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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.4 The Book of Judges/士師記

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109/111

108 白い牙11/あに

 ──なにもかも、わかっていたのかもしれない。


 夢みる熊(ドリーミングベア)は、静かな川(サイレントリバー)に習って助産術を身につけていた。覚えておいたほうがいい、ということばとともに、とつぜん、助産に必要な知識を伝えはじめたのだそうだ。すでに起き上がれなくなっていたから、寝たままにつらつらと語るお産の流れを、夢みる熊(ドリーミングベア)は枕のかたわらで覚えたのだという。


『ただ、経験だけがないんだ』

『かまわない。なにをすべきかしっているにんげんが、かたわらにいてくれる。それだけで、ずいぶんこころづよい』

『あの人は、なにもかも分かっていたのかな』


 肯定も否定も、おまえはしなかった。

 おなじことをかんがえていたとも、話さなかった。


 さらにふた月もすると、目に見えて腹はふくらみはじめた。おまえのごつごつとした腹筋ばかりが目立つ腹は、脂肪のまるみを得て、そのなかにいるなにかが内側から持ち上げていた。

 すこし動きがにぶくなったが、夢みる熊(ドリーミングベア)に言われて、歩くことはやめないでいた。季節が季節であったから、狩りも農作業もさほど本腰を入れる必要はなかった。冬の空気に入れ替わりつつあるなかを、ただ、目的もなく、集落のなかをうろうろと歩きまわった。


 夢みる熊(ドリーミングベア)はいい顔をしなかったが、森のなかにも足を踏み入れた。

 霜をふみしめながら歩き、ときおり頭上を見上げた。

 樹々のあいだに霧をさがしているのだと自覚してからは、なるべく目を伏せるようになった。


 ある日、夢輪ドリームキャッチャーが朽ちかけているのを見た。


 ものおもいなどは瞬時に吹き飛んだ。

 代わりに警戒がおまえを鋭敏にした。夢輪ドリームキャッチャーは、外部から対抗呪術を受けたときに朽ちる。たんなる経年で傷むことはありえない。静かな川(サイレントリバー)の教えがよみがえっていた。


 するどい目で、周囲をさぐる。

 目の届く範囲に、不自然なものは感じない。だが、わずかな気配がある。まだ遠い。一両日中にくることはありえないが、一週間も猶予があるとは思われない。


 ──もんだいは、こちらか。


 見下ろした腹は、いまにも弾けそうなほどに張っている。

 夢みる熊(ドリーミングベア)に、『数日以内に痛みがくる。それがしるしだ』と伝えられたばかりだ。


 子産みは、ひどく体力を費うという。

 死ぬものも、けっしてめずらしくはない。

 とうぜん、産後しばらくは、まともに動くこともかなわない。


 ──と、なると。


 追手の迎撃を、はたしてできるのか。


 夢みる熊(ドリーミングベア)も、十二は超えたはずだ。痩せっぽちだったからだはふんだんな食物でようやくしっかりしてきたし、それなりの天稟をそなえてはいたが……実戦では、かんたんに死ぬだろう。戦力は、おまえ自身だけだ。しかし子を産む前後で、まともに戦えるものなのか。


 結論が出ないまま、おまえは集落へと急ぎもどった。


『ロジシャンだ』


 告げると、夢みる熊(ドリーミングベア)はつくりかけていた細工ものを即座に手ばなし、集落内を駆けまわった。事前に打ち合わせていたとおりの迎撃準備をすばやく終えると、息ひとつ切らさずに駆けもどってくる。


『ゆくぞ』


 夢みる熊(ドリーミングベア)にささえられるようにして、おまえは歩いた。


 集落の北側、斜面をのぼっていったさきに、洞穴が用意されている。絡みあった樹々にほとんどおおいかくされ、知っていなければまず見つけられない。人ひとりがかろうじて這いこめるていどのせまい入口を抜けると、六人までが横たわれる広さの空洞が、ふたつ連なってあらわれる。

 奥には、保存のきく食糧を十日分と、飲み水代わりの酒樽を用意しており、手前の空間には寝泊まりのできるしたくをととのえてある。ここひと月のあいだには、万一にそなえて、子産みができるような寝床もしつらえていた。


