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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.1 The Exodus of Grace/恩寵

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023 罪

 ごりごりと、背中に当たる石の感触に、目を覚ました。


 おまえは、川岸へと流れついていた。

 からだはかんぜんに冷え切っている。全身にくまなく痛みがあり、身じろぎひとつするだけで、それらが骨を突き刺してくる。陽が高かった。周囲に樹々はなく、風がつめたい。

 四つん這いになった。

 よろめくようにして、おまえは樹のあいだへと這いずっていく。


 ひどい怪我は、ないようだった。

 いくつかの骨にひびは入っているかもしれないが、それだけだ。すぐに死ぬことはない。

 それでも、傷を負っていない箇所はなかったし、打撲による内出血とすり切れた傷とで、皮膚はまだらになっている。首尾よく治ったとしても、だれもが目を背けるような痕が残るだろう。もうだれのまえにも、裸をさらすことはできなくなるだろう。


 どうでもよかった。

 もう、どうでも。


 おまえは、さいごの瞬間を思い描いた。

 あのときの内臓が浮き上がるような感覚を、メアリーのほほえみを、その胸に突き刺さる刃のきらめきを、思いかえしていた。


 なぜ。

 なぜあのとき、あそこにいたのはじぶんではなかったのか。


 メアリーを救えて死ねたなら、こんなきぶんになることはなかっただろう。

 神さまを呪っても、じぶんを呪うことなどなかったはずだ。


 死にたいとすら、思えなかった。

 すべての欲求が絶えているようだった。


 おまえは横たわった。

 倒れた枯木を枕にして、樹々のすきまから、空を眺めた。逃亡生活がはじまってから、数百回もそうしたように。やがて、肌のうえを、数匹のありが這いのぼってくる感覚があった。おまえはそちらに目を向けた。蟻たちはきょろきょろと黒い肌のうえを這い回りながら、いまじぶんの下にあるのが地面なのか、それともおおきなごちそうなのか、確かめるのに余念がなかった。

 手を出して、払いのけていいものか、迷った。

 蟻の餌になるのが、似合いの結末かもしれないと、思った。


 しかし、だめだった。

 うすく開いた口のなかに蟻がはいったしゅんかん、おまえは、舌のうえに残るそれを、噛みつぶしていた。酸っぱい味が、口のなかに広がる。


 からだが、生きようとしていた。

 おまえのこころなど置き去りにして、ただ、生きようとしていた。


 立ち上がった。

 きゅうな動きに泡を食ったように、残る蟻たちが地面を逃げまどっている。


 おまえはけものの無表情で、それを眺めた。


 もはや、こころを機能させることはやめていた。

 おまえは手をだらりと垂らしたまま、前傾姿勢で、歩みをはじめていた。空を見上げることはなかった。日が暮れるのを、待つこともしなかった。北を目指すことすら、忘れていた。


 目的もなく、歩いた。


 樹をよけ、草を踏み、枝をかいくぐって、歩いた。おまえは気づいていなかったが、その足が、しぜんと踏み固められたけもの道をとおっている。理性がはたらいていれば、そういうけもの道は避けただろう。獲物を追う狩人ハンターたちも、そういった道をいくからだ。しかし、おまえには関わり合いのないことだった。いのちを保とうとする本能だけが、おまえを突き動かしていた。


 樹々を抜けた。

 草原を歩いていく。やがて道が生じて、柵が張りめぐらされ、整地された畑へと踏み入っていた。あれほど避けていた人里に、むぞうさに、立ち入っていた。


 人家を見た。

 ちいさな家だ。

 おまえは吸い寄せられるようにそちらへ向かった。


「そんなところにいたのか! おとなしくこっちへ来い!」


 大喝だいかつがひびいた。

 おまえは無表情のままに振り向いた。おまえを呼んだのではなかった。家からすこし離れた場所で、樽のあいだに身を潜めていた洞人ドワーフの少年が、天人ヒューマンの農夫に引きずりだされているのだった。まだ、七歳にも満たないであろう、ちっぽけな子供だ。農夫はシャツの腕をまくり、毛むくじゃらの上腕をあらわにして、少年の首根っこを掴み上げていた。


「嫌ですだ、旦那さま!」

 少年が泣き叫んでいた。

「殺すのはやめてください! おらは――」


「だめだ! 早く来い!」


 怒鳴りかえす農夫の手に、おおきな斧が握られているのを、見た。


 おまえのなかに、閃光がよぎった。

 トビーの苦悶のままに事切れた表情が、旦那さまの酷薄な笑みが、奴隷追跡人スレイヴハンターの怒鳴り声が、中年女の金切り声が、頭のなかで弾けていた。


 ――殺せ!

 ――はやく殺して!

 ――汚らしい泥んぼ(ディガー)が!


