111 断章/じゅうさんにんを、あずかる
『さて』
白い牙が口をぬぐってこちらに向き直った。わたしも「ふむ」と言ってそれにならった。
『はなしを、はじめよう。ジャッジ、だったな』
「ああ。士師だ」
『どういうものだ、それは?』
「軍を、おまえには率いてもらいたい。われわれ地下鉄道がかんがえているのは、大規模で、時期をおなじくする奴隷反乱――一斉蜂起だ。それには、いくにんもの反乱指導者が、大陸全土に散らばっているという情況をつくることが、欠かせない。それが、士師だ。おまえに任せたいものこそ、これだ」
『ことわる』
「そうか。では仕方ない」
「……マザー」
話の流れを察したらしく、プルートゥが口をはさんでくる。「白い牙は、俺たちの構想には欠かせない人でしょう。この武力ですよ――俺やセイラではとうてい相手にならない強さだ。こうして相対していれば、物差しがまるでちがうと分かります。おそらく、いまの地下鉄道で対抗しうる戦力といえば……」
「三名の武装車掌、それぐらいか」わたしもうなずく。「くわえて、この指導力だ。気づいていたか、プルートゥ。この短時間で、もう黒煙兵はみな、この白い牙に指揮されたがっているぞ。ほんとうの統率力とは、おそらく、こういうものなのだろうな。……ああ、悪く思うなよ跳ね蛙、おまえの指揮能力を不足だと言いたいんじゃない。ただ――」
「このかたが、規格外なだけでしょう」
跳ね蛙は、眠たげな目をじっと白い牙に据えていた。
「分かりますとも。私とて、マザー・グレイスに出会っていなければ、このかたに忠誠を誓っていたかもしれません。そうしたくなる魅力が、このかたにはある」
「ああ、同感だよ。……だがな、プルートゥ。白い牙を士師と仰ぐには、ひとつだけ、問題がある。いや、“問題がない”というべきかな。この女性には――怒りが、ない」
プルートゥが、わずかに首をかしげた。
代わりに答えるように、白い牙がうなずく。……そうするだけで周囲の注目をあつめてしまうのが、天性の統率力のあらわれだろう。
『ああ。わたしに、いかりはない。……べつに、おこらないわけではない。だが、おまえたちのように、いかりをたえずぐらぐらわかしていたり、しない。ぎゃくに、おまえたちはみな、なににそれほどおこっているのだ?』
ふ、とわたしは笑う。
プルートゥがこちらを向くと、「いやなに。『おまえたちは何にそれほど怒っているのか』――と問われたのだ。……分かったか、プルートゥ。士師は、怒りを束ねるものでなくてはならない。巨大なほのおで、すべての火種をのみこみ、さらに絶大なる劫火となって、大陸全土を燃えあがらせるものでなければならない。……この白い牙は、士師にはなりえないよ」
「……そう、ですか」
プルートゥの声には、落胆があった。彼にとっても、この白い牙というのは魅力的な存在だったのだろう。ひょっとしたら、上官とよび、その命令に服してみたくなるほどに。
「だが、わたしはうれしいんだ、プルートゥ。この集落を、見たか。こんなに清浄な場所が、この大陸に存在するんだ。こんなにしずかでうつくしい家族が、この地上に暮らしていてくれるんだ。そう思うだけで、わたしは、どこか救われるように思うよ」
白い牙を、ふりむいた。
「おまえを、無理にこの場所から引きずりだすことを、わたしはしたくない。だから、話はここで終わりだ。すこしだけ滞在することを許してもらえたら、この集落の整備を手伝わせてもらいたい。罠をすこし張りなおすだけで、おそらく、防衛の戦力が足りないということもなくなるだろう? おまえが本調子でありさえすれば、百や二百の敵にとりかこまれても、ものともしないはずだ」
『ああ。もんだいない』
「ひとつ、お願いさせてもらえるなら――わたしたちが旅の途中、ときどきここを訪ねるのを、許してもらいたい。ここの清浄さは、わたしたちにとって、救いになる」
『もちろん。いつでも、めしをくいにこい』
