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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.1 The Exodus of Grace/恩寵

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18/112

017 駅

 生きていた。


 目を覚ましたとき、さいしょに頭にうかんだのは、そのことばだった。


 おまえは寝台に寝かされていた。

 暖炉の火が、おまえが見上げる天井にちらちらとゆらぐ影をつくっている。首をめぐらすと、別間べつまになっていない台所に、洞人ドワーフ男性の背中が見えた。かなり年老いているらしく、髪色は灰で、うごきは緩慢だ。暖炉に向かってうずくまり、火に掛けた鍋をかきまぜている。


「目が覚めた?」


 反対がわへと首を向けると、そこに娘がいた。


 気をうしなうまえ、出会った娘だ。

 どうやら顔をのぞき込まれていたらしい。声を掛けられるまで気が付かなかったことに、おまえの頬が熱くなる。よほど、気がゆるんでいるらしい。


「よかった」

 娘が笑う。

「ほんとうに、死んでしまったかと思ったのよ」


 花が咲いたようだった。

 くろぐろとした肌に、まばゆいほどの白い歯が映えている。気絶するまえに抱いた印象は、けっしてまちがってはいなかった。……こんなにうつくしい女の子を、見たことがない。おまえはなんとなく気恥ずかしくなり、そっと目をそむけた。


 じぶんのからだを見下ろす。


 ぼろぼろになった衣服は脱がされ、垢じみた肌はきれいにぬぐわれている。

 傷には包帯が巻いてあり、そのうえから、清潔な木綿の服が着せられていた。意匠いしょうは質素で、布地こそごわついてはいたが、ていねいに針が入れられている。この子の仕事だろうか、とおまえは思う。


「おお、目覚めたか」

 老人も気づいてこちらへとやってくる。

「スープをつくったが、食べられそうかね?」

 

 暖炉から運ばれてきた鍋のなかには、根菜とあばら肉のベーコンが浮かんだスープが、たっぷり四人分はつくられている。

 ぎゅう、とおまえの胃袋が収縮した。

 疲労で覆いかくされていた空腹が、ようやく鎌首をもたげてきたらしい。おまえは目を丸くする娘を見て、また頬が熱くなるのを感じた。


「ほっほ」

 老人が目尻を下げた。

「その調子なら、だいじょうぶそうだな。いま、よそうからな」


 寝台の脇に椅子を寄せてきたふたりと、スープをすすった。

 おどろくほどお腹を減らしていたというのに、さいしょは胃が受け付けず、おどろいた。しばらく食べていないとそんなものだ、とほほえむ老人と、心配げに背中をさすってくる娘に、おまえは手をのばし、必死の思いでスープを飲みくだした。

 二杯目をよそってもらうころには、まっとうな食欲がもどっていた。


「さて、」


 食後のコーヒーでおまえが手のひらをあたためていると、老人が切り出した。


「おまえは、逃亡奴隷だろう? ……いやいや、そう緊張せんでもいい。通報したりするつもりはない。わしらは、自由洞人フリードワーフだが、べつに連合国に恩を受けているわけでもなんでもないからな。おまえがどういう経緯で農場を脱走してきたのか、くわしく問いただすつもりもないよ。安心しなさい」


 おまえの肩に入ったちからが、すこし抜けた。

 すくなくとも、このひとは洞人ドワーフだ。おなじ種族なのだ。天人ヒューマンたちとは、違う。信じすぎるのは禁物だが、あまりに頑なにふるまうべきでもない。そう、思った。


「ただ、ひとつだけ、訊いておきたいことがある。

 これからどうするか、という点だな」 

「……ご迷惑をお掛けしたくはありません」


 おまえはぽつりと言う。


「傷の手当をしていただいたこと、寝台で寝かせていただいたこと、食事をふるまっていただいたことは、ほんとうにありがとうございます。わたしは死にかけていました。感謝のことばもありません。

