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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.4 The Book of Judges/士師記

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099 白い牙2/支払いの時間

 おまえは、奴隷宿舎クォーターのなかで目を覚ました。

 召使の影があった。

 兄がからだを起こし、そのまま召使にともなわれてゆく。その背中を、おまえも上体を起こし見送った。かたわらで寝かせていた仔ヤギが、体温が離れたことに抗議するように、鼻からの息をおまえに吹きつけてくる。おまえはまた、身を横たえた。


 いっぽう。

 兄は眠い目をこすりながら、召使の背を追っていた。こんな時間に、若旦那さまからのお声がかかるのはめずらしい。それも、『身支度をととのえる必要はないからすぐに来い』とのおおせとなると、ほとんどはじめてのことだ。


 ――お酒を、召してらっしゃるのかな。


 そうでないといいな、と兄は思う。

 だいたい、若旦那さまは酔いがまわるほどに暴力をふるいたがる。ほとんどは手近な召使に対しふらついた拳を飛ばすぐらいで終わる。寝ている奴隷をたたき起こしてまでそうしようとこころみたことはない。

 だから、さすがに今回は違うだろうと兄は踏んでいた。

 とはいえ、寝ぼけてすっとんきょうな応対をしたりすれば、ご機嫌をそこねてしまうかもしれない。


 兄は二度頬を張って目を覚ました。


 ――これで、大丈夫。

 ――はやくお申し付けの用事を済ませて、あいつの隣に帰ってやらなくちゃ。シスターはきのうから風邪気味で、えらく寒がっているし、心細がってもいる。はやく、いっしょに寝てやらなくちゃ。

――そうだ。あすは昼めしをはやめに切りあげて、野苺をすこし摘んできてやろう。風邪にはあの酸味が効くし、野苺はあいつの好物だから、きっとよろこぶだろう。


 兄は、おまえの笑顔を思い出してすこしほほえんだ。


――あいつは、笑うのが不得意だなんて言うけれど、とんだまちがいだ。げんに、あいつが笑うとおれはこんなにうれしくなる。ひとをうれしがらせる笑顔が、どうして不得意なもんか……。


 そんなことをかんがえているうちに、遊戯室へと着いていた。


 お連れしました、と召使は言い、そそくさとその場を立ち去ってしまう。やはりご不興なのでは、という心配をふりはらい、把手へと手をかけた。


「失礼いたします」


 扉を開くと、若旦那さまをはじめとする四名分の視線が、兄を出迎える。

 期待に満ちたまなざし。

 そんなものが、用事を申しつけるために喚ばれた奴隷に向けられるわけがない。兄は背に悪寒が走るのを感じる。


「よく来た。入れ」


 しかし、若旦那さまにそう声をかけられれば、踵を返すわけにもいかなかった。おずおずと、兄は遊戯室のなかへ入る。


「扉を閉めろ」


 そう言われ、後ろ手に扉を閉める。


 ――これで、逃げ場はない。


 不吉なことばが、頭に浮かんだ。


 若旦那さまはうっとうしそうに立ちあがり、飾り棚の抽斗をあさると、見つけたものを無造作にこちらに放ってくる。

「そら」


 あわてて、兄は投げわたされたものを受け止めた。

 ひんやりとした重たい感触が、手のなかにある。


 ――銃だ。


「うあっ……!」


 兄が銃をとりおとしかけると、ご友人がたがそろって爆笑する。

 暴力的で狂躁的な、けたたましい笑い声に、身を圧迫されるような思いを感じながら、兄は若旦那さまの顔をうかがう。不興の表情をとりつくろってはいるが、かくしきれぬ昂揚をじっとりとした視線に込めて、こちらを見ているお顔を。


「あのう……これ……」


 銃を、兄はさしだす。

 持っているのが怖かったが、汚いもののようにあつかえばお怒りを買ってしまうかもしれないから、両手のひらにそっと乗せたまま。


「ふん」

 若旦那さまが鼻を鳴らす。

「返させるぐらいなら、なぜ渡す。ちょっと頭をつかえば分かることだろう、奴人ドレイヴめ。そいつは()()()()()()()んだよ」


 ふたたび、爆笑が巻き起こる。


「え、あの……。おれがつかうって、どういうことなんでしょう……?」


 怯えながら問うと、ご友人がたは膝を叩いて笑いころげる。

 若旦那さまはうっすらと笑いを浮かべ、友人たちに聞かせるように、声を張り上げる。


「命令だ、餓鬼。()()()()()()()()()()()()


 *


 おまえが目覚めたのを察したのか、仔ヤギが顔を舐めてくる。

 舐められた頬が、夜気にひんやりと冷えた。

 ぼうっと、月明かりに照らされた天井の隅をながめていると、毛布にくるんでいた足が蹴りつけられた。


 からだを起こす。

 さっき、兄を連れていったばかりの召使だった。むっとした顔だ。おそらく、おまえの耳が利かないのを忘れ、何度か声をかけたのちに気がついたのだろう。そういうちいさな怒りを招くことにも、おまえは慣れている。頭を下げて謝罪の意をつたえようとした。手話が伝われば、もっと具体的なことばで謝ることもできたが、兄以外のほぼ全員が、役立たずのおまえひとりのためにそんな労を買って出る気はないことは、とっくの昔に分かっていた。

