴隷の引き渡し要求を突っぱねる、奴隷狩人の恐怖からかんぺきに解放された、約束の地。
「そこまでの理想郷ってわけじゃ、ねえけどな。
合衆国だろうがカナダだろうが、洞人がかんぜんに平等に扱われるわけじゃねえ。理想郷の実現までは百年がとこ、かかるだろうよ」
だがな、と眼帯の男はつづける。
「あの顔を見てみろ。希望に満ちてる。未来を見つめて、じぶんや家族のために努力をかさねる覚悟を持ってる。
克己と勤勉に身をささげ、夢をひたすらに追いもとめる──あれが、アメリカ人ってもんさ。
俺たちの夢は、あの顔をこの大陸いっぱいに満ちあふれさせることだ」
おまえの両肩が叩かれる。
振り返ると、眼帯の男が意外に人懐っこい笑顔を浮かべていた。触れられたことで呼び覚まされた緊張が、その表情を見てほどけていく。
「な。いいとこだろ。
ここが俺たち地下鉄道が誇る、『主要駅』だよ」
主要駅。
リーマス老人が語っていた。目的地を持たない逃亡奴隷は、まずこの場所に向かうのだと。
しかしまさか、これほどの規模とは思わなかった。おまえは飽きずに天井を眺める。陽が入らないはずなのに、この場所はまるで昼のように明るい。高い天井に、いくつもの電灯がぶら下げられているのをおまえは見た。旦那さまの使うシャンデリアだって蝋燭だったというのに、ここはふんだんに電気をつかっているのだ。
「おい、この便の『乗客』はこの子だけか?」
ひとりの洞人男が、眼帯の男に話しかけてきた。さきほどメトロのなかにいた洞人と同じ服装をしている。紙ばさみと鉛筆を手にし、どうやら『乗客』の名簿をつくっているらしい。
彼らは、いうなれば駅員なのだろう、とおまえは気づいた。
「そうだ」
「たったひとりのために、メトロを?」
「マザーの指示だ。彼女が、この子に会いたがってる」
ほう、と男がおまえを振り返る。
「では、この子が」
「そう。例の、『驚くべき少女』だよ」
「そうか……。リーマスの、さいごの『乗客』か……」
リーマスの名に、おまえの胸がちくりと痛む。
とうぜんのことだが、このひとたちはリーマス老人を知っているのだ。わたしのせいで、彼が捕まったという事実も、知っているんだろうか。メアリーを死なせてしまったことも、知っているんだろうか。
だが、彼らの向けてくる視線に、責めるような色はなかった。
「しかし、この子がな。……べつにこれと言って変わったところのない、ふつうの女の子だ。ほんとうにこの子が、預言にあった『後継者』なのかい?」
「さあな」
眼帯の男が肩をすくませる。
「あの『旧い馬車』の考えるこたァ、俺には分からんよ」
旧い馬車。
その単語を聞いたとたん、おまえの頭のなかに映像がよみがえる。安楽椅子に揺られる、銀髪の老女。北をめざしておいで。わたしたちがかならずおまえをつかまえてあげるから。
おまえのなかに、すべてがよみがえる。
いままで忘れていた、あの夢を。北を目指して走りつづけるに至った、動機を。
おまえは拳を握りしめる。
わたしはあのひとに会わなければならない、と思う。
と。
「まあ、なんて恰好してるの!」
もの思いは、ふいに現れた修道服の女によって断ち切られた。
まだ二十代の半ばとおぼしき若い女だ。天人としても長身で、目鼻立ちがくっきりとした美女だった。しかしいちばんに目をひくのは、顔にきざまれた赤い入れ墨だ。飾り気のない『A』という文字が、左頬から左眼を超え、眉頭にいたるまでをつらぬいているのだ。抜けるように白い肌と相まって、見るものに目をそむけさせるような痛ましさを抱かせる。おまえも、ちらりと目を向けてからはすぐに視線を右の目へと移した。
しかし、本人はいっこうにかまわぬようすで、おまえのからだをぱたぱたと撫でまわし、
「あらあらまあまあ! こんなによごれて、こんなに傷をつくって……。
まずはお風呂ね、それから手当てだわ。破傷風なんてならないといいのだけど。きれいな服はいくらでもつくり置きがあるけれど、時間が時間だから食べものの支度がないわ。あたたかいものをひと口食べて、体温を上げないと。
さあ行くわよ」
「おいヘス」
おまえと腕を組んで──というよりはおまえを捕まえて──さっさと行こうとした修道女を、眼帯の男が制止した。
「落ちつけって。まだこの子は義務を果たしてない。マザーに招かれたんだぜ、まずはマザーに会わせてから──」
「なに言ってるのフレデリック、もう片方の目玉まで落っことしてきたわけ?」
修道女に噛みつかれ、フレデリックと呼ばれた眼帯の男が後ずさる。
「この子を見なさいよ。
ぼろぼろで、よごれきってて、お腹も減らしてる。こんなにかわいそうな女の子にまで、あなたは『義務を果たさなきゃパンはなしだ』なんて言うわけ? 四人の娘の父親、寛大なるファーザーはどこへ消えたの?」
「頼むよヘス。今回の『車掌』は俺なんだぜ──」
「この駅の『駅長』は私だわ。この駅に着いたからには、私の指示にしたがってもらいます。たとえ相手が、かの、有名な、偉大なる、フレデリック・マーチ様であろうともよ」
ヘスと呼ばれた修道女が、フレデリックの胸を人さし指で何度もつつく。根負けしたように、フレデリックは両手をあげた。
「……分かった分かった。あんたに任せるよ、ボス」
「それでいいの」
ヘスの顔が、にっこりとこちらを向いた。
有無を言わせない笑顔に、おまえの顔が硬直する。




