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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.4 The Book of Judges/士師記

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105 白い牙8/牙と川と熊

 あては、ない。

 奴隷たちとへだたれて生きてきたおまえが、たとえば“あのおじいさん”についての歌を知るよしもない。しかし同行していた少年はべつだった。

 少年が指さす北極星をめざせばいいと決めてしまうと、おまえはもう迷わなかった。

 北をめざすことでなにが起きるのかを、少年からおまえに伝えるのは骨が折れたし、おまえのほうもわざわざ聞くつもりはなかった。


 おまえと少年のあいだでうなずきが交わされたあのしゅんかんに、両者はことばなしにつながったのだ。それだけで、よかった。


 なるべく、森のなかをはしった。

 食べものに困ることは、なかった。森のなかにはなんらかの獲物がいたし、いくつかの小石とナイフがあれば、訓練された狩人にはじゅうぶんだった。


 肉を焼くのには、気をつかった。

 逃亡者である以上、あまり盛大に火を出すわけにはいかなかったからだ。


 おまえは地面に穴を掘り、すこしはなれたところにもうひとつを掘ってから、地下を掘りすすめて二つの穴をつなげた。こうすると、煙も減り、薪もすくなくて済む。先住民エルフの、昔ながらのやりかただ。

 この焚き火で肉を焼き、食いきれなかったぶんは残り火でいぶして数日保たせた。


 焚き火じたいの回数は三日に一度とかぎった。

 夜は火を消して、樹上で眠る。


 少年が虫に刺されることを気にしていたので、むきだしの肌には泥を塗るようにした。翌朝になると、かわいた泥はぱりぱりと音を立てて剥がれた。


 このように気をつけていても、追跡者は迫ってきた。


 たんなる逃亡奴隷であれば、州境を限界とする奴隷追跡人スレイヴハンターしかこない。しかし逃亡に際して天人ヒューマンをきずつけたとなれば、KKKが首をつっこんでくる。連合国最高の追跡者を相手取っても、おまえが遅れをとるはずもなかった。


 追跡者がおなじ森のなかにいることを感知すると、まず、おまえは逃げるのをやめた。歩を止め、てきとうな洞穴に少年をかくすと、おまえ自身は小瓶に入れた液体を全身へとまんべんなくふりかけた。

 じぶんの尿である。

 これによって臭いを強調し、猟犬たちが少年に向かわず、こちらのみを追ってくるように仕向けるのだ。


 十頭ぐらいまでの犬は、正面から打倒した。

 犬の数をかぞえておけば、その後にあらわれる真述師ロジシャンの数も見当がついた。ひとりあたり二匹ぐらいを連れているのがせいぜいであるからだ。

 犬をうちたおしたあとは、木にのぼる。

 拾いあつめてあった小石を手のひらへと開け、待つ。

 しばらくすると、真述師ロジシャンたちがあらわれる。

 発見されるまでに、二人は飛礫で斃した。

 それからナイフを両手に地上へとおりたつと、二呼吸のあいだに残る三人ていどは片づけられた。


 少年を洞穴から連れ出すと、ゆっくりと沢で返り血と尿とを洗い落とし、また歩きはじめるのだ。


 こうした逃避行の道連れとしては、少年はわるい相手ではなかった。

 なにせ、しずかだ。

 おまえの耳が利かないことは分かっていても、うるさい人間はうるさいものだ。たとえば若旦那さまは、意味もないひとりごとやら問いかけやらが絶えなかった。おまえもそれに慣らされていたから、だれかが口をぱくぱくやっていると、ついくちびるを読もうとしてしまう。そのていどで注意力が乱れるようなおまえではなかったとはいえ――うっとうしいことに変わりはない。

 くらべて、少年は必要がなければ黙っていられたし、説明のしようがないことを何度もたずねてくることもない。

 楽だった。


 だまって背中を追ってくる少年にときおり目をやると、それだけで彼は用件を察し、こまかな指示をせずとも動きはじめた。

 夕方がちかければ焚き火のための穴を掘りはじめたし、落ち葉や枯れ枝をあつめてもくる。

 おまえが飛礫で兎をしとめたら、草むらまで走って死骸を拾いあげ、与えてあるナイフで器用にさばきはじめた。はじめのうちは見様見真似でおっかなびっくりはらわたを出していたが、三羽もさばくと、肝臓から胆嚢を抜く手つきもこなれた。

