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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.1 The Exodus of Grace/恩寵

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020 ひとこと

 知らなかった。

 メアリーが、夜を徹して看病してくれていたなんて。このきれいな女の子に、そんなことまでさせていたなんて。


「だから、ほんとうに嬉しかった。

 あなたが、目を覚ましてくれたときは。もう、他人には思えなくなっちゃうぐらい。わたし、妹ができたみたいなきぶんだったのよ」


 我慢ができなくなって、おまえは口を挟んだ。


「……ねえ、メアリー。メアリーは、十二歳だったよね?」

「そうよ」

「わたしも、十二歳なんだよ」


 え、とメアリーが露骨におどろいた顔をする。

 おまえのからだを、頭からお尻まで、眺めまわす。とても信じられない、といったようすだ。


「そんなに驚く……?」

「ごめんなさい。わたし、てっきり……。

 でも、言われてみればそうよね。グレイス、話し方がおちついてるもの。声もしっかりしてるし。なんで、歳下みたいに思ってたんだろう。なんだろう、ちょっとグレイスって、髪も短いし、男の子みたいだからかな」

「それはひどいな」


 むくれたように、そっぽを向いてみせた。

 メアリーが、不安げにおまえの肩に指先を触れてくる。おまえはふりまわされてばかりいたから、メアリーの感情をふりまわせていることが、愉快でならない。怒ったふりをつづけていようとしても、唇の端に浮かぶ笑みを、抑えきれなかった。


「ごめんね。怒った?」

「……怒りは、しないけど」


 顔を覗き込んでこようとするメアリーを、おまえは首をねじって避けようとする。だが、けっきょく、笑っていることをメアリーに見咎められてしまった。

 あ、とメアリーが声を上げたとたん、おまえは吹き出してしまっていた。


 ひどいひどい、と肩を何度も叩いてくるメアリーも、また、笑っていた。


 ひとしきり笑いこけた。

 メアリーは、目の端ににじんだ涙を拭いながら、「あー、よかった」とつぶやいた。


「よかった?」

「グレイスが行っちゃうまえに、笑顔をみることができた」

 メアリーの視線に、おまえは気がついた。

「思ってたとおりだわ。……かわいい顔で笑うのね」


 おまえの胸が、きゅっと鳴る。

 せっかくしまい込めていた想いが、また、顔を覗かせはじめている。メアリーは膝を抱えた両腕に、頬を乗せている。だめだ、とおまえは思う。そんな顔で見られたら、だめになってしまう。


「……でも、残念だなあ。

 わたし、あなたのこと、なんにも知らないのね。せっかく仲良くなれたと思ってたのに、なんにも知らないままで、離ればなれになっちゃうのよね」

「そんな。そんなのは……やだ」

「じゃ、教えてよ。わたしの、まだ知らないこと」


 メアリーが、挑むような視線を向けてくる。

 おまえは、すこし考えた。


「じゃあ、これは知ってた?

 わたし、じつは鉱山奴隷だったの」

「鉱山奴隷?」

「主人の持つ鉱山で、穴掘りや木こりをしてたの。ばりばりの肉体労働」


 メアリーは目を丸くする。

 女の奴隷といえば、綿花を摘むものだと思われていただろう。そういうイメージが流布していることを、おまえも知っていた。しかし、大農場プランテーションでは、男女問わず、洞人ドワーフには重労働が課せられるのだ。


「知らなかった。見えないもの」

「斧を振るうのが、誰より得意ってことは?」

「知らなかったわ」

「つるはしを振るうのは、まあまあだってことも?」

「知らないってば」

「その代わり、料理や縫い物はからっきしだってことは?」

「そうなんだ」

「キルティングなんか、一インチだって縫えない」

洞人ドワーフのくせに」

「花の名前をほとんど知らないってことは?」

「それは知ってたわ。ずいぶん教えてあげたもの」

「教えてもらっても、ほとんど覚えてないってことは?」

「知らなかった。ひどい」

「こっちの瞳だけ、すこし色がうすいってことは?」

「ほんとうだ。気がつかなかったわ」


「じゃあ、()()は?」


 おまえの理性が、ほどけていた。

 顔と顔とのあいだが近づいていたのをいいことに、おまえは、とっさにメアリーの唇をふさいだ。やわらかで、あたたかい感覚。

 拒まれなかった。

 その事実に、脳みそがぱちぱちと弾けるような音を立てていた。雷に打たれたような幸福感が、おまえの頭から背骨へ、背骨から腰へと、貫きとおしていった。

 