 農夫は、少年を引きずるようにして、暗い物置へと消えていった。


 おまえは、後を追った。

 切り株に突き刺さったままの手斧を、そっと、抜き取りながら。理性がかんぜんに戻ってきていた。おまえは冷え切った頭で、ただ、成すべきことを成さねば、と思った。


 物置のなかは、想像よりも暗かった。

 少年の泣き声が、しゃくり上げるようにひびいている。絶望の声を覆いかくすように、農夫が、こちらに背中を向けている。しのびよる逃亡奴隷には、気づく気配さえない。農夫は斧をにぎり直している。もはや、一刻の猶予もない。


 ためらわなかった。

 おまえは、手斧を振りかぶり、農夫の頭にいきおいよく叩きつけた。


 暗い物置のなかで、熱い液体が噴き出した。

 壁をよごし、おまえの顔に掛かった。農夫のからだがまだ動いているのを見て、二度、三度と、斧を叩きつけた。ぐしゃり、ぐしゃりと頭蓋骨がくだけ、噴出する血のなかに、どろりとした脳のかけらが混じった。


「あ、ああああ、あああ、ああああああああ!」


 断続的な悲鳴をあげる少年の、手を取った。


 手斧は捨てていこうとしても、手から剥がれなかった。

 片手に手斧を、片手に少年を掴み、物置を出た。


「だいじょうぶ、だいじょうぶだから。だいじょうぶ。身を守るためだったから。しかたないの。これは罪ではないの。だいじょうぶ。だいじょうぶ、わたしが守るから」


 うわごとのようにくりかえすおまえの手が、振りはらわれた。


「旦那さま」

 少年が、泣きながら主人の死体へと駆け寄っていくのを、おまえは見た。

「旦那さま、旦那さまあ。ああ、ああああああ、ああ、あああああ」


 振りはらわれた手を、返り血で赤く染まった手のひらを、おまえは見つめた。

 分からなかった。

 どうして振りはらわれたのか、分からない。どうしてあんな天人ヒューマンなんかにすがりついて泣くのか、分からない。どうしてわたしを拒絶するのか、分からない。


「……あなたも、天人ヒューマンなの?」


 ならば、殺さなくては。

 しぜんと浮かんだ選択肢とともに、おまえは手斧をにぎり直した。


「違うよお、違うよお、おらは洞人ドワーフだよお。なんで、なんでだよお、なんで旦那さまを、あああ、あ、あああああ、ああ」

「なら、どうして? 殺されそうになったくせに、どうして――」

()()()()!」


 少年が、物置の奥を、指さす。


 足を縛られ、渡した竿のあいだに吊るされた仔豚が、そこにいた。

 下には、血を受けるためのバケツが置かれ、農夫の持っていた斧が、その傍らに落ちている。それらが、じわじわと広がってゆく血だまりに、飲み込まれようとしていた。


 ぶう、ぶう。


 仔豚が鳴いた。なにも理解せずに、ただ吊るされていることをいやがるように。


「――あ」


 おまえは、悟った。

 仔豚を、つぶそうとしていただけだったのだ。

 それを、この少年が嫌がっていたのだ。きっと、かわいがっていた仔豚だったのだろう。みずからの手でつぶさせようとしたか、どういうふうに肉にするのかを、見届けさせようとしたのだろう。農家では、あたりまえの教育を、少年に施そうとしていたのだ。ただそれだけだったのだ。この、農夫は。


「――あ、ぁ、あ……」


 震える手で、手斧を見つめた。

 おのれの、返り血にまみれたからだを、見下ろした。


 誤解だった。

 誤解で、おまえは殺した。

 罪のないひとを、殺したのだ。


 一歩。二歩。

 おまえは後ずさる。

 愛する主人を殺されて泣きわめく、無垢な少年を、見つめながら。その光景を、だんだんと遠ざけていきながら。


「ルディから、離れて!」


 裏返った少女の声に、おまえは振り向いた。


 この農家の娘とおぼしき赤毛の天人ヒューマン少女が、立っていた。

 涙をにじませながら、まなじりを決して、こちらにピッチフォークの歯を向けている。農具の先が震えて、ぱらぱらと数本の干し草が落ちてきている。


「ルディから、離れて」

 歯を鳴らしながら、少女はくりかえす。

「いますぐに、ゆっくりと、離れなさい」


「お嬢さま、だめだよお! 危ねえよお」

 ルディがいっそう泣き声を大きくして、言う。


「黙ってて!」

 赤毛の少女が、少年へと叫ぶ。

 すぐに少女はおまえに向き直り、ピッチフォークの歯をさらにまえへと突き出した。

「私の()は、殺させない!」


 ああ、とおまえは思う。

 わたしは、かんぜんに、かんぺきに、なにもかもを、間違っていたのだ。


 きびすを返し、走り去った。

 背中で「お父さま、お父さまあ」と泣く声と、「旦那さま、お嬢さまあ」と泣く声とが、重なった。いままで聞いた声のなかで、いちばん、忘れられない声になるだろうと、思った。


 おまえは走った。

 罪を負うたまま。


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