 おまえの顔色に警戒を読みとれば、ちかくの木の洞や洞穴へと這いこんだ。追跡者狩りがおわって出てくるときには、申し訳なさそうにしていた。


 ――めんどうがられたら、すてられるとおもっているのだ。


 そう分かってはいたが、ながらくひととまともな関係をきずいてこなかったおまえには、少年にどのようなことばをかけてやるのが正しいか分からなかった。


 ただ、連れ歩き、

 犬や真述師ロジシャンから守り、

 肉を食わせた。


 そうして、歩きつづけた。

 北極星を見つめながら。


 *


 朝露が、しずかに樹々のあいだを舞っていた。

 おまえにすこし遅れて、少年がついてきている。けもの道だった。踏みしめられた土が、おまえの体重をうけとめるたび、じっとりと湿ったにおいを放っている。朝日がかさなった葉のすきまから射しこみ、土のうえにむらのある影を落としていた。


 と、おまえはふいに立ち止まった。


 ひろく保った視界の隅に、うごきをとらえたのだ。

 少年に手の仕草で『そこにとまれ』とつたえた。

 足音を立てない歩き方で、うごきのあった方角をたしかめにゆく。


 すこしひらけた場所に、先住民エルフの男がたおれていた。

 かろやかな革製のチュニックを着ており、こまやかなビーズとあざやかな模様が織り込まれているのが見て取れる。腰に巻かれたベルトには革製の小袋がいくつかぶら下がっていて、かたわらには使いこまれて黒く光っている弓と、何本かの矢が散らばっている。


 ――ねむっている、のか?


 先住民エルフらしいととのった顔立ちは、やすらかな表情をうかべてはいたものの、その目がうっすらとひらかれているようにも見える。

 ながく濃いまつ毛が、かすかにふるえている。

 くちびるが、わずかにひらいた。


「語る山、歌う土、歩く木、流れる石――」


 警戒し、おまえはかまえた。


「色のない虹、無声のさけび、涙が笑う、鳥が根を張る――」


 ――うわごとか。


 せん妄状態にあるのだろう、とおまえは判断する。

 病か、頭でも打ったか。原因は知れないが、ほとんど正気をたもっていないことはうたがいない。


 あらたな気配。

 おまえは、視線だけをそちらへと向けた。


 クーガーだ。

 山猫をそのまま巨きくしたような見た目で、体長はおそらく五フィート七インチは超えている。おまえの知るかぎり、もっともおおきい部類のクーガーだった。

 おまえには、気づいていない。クーガーは油断なく歩をすすめ、仰向けにたおれた先住民エルフの男へと近寄っている。ひくひくと鼻面がうごいている。目のまえの肉塊の危険性をさぐっているようだ。


 興味を、うしなった。

 ことの帰結が読めたからだ。

 クーガーははやめの昼食にありつき、数日は腹をくちくしていられる。先住民エルフの男にとっては幸運とは言いがたい事態だが、あのようすなら絶命するまで、じぶんが喰われていることにも気づかないでいられるだろう。苦痛を知らずに逝けるなら、最悪の運命というわけでもない。


 ゆっくりと、おまえはきびすを返す。

 少年と、目が合った。


 少年は、男を見ている。

 男に近づくクーガーを見て、それからおまえをもういちど見た。


 ――だめだ。


 おまえは首を横に振る。

 少年は首を振りかえしてくる。だめだよ、だめだ、としきりにくりかえすように、悲痛そうな目をして。


 ――くそ。


 おまえは苛立ちに顔をゆがめ、ナイフを抜きはなった。

 振りかえり、クーガーがこちらに気づくのもおかまいなしに、その巨体へと駆け寄る。


 *


 男の英語はたどたどしく、くちびるを読むのには苦労させられた。かろうじて分かった情報をつなぎ合わせると、こうなる。


 ここから数十マイルはなれた居留地リザベーションが、男の住処だった。成人の儀を終えてしばらく経ったころ、かれの部族が『霧の息吹(ミスト・ウィスパー)』とよびならわしているものに選ばれ、古い掟にしたがって、霧に還る場所をさがすため、たったひとりで居留地リザベーションをはなれることになった……のだそうだ。


 つまり、病を得て村を追われたのだろう。

 おまえがそう伝えると、


「『霧の息吹(ミスト・ウィスパー)』は、病ではないんだ」

 と男はおだやかな口調で語った。

「ぼくたちの部族では、これは霧の精霊による祝福だと解釈してる。森とふかくつながり、調和を得たものにしか『息吹ウィスパー』はあらわれない。さいごに霧へと変じるのは、たんなる死ではないんだよ。それは霊的な変身、あたらしい人生への移行なんだ」