白い牙は『声』でそう伝えながら、パンを持つ手を口元へ近づけるような手話をした。わたしはそれを真似る。
「めしをくいに、だな」
『ああ。めしをくいに、だ』
笑い合った。
*
『じゅうさんにん、あずかる』
「十三人?」
わたしが問いかえすと、白い牙は居並ぶ黒煙兵のなかから、ひとりずつを指さしてゆく。十二人まで指したところで、わたしは気がついた。
白い牙に指されたものは、みな「声」に迷いがあった。ひとりひとりが、ことなる問題をかかえている。人を殺すことの抵抗感をぬぐえていないものもいれば、じぶんが黒煙兵にふさわしくないと思い込んでいるものもいる。過去の経験から、恐怖を肥大化させてしまっているものもいた。だがそれらは、「声」のなかに、ほんのわずかに含まれる揺らぎのようなもので、表に出てくるようなものではない。わたしでさえ、こうしてひとりひとりの「声」に耳をすましてみなければ、気づけなかった。
「なぜ、かれらを?」
『においだ』
白い牙は鼻に向かって指先をあつめるような手話とともに、そう言った。
「におい?」
『あせの、においだな。まよいがあるものは、どくとくの、すっぱいにおいがまじる。そういうけものは、かられやすくなる。まよいをときはなってやれば、しのきけんがへる』
「それを、おまえがやると?」
『できるかどうかは、しらない。だが、ほうっておくこともできない』
白い牙は、わたしに許可を得ようとはさらさらかんがえていないらしかった。ただ、じぶんが決めたことを伝えているだけだ。そこが、好ましかった。
「……分かった。おまえに託す。――あとのひとりは、プルートゥか」
『ああ』
わたしたちがうなずき合うと、プルートゥが「俺……ですか」と、おどろいたように言う。
「ああ、おまえだ」
「……俺に、迷いなどありません」
『じかくがない。やっかいだ。じゅうさんにんのなかでも、とりわけ』
白い牙にうなずきだけを返し、わたしはプルートゥに向き直る。どこか懇願するような表情、見捨てられそうになっている犬に似た、裏切られたような顔をしていた。
「プルートゥ」わたしは慎重に言う。「これを、戦力外通告のように取るな。わたしには、地下鉄道には、おまえが必要だ、まちがいなく。だが――だからこそ、おまえに足りないものがあれば、地下鉄道はまるごと終わりになりかねない」
「俺に、なにが足りないのです」
「それを見つけるところから、始めてほしい。答えはおそらく、おまえ自身にしか見いだせないものだ。耐えろ、プルートゥ。じきに、見いだせるはずだ。分かってくれるな?」
プルートゥが、くちびるを噛む。この男の、このように悔しそうな顔を、はじめて見たように思う。
それはつまり、とわたしは思う。
わたしが、この男に向き合いきれていなかったということではないのか。
「……分かりました、マザー」
ようやく、プルートゥがうなずく。
『さほど、じかんはかかるまい。おのれじしんでみとめるのには、さぞかしくるしむだろうが』
白い牙のことばに、わたしはもう一度うなずく。
*
「ねえ、ぼくはよかったの?」
セイラが問うてくる。
「おまえはいい。というか、おまえは今さらなにも学ばないだろう」
「あ。ひっでーの」
「それに、おまえがいなければ、だれがわたしを止める」
「……だれがわたしを守る、じゃないんだね」
「じぶんの身は守れる。でも、じぶんのことを止める自信は、わたしにはない」
「じゃあ、さしづめぼくはきみの『良心』か」
「まあ、そんなところだ」
「そりゃそうかー。ぼくは善のかたまりみたいな存在だからなあ。任しとけよグレイス。きみが暴走しそうになったら、ちゃんと止めてやっからさ」
「ああ、頼む」
わたしは笑った。
そして十三人を集落へのこし――わたしたちは、また歩きはじめた。
つぎの「声」を、めざして。
――うつくしさが、すべてだった。
つづく「声」は、そのように、語りはじめている。




