110 断章/いちばんよいにくにありつく
白い牙のからだをささえるのには、骨が折れた。
なにせ、背が高く、体重が重い。わたしも十六を超え、洞人としてはそうとうに身長が高いほうになっていたというのに――白い牙とくらべると、まるで大人と子供だった。背丈なら頭ひとつぶん、体重なら倍ほども違う。わたしとそう変わらない背丈のプルートゥとともに、よろめくこの巨体をささえ、なんとか集落の中央へともどることができた。
どしん、と音を立てて、白い牙は地面のうえへと座り込んだ。広場の中央から、どこか呆けたような目をして、集落ぜんたいをながめまわしている。極度の疲労で、焦点が合わないようだった。
と、白い牙が振り向いた。
そちらのほうから、空気をふるわせる赤ん坊の泣き声が聞こえはじめていた。白い牙の息子たちを保護した黒煙兵たちが、もどってきたのだろう。声は聞こえなくとも、ほかの五感で気配を察するていどは、この熟練の狩人には造作もないことらしい。
はたして、泣きわめく赤ん坊――生まれたてで、まだ血が拭ききれていない新生児だ――と、それをしっかりと抱きしめた十二歳ほどの少年が、黒煙兵にともなわれてあらわれた。
――騒々しい雫と、夢みる熊か。
わたしは「声」で知った名を、あらためてじぶんに言い聞かせた。
夢みる熊は、白い牙を見つけたとたん、
「……母さんっ!」
ひと声さけんで、駆け寄った。
大きな母親は両腕をひろげて二人を受け止めると、泣きじゃくる少年と、対照的に泣きやんできゃっきゃと笑う赤ん坊とを、やさしい笑みをうかべて撫でさすっていた。その笑みに、さきほどのまでの戦う狼のような獰猛な風情はかけらも残っていなかったが――ごく、しぜんなもののように見えた。笑顔の母親というすがたこそ、彼女が生まれ持ったすがたなのだと確信できるような、しぜんさだった。
「母親かあ」隣に立ったセイラは、複雑そうな笑いを浮かべていた。「ぼくはあんま経験ないけど……ああいうのを見ると、いいもんなんだろうなあって思っちゃうなあ。グレイスんとこは、母親と仲よかったんだろ?」
「ああ。……だけど、満足するほど抱きしめてもらえた記憶はないよ。あのふたりには、満ち足りていてほしいものだな」
「だねえ」
――グレイス。
しばらくすると、白い牙から「声」が投げかけられた。
「なんだ、白い牙」
――めしを、すこしまてるか?
「構わないが……なにか、あるのか?」
答える代わりに、白い牙は顎をしゃくって集落のなかを示す。居心地よく、こぢんまりと整えられた生活の場が、いまは屍体だらけになり、荒みきっていた。さきほど黒煙兵から受けた報告では、襲撃にくわわったKKKの真述師は合計で二百七十名だ。そのすべてを打倒し、生きて返すなとわたしは命じたから、この集落のなかにはいま、二百七十の屍体がころがっているということになる。
「……たしかに、食欲をそそる光景ではないな。どうだ、わたしたちに任せてもらえるなら、始末しておくが」
――まいそうを、したい。
「埋葬?」
――ぜんいんをうめ、はかをつくり、いのる。
わたしが眉をあげると、プルートゥは「彼女は、なんと?」と問うてくる。埋葬について伝えると、セイラがくちびるをとがらせた。
「おいおい、相手はKKKだぜ? 埋めてやるのはいいとしても、墓だのお祈りだのが必要な連中とは思えないんだけど」
――だが、いまは“ししゃ”だ。
わたしが白い牙のことばを通訳すると、セイラは一層声を張り上げる。
「ああ、死者だよ。死人に口なし。墓もお祈りも省略されたって、いまさらなんの文句があるってんだ?」
