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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.1 The Exodus of Grace/恩寵

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001 奴隷たちがじぶんたちを所有できる数すくないひととき

 グレイス。

 グレイスよ。

 まだなにものでもない、グレイスよ。

 無知という幸福のただなかにいる、幼き洞人ドワーフの少女よ。


 おまえは、ここにいる。

 おまえは、夢のなかにいる。


 夢のなかにいるものがみなそうであるように、じぶんがいま夢みているのだと、おまえは知らない。だから、いつものように、おまえは働きつづけている。

 つるはしを振るう。くろぐろとした岩石を砕く。

 斧を振るう。スペインごけにつつまれた老いた樹を、伐りたおす。


 頭のなかのできごとであるというのに、疲れを感じている。おまえはその疲れに慣れてしまっているから、疑問をいだくこともない。


 おまえは呼ばれた。

 旦那さまの声だ。おおきな声だ。

 

 馬車がきている。

 四頭立ての、りっぱな馬車だ。新品であることを誇るように、しろくかがやいている。旦那さまの馬車よりも、よほどおおきい。


 ──きれいだな。


 他人事のようにおまえは思う。

 こんなぴかぴかの馬車に乗っているのはどんなお大尽さまなのだろう、とかんがえる。じぶんがなぜ呼ばれたのか、かんがえるには至らない。


 となりには、笑顔の母がいる。

 母は、旦那さまに頭を下げている。いつもはふんぞり返っている旦那さまが、どこか、遠慮しているように見える。母がとつぜん貴族の身分を手に入れたとでもいうかのように。


 馬車の扉がひらく。

 なかからあらわれたのは、りゅうとした紳士だ。


 自由洞人フリードワーフで、ぱりっとした真新しい背広を着こんでいる。あかるい紺の生地は褐色の肌によく映え、わかわかしさと威厳を発散している。となりに立つ旦那さまさえ、まるで小物の商人にしか見えない。


 紳士が、こちらに笑いかける。

 グレイスよ、それでおまえは気がつくのだ。その笑顔が、水面に映るじぶんのそれに、生き写しであることに。


 ──お父さん。


 おまえが呼びかけると、紳士がにっこりとうなずく。


 ──待たせたね、グレイス。


 父が手をさしのべ、おまえはその手をとる。

 父は、北部の都会で働きづめに働いて、おまえと母とを買い取るお金をようやく貯めたのだ。北部最大の企業エジソン・エレクトロニクスにつとめる父は、おまえたちと暮らすための家を、ニューヨークに用意している。


 きれいな服と、なに不自由のない生活がおまえを待っている。

 もう、きびしい労働も、鞭におびえることもないのだ。おまえは北部であこがれの学校に通うことだろう。字を学び、本を読み、友達とあそび、ときどき恋に胸をおどらせたりしながら、あたりまえの娘として暮らすことだろう。


 母がほほえんでいる。

 父もほほえんでいる。


 おまえは、なにも知らない。

 まだ、なにも知らない。

 かつて起きたことも、これからおまえを待っていることも、なにも。

 いまはただ、眠るがよい。


 *


 おまえは目覚める。

 朝の薄明のなかで、目を覚ます。


 まだ、小屋のなかは眠りに満ちている。

 寒さがきびしい。隙間風がひゅうひゅうと音を立て、いくつもの空咳が聞こえる。


 すすり泣きが聞こえている。声を押し殺すような泣き声。だれかが流しているのだろう、だれも、気にとめることのない涙を。

 そのうち泣き声の主はひときわおおきく、むせび泣きにも近い声をあげる。眠りをさまたげられただれかが、泣き声の主をなぐりつける、くぐもった音がする。

 泣き声はやんだ。


 いつものことだ。

 なにも、めずらしいことはない。


 おまえは天井を見上げる。

 篠突く雨が、薄い合板づくりの屋根をはげしく叩いている。いくつものすすり泣きを飲み込みながら、雨音は小屋のなかに響きわたっている。

 おまえはぼんやりと思い出している。

 いままで見ていた夢を。じぶんを待ち受けている、希望を。


 グレイスよ。

 おまえは奴隷だ。

 

 生まれつき、鎖に囚われたさだめをおまえは生きている。

 母も奴隷だ。この国では、母の身分を子は引き継ぐ。黒い肌を持つ洞人ドワーフとして生を享けた時点で、おまえの立場は決まっている。


 洞人ドワーフたちも、かつて夢を見たことがあった。

 合衆国政府が、あの偉大なる木こりが、すべての奴隷を解放するとの宣言を出したときのことだ。主人たちが怒りと困惑に声を荒げているとき、洞人ドワーフ奴隷たちのあいだでも、熱っぽいことばがささやき交わされた。