 ひろげた灰色熊の毛皮のうえに、おまえは腰を落とす。

 洞穴のなかは、暗い。

 おまえは夢みる熊(ドリーミングベア)に手をにぎらせるようにして、手話を伝える。


『ひは、たくな。きけんだ』

『でも、お産には湯が必要なんだ。ナイフの毒消しだって、しなくちゃならないのに』

『さけを、つかえ』


 食糧庫に、強い酒を用意してあった。

 麦を蒸して発酵させ、いちどできあがった酒を、熱する。その湯気をあつめて、また酒にする。そうしてつくった強い酒を、ちいさな樽に入れてあった。外で獲物を解体するさいには、懐にしのばせたその酒でナイフを洗えば、毒はじゅうぶんに消える。夢みる熊(ドリーミングベア)はその情景を思い出したようで、こくんとうなずきをかえした。


 暗闇に、おまえたちはこもりはじめた。


 夜目が利くおまえでも、ろくに光源のないなかでは動きの気配をかろうじてとらえるのがせいぜいだった。だが、この暗さのなかで数日を過ごせるよう、かねてより訓練は積んでいた。

 あいてに手をにぎらせて手話を交わすやりかたも、その折にあみだしたものだ。ことばのやりとりがすこしあるだけでも、暗闇のなかではだいぶ気がらくになる。とくにやりとりすべき情報があったわけではないが、おまえたちは熱心にたがいの手をさぐりあった。


 おおよそふた晩が経ったころ、陣痛がきた。


『はじまった』


 そうつたえると、夢みる熊(ドリーミングベア)はすぐさま準備にかかった。闇のなかに、必要な品をさぐる忙しないうごきがぼんやりと浮かんだ。


 どうということはない、と思っていた。

 女のおおくが生涯にくぐり抜ける痛みだ。耐えられないわけがない。


 甘かった。

 痛みは、これまでに経験のないものだった。

 病も、手足をうしなうような大怪我も、おまえの人生にはついぞなかった。痛みに耐える経験など、ほとんど積んできていない。そのことを、いまさらのように思い出した。


 間欠泉のように定期的に噴き上がる痛み。

 真正面から、それと向き合っているうちに、気配を感じた。出入り口から吹き込む風の揺らぎ、とおくにかすかにただよう体臭。夢みる熊(ドリーミングベア)の手をにぎる。


『きた』

『生まれるの?』

『いや。やつらだ』


 暗闇のなかで目をつむると、まぶたの裏がわに、森のなかを走る真述師ロジシャンたちのすがたが浮かぶ。これがたんなるじぶんの想像であるのか、それともいままさに起きつつある現実の出来事なのか、判然としない。けれども、追手が近づきつつあることだけはうたがいようのない事実だ。


 ――どうする。


 おまえは自問する。

 この痛みをかかえたままでは、腹に赤ん坊を入れたままでは、戦えない。

 早急に、産み落とす。そうするしかない。追手の人数は分からないが、集落を襲ってくるからには、数人ということはありえないだろう。隠れていても、いずれは露見する。ならば、赤子を夢みる熊(ドリーミングベア)に託し、じぶんは外に出る。囮だ。なるべく衆目をひきつけるようにして、走る。ひとりでもおおくを、道連れとする。


 痛みの波がきた。


『穴が、ひらいてきてる。いきみはじめて』


 おまえは建てられた柱をつかみ、力をふりしぼりはじめた。


 ――なあ、こどもよ。


 胸のうちで、語りかける。

 腹のなかの我が子にことばを伝えようとするのは、かんがえてみればはじめてだった。


 ――ははは、おまえとともにいてやれない。あにと、なかよくくらせ。いうことをよくきき、したがえ。こころぼそくなったら、きりのなかにはいれ。そこに、おまえのちちがいるそうだ。わたしは、けっきょくみつけられなかった。


 呼吸が荒くなった。

 夢みる熊(ドリーミングベア)が、おまえの手を、調子をとるようにぎゅっぎゅっとにぎりしめる。まえに説明された、呼吸法だ。にぎられる律動に合わせ、おまえは呼吸をととのえた。短く二回吸って、長く吐く。短く二回吸って、長く吐く。くりかえした。


