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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.4 The Book of Judges/士師記

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104 白い牙7/おおかみ

 若旦那さまは、爪を噛んでいた。


 白い牙(ホワイトファング)を、見うしなっている。

 いっしょに飛び出していった犬どもも行方が知れず、口笛にも応えない。同行者たちも、苛立ちはじめていた。


 白い牙(ホワイトファング)は口笛など聞こえないから、とおくから呼びかける手段などない。


 こころなしか、白い目を向けられているような気さえする。


 このあたりは、若旦那さまの保有地だ。

 あの奴隷の餓鬼を都合したのは同行者のひとりで、費えの負担を平等にするため、持ちまわりでサークル員が獲物を用意するのがこのサークルの暗黙の了解である。

 今回にかんしては初の参加ということもあり、若旦那さまが有利となる舞台をえらんでくれたわけだが――そのぶん、やってきたサークル員たちを先導する役割は担わされている。


 だというのに、犬たちをまるごとはぐれさせてしまったのだ。

 焦りは、一秒ごとに増してゆくばかりだった。


 政治的な意味でも、このサークルに名を連ねるメリットはおおきい。目の下をおおう垂れ布のせいで正体は判然としなかったが……こういった秘密倶楽部で、ひと知れぬ愉楽をあじわっている人びとというのは、あらかたの享楽を舐めつくした、南部でも指折りの富豪たちと見て相違ない。ここでうまく振る舞えば、あらゆる出世への近道が開けるかもしれないのだ。


 ――だからこそ、この失態はまずい。


 主催者ホストとして、こんな興ざめな状況を招いたとあっては、評価は下がってゆくいっぽうだ。噂の白い牙(ホワイトファング)の飼い主ということで、せっかく積み上げてきた声望を、一秒ごとに使い減らしている。


 くわえて始末に終えぬことには……若旦那さまは、道さえも見失いつつあった。この森で狩りをするのはもう何度目か分からぬほどではあったが、ふだんはくつわを取る召使の誘導にしたがっていただけだ。

 召使もいない、夜闇のせいでふだんと風景がまるで違うとあっては、迷わないほうがふしぎだった。


 こうして訳知り顔で馬をすすめてはいるが、背中には冷や汗がにじみつづけていた。


「おおかた、この先でしょう。

 ひらけた空間がありまして、そこに追いつめているやもしれませんからね……」


 もごもごと苦しまぎれをつぶやきながら、木々を抜ける。


 崖、だった。

 断崖といってよい高さで、数十フィート下にようやく地面が見えている。どれほどの名手であっても、ここを馬で駆け下りるわけにはいくまい。行き止まりだった。


「ひらけた空間、ね」

「たしかに、眺望は抜けておりますがな」


 笑いをともなわない、つめたい皮肉が背中に投げつけられる。

 ふりかえる勇気も出なかった。崖の下を、なにか調べるような風をよそおって眺めつづけていたが、ここを下りることが叶わない以上、馬首をかえして元来た道を戻るよりほかはない。

 それを、どんな顔で言い出してよいのかさえ、若旦那さまには分からなかった。



 と。

 がさり、という音がした。


 ふりむくと、白い牙(ホワイトファング)がそこにいた。

 わずかに返り血を浴びていて、片手に引きずるようにして子供を連れている。まさしく、獲物の奴隷少年だ。


 ――しめた。


「おお! ようやく来たか、白い牙(ホワイトファング)! 打ち合わせのとおり、この場まで連れてきたのだな……いやしかし、おまえも気が利かないなあ。そのようにずたぼろになった“獲物”をひきずってこられては、興が削がれるじゃないか、ええ?」


 安堵の声をおくびにも出さないよう、無理に顔をしかめてみせながら白い牙(ホワイトファング)を叱り飛ばした。そうしながら、横目で同行者たちをうかがう。覆面のせいで目しか見えないために、この流れがどう受け取られているかは分からなかった。

 若旦那さまは、彼らのほうをふりむいた。


「失礼しました、みなさま。どうやら“獲物”はつかまえたようですが、なにぶん犬にひとしい野蛮人なりの頭しかありませんから、こんな体たらくでしてね。……おや、みなさまの犬は戻っておりませんね。

 おい白い牙(ホワイトファング)、ほかの猟犬はどうした?」

『もう、もどらない』

「はあ? よせよせ、その手振りはわからないとまえから言ってあるじゃないか。それより、」


 つづけようとしたことばが、断ち切られた。


 風切り音とともに、なにかが飛んできたのだ。

 ずぶ、という音とともに、まわりで同行者たちが馬から落ちてゆく。いっせいに地面へと倒れ伏していた。

 泡を食って見まわす。

 サークル員たちは、みな喉に投擲用の細いナイフを突き立てられていた。主人をうしなった馬たちが、困ったように歩きまわっている。


 白い牙を見た。

 投擲後の姿勢からゆっくりともどり、胴巻きから投擲用ナイフをもう一本、抜き取った。目が、合った。


「ひあっ!」


 あわてて、馬を竿立ちにさせた。

 意図したことではなかったが、投げられたナイフは馬体の胸部へと吸い込まれ、馬がかんだかいいななきとともに斃れていった。投げ出された若旦那さまのからだが地面を転がる。そのまま浮遊感とともに崖から落ちかけた。

