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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.4 The Book of Judges/士師記

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108/110

107 白い牙10/無音の咆哮

 埋葬は、おどろくほどあっけなく終わった。

 先住民エルフがどのような葬儀をするのかは知らなかったから、ほとんど、ただ埋めただけだった。なるべくきれいな板で棺をつくり、静かな川(サイレントリバー)を横たわらせ、ふかく掘った土中にうずめた。おおきな岩をかついできて、目印代わりに置いた。ふたりでしばらく、目をつむった。それで、終わりだった。


 看取るときにはあれほど泣きじゃくっていた夢みる熊(ドリーミングベア)も、いまはしずかなものだった。

 岩に、頬を寄せている。

 なにかを語りかけているようにも、見えた。


 おまえは、空を見上げた。

 雲ひとつない、蒼天だ。むらむらと湧き出した怒りが、目をくらませる。


 ――きりなど、ない。

 ――きりなど、でないじゃないか。


 許せなかった。

 なにを許せないのか、分からなかった。

 ぼくは霧に還るんだと語ったあの笑顔が許せないのか。あいつを体よく追い出した村人たちの欺瞞が許せないのか。息をひきとるまぎわにおまえをまっすぐ見つめたあの緑がかった瞳が許せないのか。あの夜、すべてが終わったあとにまだ荒い息をつきながら目をおおい、ふるえた唇でひとつつぶやいたことばが許せないのか。


 激情を、おまえはのみくだした。


 奔流は、その夜にまたあらわれた。

 夢みる熊(ドリーミングベア)を寝かせ、明日の農作業の支度を終えて、寝床にもぐろうとしたしゅんかんだった。ふと、ながめた空の一部が、ほんのりと煙っているように見えて、ひきよせられるようにふらりと表に出たのだ。

 気のせいだった。

 空気はにくたらしいほどに澄んでいて、見上げた空には星々がまたたいていた。


 いっしゅん、明滅した。

 静かな川(サイレントリバー)の顔が、よぎった。


「――あ、」


 おまえは、顔をゆがめていた。

 声が、喉をふるわせているのが分かった。


「ああああああああああああああああああっ!」


 叫びは、無音だった。

 無音のまま、樹々から鳥たちを飛び立たせ、木の葉を揺らした。聴こえないことを、これほどたえがたく感じたのは生まれてはじめてのことだった。おまえは何度も何度も、呼気のありったけを尽くして絶叫した。いちども、声の切れ端さえも、耳には届かなかった。


 走っていた。

 森の奥へ、全身の筋肉を躍動させるようにして、駆け込んでいった。枝を手刀で叩き折り、幹を拳で打ち倒し、竜巻のようにあらゆるすべてを薙ぎ払って、ただ走った。

 転んで突っ伏すことができたなら、おまえはすこしだけ楽になれたろう。子どものように地面を転がりまわり、泥にまみれてただ泣きじゃくることができたなら、ずいぶんましだったろう。

 しかしおまえのからだは、本能が命ずるままに駆けつづけた。

 つまずくことさえなかった。


 気づけばおまえは、小高い丘のてっぺんで、月を見ていた。

 息ひとつ荒げぬまま、苦しみの一片も感ずることができぬまま、ただ、立ち尽くしていた。


 気配に、ふりむいた。


 灰色熊グリズリーだった。

 立ち上がっていて、体高は10フィートにもおよぶ。たんなる灰色熊グリズリーでないことは、そのおおきさからも知れた。かつておまえが仕留めた狼と同様の、怪物である。視界をおおうように立ちふさがる巨躯のはるかうえで、牙を剥き出しにして、唸り声をあげている。口の端から、粘性の高いよだれがぼたりと垂れた。


 恐水病、であった。


 蝙蝠からの咬傷によって、罹患している。ほんらい人間を避けたがる臆病な灰色熊グリズリーにはありえないほどの凶暴性を得て、であう動物すべてに無差別な死をもたらしてきていた。灰色熊グリズリーの特徴でもある理知的なまなざしはすでになく、攻撃性にまっくろに染まった眼球が、またたいている。

 おまえを、とらえている。ちょうどいい矛先として。


 おまえも、変わらない。

 どうしようもない怒りをたたえたまま、その吐き出しかたを、やつあたり先を、もとめている。


 ゆえに、両者はともに牙を剥く。

 牙を、向け合う。

 黄味がかった灰色熊の牙と、顔のまえに交差されたおまえの白い牙(ナイフ)とが、月光をうけてぎらりとかがやいた。


 攻撃の皮切りは、おまえからだった。


 ひくい姿勢から地面を蹴り、すれすれの位置で跳んだ。

 熊の鼻先を、ナイフの刃が切り裂く。

 痛みに絶叫しのけぞった灰色熊が、駄々をこねる子供のように振った爪を、かろうじて避ける。まとっていた毛皮のマントが引き裂かれ、からだにまとわりつきそうになるのを、おまえは転がりながらひきちぎって脇へと放り捨てた。その腕をもどすよりも早く、灰色熊グリズリーが筋肉のばねを活かして襲ってくる。


 体当たりを、もろに受けた。

 からだが後方へと吹き飛ばされた。


 樹木に背中を強打し、いっしゅん、おまえの呼吸はつまる。息をととのえなおすまえに、棹立ちになった熊が爪を振りかぶっている。息を吸い込むのをあきらめ、反対側へと跳んだ。ぞぶ、という感触。おまえのふくらはぎが灼熱する。

 かすっただけで、三本の傷口がぱっくりと開いていた。


 地面を転がる。

 はねおきて、またナイフを構える。


 さきほどの樹木のまえで、熊がのっそりと立ちあがり、こちらを振り向いた。


 飛礫。

 二つ、たてつづけに打った。


 ひとつが熊の目玉をとらえた。


 巨大なけだものが、苦痛に吼える。無音の咆哮。

 おまえも吼えた。

 耳鳴りがしている。ひさかたぶりの感覚。

 兄。思い出していた。

 さいごのしゅんかん、なぜ兄は笑ったのか。

 静かな川(サイレントリバー)のほほえみ。


 熊が駆けてくる。

 ふたたびの体当たりは避けられない。

 ナイフをかまえた。

 緑がかったあの瞳。

 ぼくは変身するだけなんだ。

 なにを言ってる。

 なら、早く出てこい。

 夢みる熊(ドリーミングベア)が待ってる。

 わたしもだ。

 衝撃。

 世界のすべてがひっくりかえる。

 刃先に感触。

 ねじった。

 離すものか。

 背中が切りつけられている。

 さらに、もう一本。

 深く刺しこむ。

 奥に、なにかがある。

 命だ。直感した。

 さらに深く。

 とらえた。

 刃先で、つぶした。

 痙攣。

 力が抜けていく。

 なにかが空に噴き上がった。

 見上げる。


 霧――。


 いや、血の、しぶきだった。


 荒く、息をついていた。

 巨大なけもののからだは、もの言わぬ肉塊となっておまえの尻の下にいた。


 血みどろになった手のひらを、ながめた。

 その手を、腹部にあてる。


 孕んでいると、そのとき理解した。


次話から毎週火曜日・金曜日の21時投稿になります。

よろしくお願いします。

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