 ――あに。わたしは、わらえるようになった。そうすると、たのしいきもちはあとからついてくるようになった。あにの、いうとおりだったよ。まだ、とくいとはいえないけれど、『とくいになった』といってくれるひとも、いたんだ。


 短く二回、長く吐く。

 短く二回、長く吐く。


 ――しずかなかわ(サイレントリバー)。おまえ、いったいどこにいる。さんざさがしたのに、なぜかおをみせない。いまさら、わたしのまえにあらわれろとはいわないが、このこたちをみすてたら、ただではおかない。すこしは、ちちおやらしいところもみせてみろ。


 短く二回、長く吐く。

 短く二回、長く吐く。


 来た。


 おまえはちからをふりしぼる。

 痛みが極に達する。これ以上は耐えられないという痛みが、数秒経っても終わらない。終わらない。終わらない――。


 とつぜん、終わった。


 洞穴のなかが振動する。

 泣き声だ、とおまえは直感する。沈黙を正面から打ちくだく棍棒のように野蛮な、原初の声。


 夢みる熊(ドリーミングベア)がせわしなくうごき、布でその振動源をくるんだ。


 くしゃくしゃな、その顔。

 おまえの手を、涙ぐみながらつかんだ夢みる熊に、伝えた。


『やかましいな、こいつは。うまれてはじめて、なにかをやかましいとかんじたな、わたしは』


 後産とすべての始末を終えると、おまえは眠気が意識をすいこんでいこうとするのを、無理にひきはがした。

 立ち上がった。


 着衣を、ととのえなおす。


 暗闇に慣れた目が、洞穴の壁際に立てかけてあった戦闘衣装をとらえた。すべて、身にまとっていく。ひさしぶりだった。ここに定住してからは縁遠いものとなっていたからだ。


 かたわらでは夢みる熊(ドリーミングベア)が、うすめた牛乳に砂糖をくわえたものをつくっていた。

 衣擦れの音にでも気づいたのだろう、おまえが立ち上がっていることに気づいておどろいたようだった。


 気にせず、おまえは貝殻を手に取った。

 なかに入れてあるのは、けものの骨粉と粘土とをまぜあわせた、ペースト状のものだ。指先にとり、口のまわりになすりつけていく。


 牙をかたどる、戦化粧。


 終えると、夢みる熊(ドリーミングベア)の手を取った。


『あかんぼうは、おとこか、おんなか』

『女の子だよ』

『おまえの、いもうとか』


 夢みる熊(ドリーミングベア)は黙った。唇の輪郭がふるえているように、見えた。


『すごいこえ、だったようだ。……たぶん、ききつけられたろう。おまえはいもうとをつれて、さらにきたへとにげろ。もうひとつのあなぐらへ、ゆけ』


 避難所となる洞穴は、東西南北に二箇所ずつ用意してある。

 おまえが指示したのは、北側のもうひとつだ。厳重すぎるほどの警戒が、役に立った。


『わかった。……白い牙(ホワイトファング)は、どうするの?』

『わたしは、みなみだ』


 この洞穴から見て、集落のある方角だ。

 それがなにを意味しているのか、夢みる熊(ドリーミングベア)は理解したようだ。


『……帰ってくるよね?』

『わたしをまつな』


 それから、おまえは赤子を見る。

 布に染ませた牛乳を吸わされているらしく、泣き声は抑えられている。だが、またなんらかの拍子に泣き声はあがるだろう。隠れているのには、向かない。


 ――ぜんいんを、うちたおす。


 おまえはそう決めた。

 斃れるのをじぶんに許すのは、それからだ。


 赤子の顔を指先でなぞった。顔の造形を、そうしてたしかめる。目元が静かな川(サイレントリバー)に、似ているようだった。


そうぞうしいしずく(ノイジードリップ)

『え?』

『そう、なづける』


 それから夢みる熊(ドリーミングベア)を、抱きしめた。

 耳元で、なるべくちいさな声になるように気をつけて、言う。


「いもうとをぉ、……たのむ。……あに」


 そして。

 洞穴を、とびだした。 


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