 淵に生えていた灌木の根に、いっしゅんからだがひっかかる。

 その機に、筆杖ペンをとりだした。


 根が折れて、かんぜんに足場をうしなうまえに、かろうじて、真述ロジックの鎖を喚び出せた。

 鎖は緑色にかがやきながら顕現し、白い牙(ホワイトファング)の首輪と筆杖ペンとをつなぐと、若旦那さまのからだを空中でつなぎとめた。


 振り子のように、ぶらん、と揺れた。


「ひぃっ!」


 真述ロジックの鎖は、切れない。

 いくら負荷がかかっても、ちぎれてしまうことはない。


 頭ではそう分かっていたが、恐怖は別だった。

 もう片方の手でなんとか鎖をひきよせ、ぐるりと手首にまきつけた。ほんのすこしだけ、息をつくことができた。


 見上げた視界に、白い牙(ホワイトファング)が映る。

 こちらを覗き込むように見下ろしている奴隷の首には、鋼鉄の首輪がはまっていて、筋肉が隆起した太い喉元に血管が浮き上がっているのが見えた。


 ――こいつの首ひとつに、僕は支えられている。


 そう気づいて、総毛立った。


「ひ、引き上げろ!」


 上ずった声で、若旦那さまが言う。


 しかし白い牙(ホワイトファング)は、したがわない。

 耳をしめしてみせ、わざとらしく顔をしかめてみせる。聞こえないと分かっているでしょうに、とでも言いたげな顔だ。


「ふざけるな、早くしろ! おまえはくちびるが読めるだろうが……! ひ、き、あ、げ、るんだ! ひ、き、あ、げ、ろ! 分かるだろ、おい!」


 なおも白い牙(ホワイトファング)は耳を示している。


「くそ! 馬鹿かおまえは――このままだと僕だけじゃない、おまえも落ちるんだぞ! その首輪が見えないのか――ほら、首輪だ! く、び、わ……そう、それだよ!」


 いま見つけた、とでも言わんばかりに、白い牙(ホワイトファング)は首輪を指さした。

 若旦那さまが安堵の笑みをこぼしかけたつぎのしゅんかん、この奴隷は信じがたい行動をとった。


 首輪を、ねじり切ったのである。


 強靭な拳に血管が浮き出、傍目にもおそろしいほどの握力がこもったかと思うのもつかのま、太い指先がまるで紙をそうするかのように、鋼鉄製の輪を千切ったのだ。輪のかたちをなさなくなり、首元からときはなたれた残骸を、白い牙(ホワイトファング)が指先でつまんでいる。ぶら下げている。


 その先には、むろん、じぶんのからだがある。


 若旦那さまは、ようやく悟る。

 おのれの運命は、この奴隷の運命とともにはない。ただ、この奴隷の掌中にあるのだ。文字どおりの意味で。


「――ひあっ」


 あまりの恐怖に、それ以上の悲鳴は出なかった。


 白い牙(ホワイトファング)の腕は、まるでなんでもないものであるかのように、真述ロジックの鎖を持っている。片手で、天人ヒューマンの成人男性ひとりぶんの体重をささえているというのに、まるで苦にしたようすもない。このまま保持しろと言われれば、何時間でも持っていられそうな風情である。けれども、引き上げるようすはみじんもない。まるで呆けたもののように、その鎖を、しげしげとながめている。


「ふっ、ざけっ」


 若旦那さまはひきつけを起こしたかのように、きれぎれに叫ぶ。


「ふ、ざける……なっ! あそんでる場合じゃないんだ、さっさとひきあげるんだ、なあ、分かるだろ! おい、こっちを見ろ! 僕のくちびるを読むんだよ! そうだ、こっちだ――たのむよ、僕がわるかったから、ひきあげてくれ……、ひ、き、あ、げ、て、く、れ……た、のむ……あ、げ、て……」


 おまえは依然として顔をしかめている。

 こんなにも、ことばが伝わらなかったことなど、若旦那さまの経験にはない。こんなにも白い牙(ホワイトファング)がしたがわなかったことも、ない。すこしでも()()()()ようなら、容赦なく鞭をふるって顔をなぐりつけたものだ。だから、若旦那さまはこのような状況に、慣れていない。


 片手をさしあげて、おまえは()()


『しゅわでなければ、わかりません』

「頼む……僕がわるかった……」

『しゅわで、どうぞ』

「僕とおまえの仲だろ……? なあ……僕はおまえを、かわいがってやったろ……?」


 涙をながし、しゃくりあげる。


「たのむよ……お願いだ……。

 おまえは僕の忠実な、かわいい犬だろ……?」


 そのことばを聞いたしゅんかん、白い牙(ホワイトファング)が表情を消す。

 ことばが分からぬふりもやめて、つめたいまなざしで、若旦那さまを見下ろした。


『わたしは、いぬではない。はじめから』

『わたしは、おおかみだ』


 手を、はなした。


 *


 谷底でぐしゃりと音を立て、ひらたい岩のうえに赤い花が咲いた。

 それを見届けたのち、おまえはふりむく。


 天人ヒューマンたちの屍体のなかで、少年がふるえている。


 屍体のひとつから、絹服の端をちぎりとった。怯える少年へと近づき、その耳に手ばやく包帯をほどこした。手当が終わると、少年の目を見て、こくりとうなずく。


 少年は、うなずきを返した。


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