殿下、愛を叫ぶ前に契約書を読み直してください。
「クラリッサ・ヴァレンシュタイン、お前との婚約を破棄する!お前の冷酷で横暴な態度は見過ごせない!そして私は真実の愛を見つけたのだ。このエミリアこそ、私の心の唯一だ!」
王太子ジルベルトがそう言い放つと、横の男爵令嬢エミリアが頬を染めた。その顔には、王妃にでもなったつもりの勝ち誇った表情が浮かんでいた。
ざわめく貴族たち。悲劇の令嬢が泣き崩れる――そんな展開を期待しているのだろう。だが私は違う。泣く? 叫ぶ? そんなの、時間の無駄だ。
「――殿下。まず最初に確認を。『冷酷で横暴』とおっしゃいましたが、具体的に何を指しているのですか?」
「そ、それは……侍女を虐げ、平民を見下した……と、聞いている!」
「聞いている? なるほど、つまり伝聞ですね。殿下はこの国の未来を担うお方。それなのに、酒場のゴシップを根拠に人を断罪なさるとは。新しい統治方針でしょうか? 『王政より先に噂話』と。」
会場に小さく笑いが響き、殿下は苦渋の表情を浮かべる。
「だ、だが侍女たちの証言が――」
「では証人をこちらに。侍女の名前は? 証言記録は?まさか、無いなんてことはありませんよね?」
「……そ、それは……」
「出せないのですね。噂だけで。……殿下、もしも裁判でそれを言ったら『はい却下』です。次に行きましょう」
殿下の顔から血の気が引いて行く。私は続けた。
「次に殿下の『真実の愛』ですが――それは契約を破る免罪符にはなりません。もし国同士の条約を『あっちの国の方が好きになっちゃったから』で破ったら、はい戦争です。詩人ならロマンチックに『愛はすべてに勝る』と言うでしょうが、現実は『契約違反の賠償請求』が先に来ます。」
「お、俺は……心に従ったまでだ!」
「素晴らしい。殿下の心が法の上にあると。では、明日から『殿下の機嫌』を国法に書き換える必要がありますね。きっと愉快な王国になるでしょう。」
皮肉を込めると、貴族たちの間に忍び笑いが広がった。
「それからエミリア嬢の件について。もし本当に清らかなご令嬢であれば、既に婚約者のある殿下に近づくのは避けられたはずです。ですが、密会を繰り返し、贈り物を受け取り、舞踏会で堂々と踊っていた。」
「ち、違います! 私はただ……殿下があまりに寂しそうで……!」
「なるほど。慰めのつもりが結果的に婚約破棄に至ったのですね。……お優しい。慈善事業にも似ています。ただ残念なことに、慈善事業なら領地で孤児院を建てるほうが、王国の評判はよかったでしょう。」
会場に笑いが広がり、エミリアの顔が真っ赤になった。彼女は涙を浮かべ、殿下の袖を握りしめる。
「そ、それでも! 俺はエミリアを選ぶ!」
「素晴らしい決断です。婚約破棄を受け入れましょう。では契約破棄に伴う損害賠償についてご準備ください。私の家は王家との婚姻を前提に多額の寄付と軍備支援をしてきました。すべて『前払い投資』です。」
「そ、損害賠償……?」
「ええ。殿下のお好きなように。現金でも領地でも。あ、あるいは王位そのものを譲渡いただければ、それでいいでしょう。」
爆笑が起きた。真顔で言ったつもりだったのだが、どうやら冗談に聞こえたらしい。いや、本気だが。
殿下は真っ青になり、エミリアは小声で「そんな話、聞いてない」と呟く。周囲の貴族たちは冷ややかな目を向けていた。
「殿下、私は争いたいのではありません。ただ、法と契約を軽んじれば、この国そのものが崩れます。……殿下が望むのは『恋愛ドラマ』かもしれませんが、ここは『国家の舞台』です。視聴者数が違いますよ。」
私が一礼すると、広間は静まり返った。国王が立ち上がり、厳しく告げる。
「王太子が感情を優先し契約を無視するなど言語道断!ジルベルトを王太子位から外し、クラリッサを新たな王太女として迎え入れよう!その方が国も安泰だ」
観客席から歓声が上がり、元殿下は膝から崩れ落ち、エミリアは泣き崩れた。
法と理屈を武器にする限り、私は負けないのだ。
数か月後、クラリッサは理知的で誠実な侯爵家の次男と新たに婚約した。
「契約を守れる人こそ、愛を育てられる人ですわね」
そう微笑む彼女は、“論理”の先で本当の幸せを見つけたのだった。
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