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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.1 The Exodus of Grace/恩寵

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022 ふたつの魂

「――え?」


 狂おしいほどに長い時間を経て、ようやく、メアリーはそう返した。

 許しを得たように、告白をつづけた。


「わたしは、主人を殺そうとした。

 母を殺されたの。わたしは犯されたの。

 世界でもっとも残酷な背教行為を、わたしに強いたの。

 だから、殺してやろうとした。

 手斧を使って、股ぐらを切り飛ばして、みっともなく、豚みたいに鳴かせてやった。そのあと、喉を切り裂こうとした。血があんまりに多くて、手がぬめってしまったから、その先はできなかったけれど」


「そ、んな……」


「……知られたく、なかった」

 その先のことばは、どうしても言い訳じみた。

「あなたには、あなたにだけは、知られたくなかったの。

 わたしの手が血塗られてるってことを。わたしが穢れてるってことを。

 ……言えなかった。あなたが、」


 ──天使みたいに、見えたから。


 ほんとうは、とおまえは思う。

 触れることなど、許されなかったのだ。穢れた手で、地獄に堕ちるべきさだめを持った唇で、天使に触れていいはずがなかったのだ。

 なにを、履き違えていたのだろう。

 なにを、勘違いしてしまったのだろう。


「KKKは、だからわたしを追ってきた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ほんとうに、ごめんなさい。

 あなたたちの人生を、台無しにしてしまった。災いを、呼び込んでしまった」


 メアリーは、震えていた。

 両のかいなでみずからを抱きすくめるように、ふいに凍えてしまったように、黙って、震えつづけていた。


 手を、伸ばせなかった。


 許されない、と思った。おだやかな生活をまるごと壊しておきながら、同じ手で、彼女の肩を引き寄せることなど、許されない。


「……どうして?」


 もう何度めか知れない問いを、メアリーがつぶやいた。


「どうしてなの? どうして、言ってくれなかったの? 事前に教えてくれなかったの? KKKが追ってきてるって分かってたんなら、なにか対策が打てたはずなのに、どうして──」

「確信があったわけじゃない!」


 おまえは、声を張り上げていた。


「わたしだって、認めたくなかった! 考えたくなかった!

 ……じぶんの名前が、ほんとうに、KKKの名簿リストに載ってるだなんて……一生……もう二度と……ひぐ……っ……自由を……夢見ちゃいけないだなんて……。

 まともに生きることを、諦めなきゃ……っ……ならないなんて……」


 そんなはずがないと、思い込もうとしていた。

 ここまで来たのに、せっかく生き延びてきたのに、その果てが、絶望の袋小路だなんて、信じたくなかった。


 だから、ごまかしたのだ。

 じぶんを、ごまかした。

 嘘をついたのだ。


 そうでもしないと、走れなかったから。にせものであっても、まぼろしだと分かっていても、まえに光が見えているのだと、希望がまだあるのだと、みずからに言い聞かせていなければ。

 あれ以上、一歩も進めなかったのだ。


「でも──違ったね」


 じぶんに、手つかずの自由なんて、残されていなかった。

 じぶんに、希望に満ちた未来なんて、残されていなかったのだ。


 あの日──手斧をスカートの裾に隠して、旦那さまの寝室を訪ねたあの日に、人生は、閉ざされていたのだ。


「どうして……」


 今度は、おまえが問う番だった。

 天を仰ぎ、神さまに向かって、おまえは問うた。


 わたしのいのちに、祝福グレイスなんてなかったじゃないか。

 生まれ落ちたときから、ずっと、呪われていたじゃないか。

 暴力と搾取の証として孕まれ、だれにも望まれることもなく生をけ、あたりまえの幸せを奪われ、最低限の尊厳さえも、踏みにじられた。信じてきたものがすべて嘘だったと知らされ、嘲笑あざわらわれ、血を浴びた。犬をけしかけられ、火を放たれ、人に裏切られた。走って、走って、走って、走って……その挙句が、この結末だなんて──


「こんなことなら、わたし──

 ()()()()()()()()()()()()()──」


 慟哭が、ほとばしりかけた、そのときだった。


「──あ、」


 きつく、きつく。

 おまえは、抱きしめられていた。


 なにも、ことばはなかった。しがみつくみたいな強さであったのに、抱かれているのだと、おまえには分かった。おまえは目を閉じて、伝わってくる熱を、鼓動を、ただ感じた。おまえはあたためられていた。いのちに、あたためられていた。


 そっと、メアリーの顔をうかがった。

 蒼白のままだった。


 天使なんかじゃ、なかった。

 聖母なんかじゃ、なかった。

 おなじように傷ついた少女の魂が、おまえの魂を、まるごと抱きとめているのだった。

 ひとりでは、立っていられなかった。ふたりが寄り添っているから、かろうじて、立っていられた。


 幸福など、感じなかった。

 ただ、こうしていないと生きていられないと、感じた。


「メアリー」


 いっしょに、逃げよう。

 そうして、生きていこう。ふたりで。ふたりだけで。


 そう、言いかけたときだった。


()()()()()()()()()ッ!」


 樹々のあいだから、奇声とともに、男が飛びかかってきていた。白衣の裾がひるがえり、覆面のなかから充血しきった目玉が見えた。しゅんかん、おまえのからだは衝撃とともに浮遊感に包まれていた。


 空中にいた。


 おまえは見た。

 じぶんを突きとばしたメアリーを、その胸へと吸い込まれていく刃の切っ先を。


 メアリーは、ほほえんだ──ように、見えた。


 おまえの全身に、遅れて打撲が叩きこまれていく。幾重にも擦過傷さっかしょうをつくり、平衡感覚をぐしゃぐしゃにへし折っていきながら、おまえのからだは転がっていった。

 崖の下へと。


 メアリー。

 メアリー。

 どうして──。


 さいごに水中に落ちるどぼんという音とともに、すべての音が消えた。おまえの視界も、真っ暗になっていた。


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