 湖を、月光が照らしていた。

 おまえたち二人の影は重なったまま、いつまでも離れないように、見えた。


 やがて、自然とその時間は終わった。

 永遠にも似ていたのに、ほんのいっしゅんであるようにも思えた。どちらかともなく唇と唇とが離れ、おまえとメアリーとの、目が合った。

 とろりとしていたメアリーの目に、だんだんと理性の光が戻ってきていた。

 

「……知らなかった」


 言い訳するかのように、メアリーはつぶやいた。

 じぶんのしたことが信じられないというようすで、唇に触れている。


 ああ、とおまえは思う。

 なんてことを、と後悔にさいなまれる。

 先ほどまで全身を満たしていた幸福感はどこかへと雲散霧消していた。代わりに、ずっしりと重たい悔いが、おまえを包みこんでいた。


「迷惑……かな」


 メアリーは顔をそむけた。

 よけいなことばを、さらに重ねてしまったのだと、それで気がついた。


 取り返しがつかなかった。

 こんなふうに、いきおい任せに、欲望にとりつかれるままに、動いたりしなければよかった。もっとことばを尽くして、誤解がないように気をつけながら、じぶんの心を明かすべきだった。こんなことを、するつもりではなかった。こんなふうに、終えてしまうつもりではなかった。


 こんなことをしなければ。

 すくなくとも、友情は残ったかもしれないのに──。


「ごめんね」


 内心の絶望を出さないように注意して、おまえはそっけなく告げた。

 冷たい声に聞こえてしまうであろうことが、耐えがたかった。このような不品行をはたらいたことを、全身全霊で詫びたかった。一時の気の迷いなのだと、じぶんは友情を壊したくなんてなかったのだと、謝りたかった。

 しかし、できなかった。

 口を開けば、もっと、どうしようもないことばしか出てこないだろうから。


 おまえはきっと、愛を乞うてしまうから。


「待って!」


 立ち上がり、家へと戻ろうとしはじめたおまえを、メアリーが呼び止める。


 おまえは振り向かない。

 振り向けない。

 メアリーの顔を、正視することができない。


 メアリーが立ち上がった音がした。

 腕を掴まれていた。おまえは、おどろきのあまり振りかえる。メアリーは、まっすぐと、おまえを見ていた。


「あの! そんなに、いやじゃないの。

 いやじゃ、なかったの……」


 メアリーが、目を逸らす。

 じぶんの行動すべてに困惑しているようだった。いっしゅん先のじぶんが、なにをするのか、なにをしようとしているのか、なにを言おうとしているのか、想像もつかないらしかった。

 おまえには、それが分かった。

 先ほどまでのじぶん自身と、まるでおなじだったから。


「わたし、どうしちゃったんだろう……。

 へんなことだって、いけないことだって、分かってるのに。お祖父さまにも、神さまにも、知られたらたいへんだって、分かってるのに……。

 なんだか……うれしいの……」


 死んでもいい、と思った。

 死にたくない、と思った。


 ひとことで、こんなにも、報われた。


「わたし――」


 なにかを言いかけたメアリーの口を、指先でふさいだ。


 もう、これでいい。

 これで、じゅうぶんだ。

 そう、おまえはじぶんへと言い聞かせる。

 この先を望んだら、いけない。メアリーの人生を盗んでしまっては、いけない。わたしは逃亡奴隷だ。彼女にしあわせを与えることは、できない。奪い尽くしてしまうことしか、できない。


 ここまででも、これきりでも、望外のよろこびだったのだ。望むべくもない、叶えられるはずのない、幸福であったのだ。


 だから――


「――ありがとう」


 メアリーの肩に入ったちからが、ほぐれていった。

 それで、おしまいだった。


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