「そお……おもうなぁら、おもってれば……いい……」

「あはは。そのつもりだよ」


 静かな川(サイレント・リバー)と名乗った男は、万事この調子で、おまえをいらだたせた。

 しかし少年にとっては、ちがったようだ。

 この細面の先住民エルフにまとわりつくようになった。


 おまえにとってはおどろき半分、安堵半分、といったところだった。


 ――こんなに、よくはなすこどもだったのか。


 そういうおどろきと、


 ――まとわりつかれるのが、わたしでなくてたすかる。


 そういう安堵である。


 ふたりは道行きのなかでもなにくれとなく語らっていて、やがてその内容がほとんど聞くに値しないものと結論づけたおまえは、ふたりのくちびるを読むこともしなくなった。


 静かな川(サイレント・リバー)が得手としているのは、あながち子守だけというわけでもなかった。弓の名手だったのだ。先住民エルフのほとんどが弓を銃に持ち替えてしまっているいま、かれほどの腕を持つものがまだ残っていたというのも、おどろくべきことだった。

 静かな川(サイレント・リバー)は、おまえの飛礫がとどくはるか先の獲物もしとめることができたし、いつも急所を一発で射抜いており、引き抜いたときにやじりはおろか軸棒が傷んでいることもまずなかった。


 狩りがずいぶんらくになったので、静かな川(サイレント・リバー)の同行に異議をとなえる必要もなかった。

 こうしておまえたち三人は、奇妙な道連れとして、逃亡生活をつづけた。


 *


 ある夜のことだ。

 食事と後始末を終えたおまえたちは、眠るためのしたくをしていた。ナイフと砥石をとりだしたおまえの目のまえで、静かな川(サイレント・リバー)がひらひらと手のひらを振ってみせた。


 おまえがじろっと目をやると、先住民エルフはにっこりと笑う。

 両手を、つきだすようにした。


『まだ、寝ないのかい?』


 おもわず、目を見張った。

 手話、である。


『……どこで、しゅわを?』

『この子からだ』


 指さされたのは、少年だ。

 少年は恥ずかしそうにちょっとうつむき、意を決したようにこちらを見つめ、手話で言う。


『合ってるか、自信はないけど』

『どこで、まなんだ?』

『あなたから。この子は、そう言ってる』


 静かな川(サイレント・リバー)が、そう言った。


『あなたは、この子に手話で語りかけてた。それが伝わらなければ、声でおなじことばをくりかえした。そうしているうちに、すこしずつ覚えたんだね。ぼくも、彼から習ったんだ』

『……なんのために』


『あなたと、話したい』

 少年が、そう言った。

 まっすぐな目が、こちらを向いている。焚き火のわずかな炎で照らされて、その頬がかがやいている。はじめて会ったときよりもいくぶん丸くなり、年齢相応の肉づきをとりもどしはじめた少年の顔。


『ぼくたちは、あなたと話したいんだよ。白い牙』


 静かな川(サイレント・リバー)が、そうよびかけてくる。

 はじめて手話で示されたじぶんの呼び名を、おまえは新鮮に受け取った。悪い気は、しなかった。

『話そう。時間なら、たくさんあるんだから』

 静かな川(サイレント・リバー)が、ほほえむ。


 その笑みを見て、おまえのなかにこみ上げるものがあった。かろうじてのみくだす。おまえは、手をふたたび上げた。


『なにから、はなす?』


 少年が、ぱっと笑った。


 *


 その日以来、夜はさまざまなことについて語らうようになった。

 おどろくことに、語れば語るほどに、話題はあふれるようになっていった。たがいの身の上を語り終えてもなお、話の種は尽きなかった。


 おまえたちは明日なにを食いたいかを語り、きょうなにを見かけたかを語った。


 静かな川(サイレント・リバー)が、少年がどんな失敗をしでかしたかを語って聞かせたときには、おまえからも笑みがこぼれた。少年は失敗をあらわにされることに怒っていたくせに、おまえが笑っているのを見つけると、手をたたいてよろこんだ。


 名が必要になり、少年にはじめて問うた。

 ふたりに決めてほしい、と少年は言った。

 おまえと静かな川(サイレント・リバー)とは顔を見合わせ、少年が寝ついたあとに話し合った。


 つぎの朝、出発のしたくをととのえおえた少年に、おまえは手話で語りかけた。


『いくぞ。ゆめみるくま(ドリーミング・ベア)


 少年――夢みる熊(ドリーミング・ベア)は目を見ひらき、それから満面の笑みで、うなずきをかえした。


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