 しかし主人たちは、合衆国に対抗して連合国を名乗り、じぶんたちの権利を守るべく戦いを挑んだ。ただ「内戦ザ・シヴィル・ウォー」とだけ呼ばれる戦いは五年間におよび、それでも決着はつかず、この大陸は南北に二分されたままになった。


 もう、三十年もまえの話だ。

 老人たちはそのころを懐かしげに語るが、母が生まれるまえのこととあって、おまえにとってそれは、歴史上の出来事以外のなにものでもなかった。


 奴隷であるじぶんを疑問に思ったことはない。奴隷以外の生き方を知らないから。

 けれども、これがつらいさだめだということは理解している。


 きょうも、ひとりがくびられた。

 なまやさしい死に方ではなかった。逃亡を図った奴隷は見せしめも兼ねて、とびきり凄まじい死を与えられる。その残虐な見世物を、旦那さまは楽しんですらいる。慈悲は願うべくもない。


 ぶるり。

 おまえはトビーの末路を思い出し、肩を震わせる。あの血と、あの断末魔とが、頭のなかにこびりついていた。あのように死ななければならないほどの罪を、トビーは起こしたのだろうか。かれは、人間らしく生きたいと願っただけではなかったか。好きなところに暮らし、好きな仕事をし、好きなひとと家族を為し、だれに奪われることもなく、だれに傷つけられることもない、ただそれだけの人生を、願っただけではなかったか。

 トビーのはにかむような笑い方が、思い出されてならなかった。


 ふたたび、希望を思い返す。

 自由洞人フリードワーフである父のことは、母がくりかえしくりかえし語ってきたことだ。


 父と母とは、おなじ農場で生まれた幼なじみだったのだという。母が十六歳を迎えたときに結婚を許され、ふたりは愛し合い、一粒種の娘が生まれた。それがおまえ――グレイスだ。

 ふたりが暮らした農場は、おだやかな大奥さまの計らいで、隅に家庭ごとの家を建てることを許されていた。大奥さまは先進的なかたで、奴隷たちにこっそりと読み書きを教え、ちいさな聖書までをも各家庭に与えてくださっていた。KKKに知られたら、大奥さまの身までもが危険に晒されるというのに、だ。


 ほんとうに、すばらしいかただったわ。

 母はおまえにそう語った。


 しあわせな新婚の日々は、しかし大奥さまの御逝去によって断ち切られた。

 農場を継いだ跡継ぎたちが、てっとりばやく現金を得るために奴隷を売り飛ばしたのだ。そこで父と母とは引き離された。母とおまえとがともにいられたのが奇跡だったと言ってもいい。


 母は再会をあきらめていた。

 一度離ればなれになった洞人ドワーフ家族が再会することは、きわめてむずかしい。まだ乳飲み子だったおまえに、父親のぬくもりを与えることは二度とないだろうと、母は落胆していた。


 けれど、と母は語った。

 あなたのお父さんは、あきらめなかったの。


 数年して、おまえがたどたどしいことばを話すようになったころ。

 父から、手紙が届いたのだという。


 その手紙には、ニューヨークの消印が押してあった。


 長い長いその手紙のなかで、父は離ればなれになってからのことを語った。

 売られた先のトウモロコシ農場で鞭打たれながら過酷な肉体労働を強いられたこと。

 生来の手先の器用さを活かして夜な夜な金属細工をつくり、街の雑貨屋に買ってもらっていたこと。

 安酒コーンウイスキーを飲んで憂さを晴らす仲間たちにも目をくれず、ひたすらお金を貯めつづけ、ついには、じぶんを買い取って自由洞人フリードワーフとなったこと。

 こっそりと連合国を脱出し、合衆国にのがれ、あの夢の街ニューヨークで仕事を得たこと。


 そして。

 いつかかならず、迎えにくるということ。


 父の話をせがみ、そのことばを聞くたびに、幼いおまえは興奮しただろう?

 じぶんたちには、希望が残されている。

 手付かずの人生が、まだ、残されている。

 そう思ったのだろう?


 だから、おまえは気づかなかった。

 希望に目を曇らされ、気づくことができなかった。

 いつか迎えにくる、ということばを語る母の顔がいつも、うしろ暗さに満ち満ちていたことに。


 おまえは、なにも知らない。

 まだ、なにも知らない。


 *


 やがて、地平線の向こう側から光が訪れ、薄暗がりは圧倒的な陽光によってかき消される。

 朝が来た。

 夜の領土はさいごの一片までも吹き散らされ、奴隷たちがじぶんたちを所有できる数すくないひとときが、終わりを告げた。


 おまえたちは、もとに戻る。

 天人ヒューマンたちの、ほんらいの所有者たちの手のなかへ、戻っていく。


 あきらめながら。

 くるしみながら。


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