良いお肉は異世界でも美味しい
忙しさでおかしくなりそうだった。
いや、実際におかしくなっていたのだろう。私だけじゃない、職場そのものがおかしくなっていて、まずいと思って私は逃げた。
次の職場は決まっていなかった。それはあまり良くないことだとは思っていたけど、このまましばらく休みたいという気持ちが強かった。
どこか遠くに行きたかった。仕事とかお金とか家族とか、全部どうでも良くなるくらい、遠い場所に。精神状態が良くないことは自覚していた。
たまたま予定が合った友人と二人、気分転換にキャンプに行こうということになった。
どうせならとキャンピングカーを借りて、肉も野菜もたっぷり買って、休職中とはいえ、なかなか贅沢なキャンプになる予定だった。
大きな車を扱える気がしなくて、運転は友人に頼んでいた。申し訳無いと思いながら、気付けば助手席で眠ってしまった。
「起きて。ねぇ、起きて!」
「えぇ……?」
肩を揺すられ、まだ眠くて目元を擦る。
「起きてよ。なんかまずいことになってる」
車は止まっているらしかった。
眩しさに戸惑いながら目を開ければ、窓の外の景色が一変していた。
「…………着いたの?」
「そんなわけないでしょう!」
広い広い草原だった。遠くに森と、町らしきもののシルエットが見えた。それが、現代日本の町には見えなかった。
窓を開けて身を乗り出してみても、信号も電柱も、他の車も歩行者も見えない。何より、走って来たはずのアスファルトの道がなくなっていた。
まるで車ごと持ち上げられてポンと置かれたみたいに、私たちは知らない場所にいた。
「どういうこと」
「いきなり道に変な模様が見えて、それを踏んだらピカーッて光って、気付いたらこう」
「えぇ……」
「ごめん」
友人が急に真剣な表情になって頭を下げた。
「最近ずっと、何かに呼ばれる夢を見てたの。たぶん私が君を巻き込んだ」
「いや、あなたのせいじゃないでしょう」
ずっと遠くに行きたいと思っていた。
ここは間違いなく『遠く』だった。
どうしようどうしようと焦る友人を前に、私は妙に落ち着いていた。
「とりあえず、お肉焼いて食べない?」
「え?」
「だって、お腹空いてない?」
「そんなことしてる場合じゃ」
「大丈夫、どうにかなるって」
窓を開けてみる。なんて清々しいんだろう。ここ数カ月……いや、数年はなかったくらいに晴れやかな気分だった。
「まずはどれを食べる? 牛か豚か……」
キャンピングカーの冷蔵庫を開けた。味付けは塩胡椒がいい。良いお肉なのだから、シンプルが一番だ。
「あ。じゃあ、牛で……」
そうして私たちの異世界生活は、国産黒毛和牛と共に幕を開けた。美味しかった。塩もいいけどワサビ醤油が最高で。
私たちはキャンピングカーで一晩過ごした。
翌日には慌てた様子の魔法使いとなんか偉そうな人が『召喚地点がずれた』とか言って、私たちを迎えに来たのだった。