 ……ですが、お察しのとおり、わたしは逃亡奴隷です。

 ここにとどまれば、あなたがたによけいなご迷惑をお掛けしてしまうかもしれません。わたしを招き入れたことで、危険がおよぶかもしれないのです。恩人の身を、危険にさらしたくはありません」

「そんな」


 娘が言いかけたのをさえぎって、おまえはつづける。


「さいわい、いまは夜です。

 日が出るまえに、わたしはここを離れます。……名前も名乗らず、きちんとしたお礼もせず出ていくことをお許しください。わたしについて、あなたがたは知らないほうがいいと思うのです。知らなければ、わたしの抱え込んだ問題に巻き込まれることもないと思うから」

「ふむ」

「勝手を言って、ほんとうにごめんなさい」


 淡々と語るおまえを、どこか面白そうに、老人は眺めていた。娘がまじめな顔をして耳をかたむけているのとは、対照的である。


「それで、ゆくあてはあるのかね?」

「北へ行きます」

「それは、皆そうだろうよ。北を目指すのは、おなじだ。肝心なのは、北のどこを目指すかという点だよ。おまえに、頼れる人はおるのか? 身を寄せる当ては? 北部へ逃れたとして、どうやって生計たつきを立ててゆく?」

「それは……」

「合衆国は、理想郷ではないのだよ」


 打ち据えられたきぶんだった。

 視線を合わせていられなくなり、目を落とす。


「合衆国に行ったところで、洞人ドワーフの受ける扱いは変わらない。たしかに豊かな国ではあるんだろうが、だからといって、たったひとりの洞人ドワーフ娘が身ひとつで現れて食うに困らないほど、仕事があふれているわけじゃない。

 ……早晩、おまえはからだを売るようになるだろう」

「お祖父さま」

 きびしくたしなめるような声を、娘が掛ける。


「ほんとうのことだ。この子は知っておく必要がある」

 娘に言いかえすと、老人はつづける。

「わしらのような自由洞人フリードワーフが、どうして南部こちらがわに残っているのか、かんがえてみたことがあるかね? 北部に逃れてどうにかなるものなら、わしらもいつまでも、こんな場所にはおらんさ。……うまくいかんのだ。ただ、向こうにゆくだけではな」


 かえすことばが、なかった。


「いまから、農場に帰るという選択肢もある」

「それは」

「できないと言うのだろう? 皆そうだ。大なり小なり、理由を抱えて、奴隷はくびきを逃れてくる。奴隷暮らしは楽ではないが、それでも、命だけはつなぐことができるからな。犬に追われ、奴隷狩人スレイヴハンターに追われ……その恐怖に挑もうとするからには、奴隷でいられぬ理由はあるのだ。ひとそれぞれにな。

 だがな。

 逃げおおせた後のことを、考えていないものが多すぎる。農場の柵を飛び越えてしまえば、あとはどうにかなるだろうとしか、考えていないものがな。そういう洞人ドワーフにとって、その先の人生はきびしいものになる。断言してもよい。奴隷をしていた頃より、よほど苛酷な生活になるぞ。

 それを耐え忍ぶ覚悟がないなら……これから、保安官事務所に付き添おう。自首をすれば、逃亡奴隷も殺されることはない。鞭打ちを耐えれば、元の人生がとりもどせるだろう。どうだな?」


 おまえは、口を開いた。


「わたしは、戻れません」

 訥々(とつとつ)と、語る。

「理由は言えません。ですが、わたしには戻った先の人生などありません」


 戻れば間違いなく殺されるのだ、とは、言えなかった。

 そういうことばを使えば、主人を殺そうとしたという大罪の存在に、この老人も気がつくだろう。おまえがどういう人間なのか、知れてしまう。老人に軽蔑されるのは仕方ないとしても、隣に座って心配そうなまなざしを向けてくれている娘に、この天使みたいな人に、侮蔑を向けられるのは、堪えられない。死んでしまう。そう、強く思った。