 召使は舌打ちをして、顎の動きだけで付いてこいと示した。


 夜道に苦労する召使のあとを、おまえはぞうさもなくついてゆく。仔ヤギも抱いたままだ。

 夜目はむかしからよく利いた。

 兄のことばどおり、『見るのが得意』だとおまえは自認していたが、実のところ、狩人として森のなかに暮らしていた先住民エルフの血と、洞窟のなかにこもって生きた洞人ドワーフの血とがかけあわされ、おまえの『見るちから』はかたちづくられている。だが、これをおのれの強みであるとは理解していない。ただ、まわりの人びとがみな夜道でつまずきかけて奇妙な足踏みをすることを、ふしぎなものとして見つめている。


 お屋敷へと、着く。

 召使は仔ヤギを置いてゆけと言い、おまえが首をかしげると身振りでおなじことを伝えようとし、やがてしびれを切らしおまえの腕から仔ヤギをひったくろうとし――これにも、失敗した。おまえがとっさに腕を引いたからだ。耳が利かないせいでどこか鈍であるかのような誤解を受けているが、おまえの反射速度は、並の洞人ドワーフとはくらべものにならない。召使はつんのめって、かろうじて転ばずにすんだ。


「……好きにしなさい。若旦那さまにぶちのめされるのは、どうせ私じゃないんだからね」


 吐き捨てるような台詞を、おまえはくちびるを読んで理解していたが、分からないふりをする。兄以外の人間に対して、おまえは決して愛想のいい子供とは言えなかった。

 そして、遊戯室へと入っていく。


「そら、来たぞ」

 若旦那さまが言う。


 怒りで声を張っているらしく、くちびるは読みやすかった。びくっとふるえながら振り向いたのは、兄だった。ひきつった恐怖の目が、おまえを見返している。なんでこんなところに、という驚きもまじっている。ほかには三人の貴族がいて、若旦那さまとおなじくこちらに目を向けている。


 ――こわい。


 とっさに、おまえは思う。


 四人もの天人ヒューマンに、なにかを待たれている。それが、こわい。よくよく見れば、兄はなにかくろぐろとした塊のようなものを両手のひらに乗せ、小きざみにその手をふるわせている。わななかせている。頼りの兄が、いつも幹のようにがっしりと立ってくれているはずの兄が、あんなにも怯えの色を見せている。それが、こわい。


 仔ヤギを、ぎゅっと抱きしめた。

 ちいさな家畜は、一声、抗議の声をあげたようだった。


 若旦那さまが、それをちらりと見る。

 それからいきおいよく立ちあがり、兄の視線を受けながら言う。


「あーあー。奴人ドレイヴという連中はどうしてこうもものわかりが悪いかな。せっかくおまえの『妹』を連れてきてやったというのに、なんにも分かってないんだな。なら、おまえの弱い頭でも分かりやすく、二択にしてやるさ」


 こっそりと取り出していたなにかを、言い切ったしゅんかんにおまえへと向けた。


 空気が、ふるえた。


 おまえの腕のなかで、びくん、と仔ヤギが身を跳ねさせた。ぬるい液体が、おまえの手のひらを濡らしてゆき、仔ヤギのからだがきゅうに重くなったことと合わせ、抱いていられなくなる。とりおとしかけた仔ヤギを、おまえは見た。


 血、だった。


 呼吸が、浅くなった。

 空気をとりこめなくなり、ひきつけのように小きざみに息を吸い、吐いた。息を吐くときに、おまえの喉からは声が漏れるようになる。それを悲鳴と呼ぶのだと、おまえは知らない。


 仔ヤギのからだが、みるみるうちに冷えてゆく。

 一秒ごとに、重くなってゆく。

 抱いているのが、怖くなる。怖いのに、動けない。


「そうら、これで分かりやすくなった」

 若旦那さまが言う。


 仔ヤギの死から目が離せなくなったおまえは、くちびるを読むことができない。だからそれらのことばは“耳”には入らない。だが、兄にとってはべつだ。


「つぎに僕が狙うのは、そこの洞人娘ピカニニイさ。だが、どちらの銃が火を吹くかは、おまえに択ばせてやるよ、()()()()()。どっちにする? 僕の持つ()()()か、おまえの持つ()()()か」


 兄は、気づく。


 この二択は、のがれられない。

 いくら愛想笑いをかたちづくってみても、『嘘だ』のひとことが返ってくることは、ない。若旦那さまは本気なのだ。


「なん――なんで、ですか……?」

「ああ?」

「なんで、こんなことを……」

「賭けに負けたんだよ。思い出させるな、腹が立つから」


 天人ヒューマンたちが、けひゃひゃと笑った。


 ああ、と兄は思う。

 その笑いかたを見て、思う。


 ――これは、冗談だ。

 ――おれをかついでよろこぶたぐいの冗談では、ない。

 ――おれが葛藤し、ついにはすべてを諦める過程を見て笑うたぐいの、そういう冗談だ。


 ――おれは。

 ――おれたちは、

 ――玩具、なのだ。


 その自覚を受けて、兄は、どうしたか?


 怒らなかった。

 諦めなかった。


 ただ、おまえを見た。

 恐慌のただなかにあるおまえのすがたを見て、ぐ、とくちびるを噛みしめた。それから、ふるえる口元を、無理矢理ほほえみのかたちにととのえた。


「おい!」


 おおきな口の動きを視界の隅にみとめたおまえが、顔を上げる。

 兄はにっこりと笑い、じぶんのこめかみへと、銃口を向けた。そうしたまま、おまえへ言う。くちびるの動きだけで、おまえに伝える。


『生きろ』


 それから――


『おまえは、生きるのが得意なんだ』


 銃声が、ひびいた。


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