――ならば、てきであるわれらにまいそうされても、もんくはない。かんちがいしないでほしいのだが、わたしはこのれんちゅうにけいいをはらうつもりはない。ししゃに、うしなわれたいのちに、けいいをはらいたいだけだ。……こどもたちも、みていることだしな。
わたしが最後のひとことを通訳しているときに、白い牙は夢みる熊たちを示し、セイラへ向かって肩をすくめてみせた。セイラは不機嫌そうにむーっとうなり声をあげ……けっきょく、
「オーケイ分かった、ぼくの負け。……シャベルはどこ?」
と、言った。
黒煙兵の手を借りれば、埋葬にさほどおおくの時間はかからなかった。時を要したのは、むしろ墓づくりのほうだ。白い牙は夢みる熊に指示を出して、十インチほどの長さの板を数百枚はこばせた。くすんだ赤茶色の、木目がはっきりとした板だ。白い牙と夢みる熊はならんで一枚ずつを手に取り、ナイフでそこに彫刻をはじめた。刃が木片をけずり落とすたび、甘ったるく、森の湿気をふくんだような香りがぷんと鼻をつく。
「わ。なんか変わったにおい」
「ジュニパーだよ。焚くと、虫よけになる」夢みる熊が手をうごかしながら、セイラに説明した。
「へえ。で、それはなにをしてるの?」
「お墓づくり」
「板で? すぐに朽ちちゃうぜ」
「それでいいんだ。ぼろぼろに朽ちて、たおれて、土に還ってゆく。そのときには、土に埋めた屍体も土に還ってる頃合いだ。いつまでも墓石がのこってたら、魂だってその場を去りがたくなるだろ」
「それは、先住民の風習?」
「ううん。母さんが、そうかんがえてるだけ。覚えておきたいひとのときは、わざと岩を置いたりするけど」
『しゃべりすぎだ、ゆめみるくま』
白い牙が板とナイフを置き、手話でそう叱りつける。重なるように「声」が聞こえるから、わたしにはその意味するところが分かった。ごめん、という所作が返ってくると、白い牙はまたナイフを手に取った。
彫刻は、いたって簡素なものだった。上部に三本の爪痕のようなものがあり、中央に水平の直線、そのしたに横たわった人をかたどっているらしき模様を彫れば、それでしまいだ。けれども二百七十枚を、一画一画おろそかにせずていねいに彫っていくから、終わったときにはすでに、日が高くなりはじめていた。折から出ていた霧は晴れ、青々とした空が目にまぶしい。
白い牙たちは彫り終えた板をふかぶかと土に突き刺し、上部の爪痕しか見えないところまでうずめた。さいごにすこし目をつむり、白い牙はようやく立ち上がった。
『またせた。ゆこう』
手話と「声」の混合で、わたしに語りかけてくる。さきほどまでの疲労は、埋葬のあいだ座っていただけで、けろりと快復してしまったらしい。出産を終えて一日も経っていないはずだというのに、超人的な体力というほかなかった。
『めしだ』
*
白い牙は黒煙兵全員にも食事を供するといって、聞かなかった。いままでどんな農場でもかたくなに断りつづけてきたプルートゥも、目を吊り上げて叱られては、型なしだった。
『たたかうものが、いちばんよいにくにありつく。これは、あたりまえのことだ。いついかなるときでも、たたかうものにはよいにくをあたえねばならない。おまえたちは、むれのおさかもしれないが、おさだけがにくをくらい、たたかうものたちがありつけないとなれば、だれもついてくるものはいなくなる』
「ですが、われわれはずっと、そうしてきたのです」
わたしの通訳を聞いたのち、プルートゥは気圧されながらもそう反論した。それに対し、またまくしたてるような手話がかえってくる。