「戻るという選択肢は、だから、わたしにはありません」

「ふむ」

「どういうつらさに耐えることになるのか、わたしには分かりません。想像もできません。でも、戻れません。戻れない以上、それから先の人生に耐えるしかないのです。

 北へ、ゆくしかないのです」


 老人の顔も、娘の顔も、見ることはできなかった。

 潮時だ、とおまえは思う。


「……しゃべりすぎました。

 いろいろ、教えていただいてありがとうございます。すこし、心の準備をしておくようにいたします。そろそろ、わたしは出発しようと思います」

「そんな」


 娘が止めようとするのを、手で制した。


「いいんです。おかげさまで、だいぶ、休めました」

 おまえは寝台を立ち上がろうとする。


「そう急くな。話はまだ終わっておらん」

 老人の声は、やさしい。しかし、有無を言わせない口調だった。

「座りなさい。老人は話し相手に飢えておるもんだ。もうすこし、付き合いなさい」

 

 おまえは、従った。

 寝台に座りなおし、もう一度老人の顔を見る。


「おまえの事情は、なんとなく分かった。北で、どれほどつらい目にあっても、耐え抜くしかないということもな。となればだな、つぎはわしらの方から提案をする番だ」

「……提案?」

「おまえは、()()に認められたのだよ」


 ()()

 あまりに聞き慣れない、意外なことばに、おまえは首をかしげた。


「さあて。久しぶりの()()だぞ、メアリー。地図を出しとくれ」

「はい、お祖父さま」


 指名を受けた娘──メアリーが、立ち上がり、壁に架けられたマリアさまの絵の額を外すと、そのなかから幾重にも折りたたまれた紙片を取り出す。

 おまえがはじめて見る、それは連合国全体の地図だった。

 色褪せた地図を、老人がおまえの寝台のうえに広げる。


「次の()は、この点が打ってある箇所だ。駅同士の間隔はおおよそ二〇マイルていど。さほど遠くはないが、街道をゆく道になるから、ワゴンに乗せるしかないだろうな。せっかくの乗客に対して申し訳ないが、()()になってもらうことになる。窮屈だが、我慢してもらうぞ」

「え……あの……」

「さあて、つぎはどこにいくかだな。目的がないなら、一度主要駅(メインステーション)に行かせるほうがいいだろうな。となると……ジェームス邸か、フォード家か……」

「フォード家はだめです、お祖父さま。さいきんあの一帯の(ペグ)に破損が見受けられるとしらせが届いています」

「KKKか。連中め」

「あのっ!」


 意を決して声を上げると、議論に熱中していた老人とメアリーが、こちらへと振り向く。


「おお、すまんすまん。こんな話はまだ気が早かったな。

 どのみち体力の快復を数日は待たねばならんのだし、きょうはそろそろ寝なさい」

「いえ、そうではなくて! どういう……ことなのでしょう……?」


 老人とメアリーが、顔を見合わせる。


「やはり」

「ええ、そうですね」


 うなずき合うと、メアリーがおまえに振り返る。

 

「うすうす気づいてはいたけれど……あなた、分かってなかったのね。

 ここが、どこなのか」

「え……」

「玄関のキルティングを、見なかったの?」


 キルティング。

 そういえば、そんなものがあった気がする。玄関口に架けられた複雑な編み布を見て、ここを洞人ドワーフの家だと判断したような、覚えがある。


「見ておりながら、気づかれなんだか。うまく隠しすぎたな、メアリーや」

「気づかれないなら、失敗だわ」

 メアリーは、むっと頬を膨らませる。

「あの『()』は、会心の出来だったのに」


『U』。

 いま、そう言ったのか?


 では、ここは──


「改めて、ようこそ」

 老人が芝居がかったようすでお辞儀をしてみせる。

地下鉄道アンダーグラウンド・レイルロードの、()へ」

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