『ならば、おまえがずっとまちがってきたということだ。むれのおさとして、おまえははじねばならない。みはりだと。かげにてっするだと。おろかなはなしだ。よいにくをあたえられていないものが、いつまでもおまえにひれふしてくれるとおもうな。きょうこのときから、おまえはあらためねばならない』
手話での叱責がつづけられているあいだ、プルートゥは顔を伏していた。くちびるを引きむすび、叱られていることを噛み締めているさまは、いつもよりずっと幼く見えた――十七歳の少年らしい顔が、そこにあった。
そして、百名の黒煙兵は全員すがたをあらわし、整列させられ――白い牙の饗応にあずかるはこびとなった。
白い牙は夢みる熊に指示して、倉庫から大鍋を十ほどとりだしてくると、てばやく組んだ十の焚火にかけて、ラードを溶かし入れた。なかに、鹿や熊の干し肉のかたまりを一口大に切ったものと、こまかく刻んだ玉葱とを入れて炒めてゆく。そこに水をそそぎ入れ、何本かずつの干し骨とともに煮込み、すこししてから粗挽きの乾燥トウモロコシをくわえた。焦げつかないよう、手分けして掻きまぜながら、灰火でじっくりと煮込んでゆく。そのあいだを歩きながら、夢みる熊が、豆や干し芋、セージの葉などをそれぞれの鍋に放りこんでいった。わずかに焦げたトウモロコシと、肉の甘いにおいが、香ばしくただよいはじめる。ほどよい脂の溶けたかおりがふわっとただよいはじめると、わたしの腹はぐうっと鳴った。
「すごいいいにおいする……おなか減る……」
夢みる熊に代わって騒々しい雫を抱いていたセイラが、鍋を赤ん坊とともに覗き込んでは眉を下げていた。
『できたぞ。さあならべ』
「みんな、並べと言ってる。……わたしたちは後でいい。黒煙兵からだ。そら、さっさとならべ」
困ったようすの黒煙兵たちに声をかけ、椀と匙をもって大鍋のまえへとならばせた。わたしも大鍋のひとつを担当し、ひとりひとりの椀に粥をよそっていく。粥のなかには、とろけるようにくずれた肉と、ほんのすこし弾けた豆、ほくっと炊きあがった芋とがふんだんに入っていて、黄色くとろりとしたものを椀によそうたび、脂のいいにおいが鼻にとどき、食欲をさらにそそった。
黒煙兵全員にゆきわたったあとが、わたしたちの番だ。はやくも夢中で粥をすする黒煙兵たちのなかで、わたしたちは白い牙とともに円座となって腰を下ろした。
『あいつも、こちらだ』
白い牙が指さしたのは、椀をもって端にいこうとしていた跳ね蛙だった。
「おおい、跳ね蛙! ご指名だ」
わたしが代わって声をかけると、跳ね蛙は、困惑し――しかし、わたしがさしまねくのと、プルートゥのうなずく顔とを見比べて、しぶしぶといったようすで円座へと加わった。気まずそうな顔は、しかし、粥のさいしょの一匙をほおばったとたんに消え去った。夢中で、食べはじめていたのだ。
じっさい、粥は期待した以上にうまかった。
夢みる熊が豆をくわえたときに味も調整していたらしく、肉や豆やトウモロコシのたんじゅんな味わいのうえに、ふしぎなかおりのスパイスが乗っていた。一口ほおばると、舌がいわく言いがたいかおりに幻惑され、そのあとに、素材ほんらいのうまみが追いかけてくるのだ。誇張抜きに、いままで口にしたどんな料理よりもうまい。かつて奴隷宿舎で食べていたトウモロコシ粥と材料はさほど変わらないはずなのに、なにがこんなに違うのだろうとおどろかされた。
またたくまにできあがったお代わりの列に、わたしも三度ならび、ようやく腹がくちくなった。それまでは食べるのに夢中で、まともに白い牙とことばを交わすことさえできなかったのだ。気まずそうにしていた跳ね蛙までもが二度お代わりをし、セイラにいたっては大鍋のひとつをかかえこむようにして、鍋の底に焦げついていた粥をちょくせつ匙ですくっては口に運んでいた。




