入院日記 尿路結石編
はじめにお断りしておきます。
重症ではありません。いわゆる死病の闘病日記とは異なります。
ただ入院の感想を書いたものです。
病院なので配慮することが多く多少つまらない日記になっています。
医療の知識が乏しいので医療に関して書いていることは信じられても困ります。一切責任は持ちません。
某年某月某日 一日目
午前中入院。
ノートパソコンもタブレットも持ち込んで良い。コンセントを使った充電もOK。コンセント使用は無料だ。すばらしい。
さて治療。最初にレントゲン撮影。
病名であるが、尿路結石である。腎臓で出来て育った石が尿管を落ちてくる途中で引っかかっている。尿管にとどまっているので尿管結石と言うべきか。
痛みも血尿も無かった。症状があれば発見が早かったろう。幸い年に一度人間ドックに通っているので、昨年は件の石が腎臓にあるのは確認している。今回のドックの超音波検査で腎臓の下の方で発見。その後胸腹部CTで結石が尿管の途中にとどまっているのを確認。
毎年ほぼ同じ時期に人間ドックを受けているので、石が尿管にとどまっていた期間は最長一年程度である。
さて石は動かず尿管を塞いでいる。当然腎臓は生産した尿が流れないので水腎症である。このままにしておけば腎臓がダメになるのは誰にでもわかる事だ。
放っておいて腎臓を一つだめにするか、石を除去するかであるが、除去を選んだ。
そこでこの石を何とかせねばならない。砕くのである。外から衝撃波を当てるか、尿の体外への排出孔から内視鏡を入れて尿路を遡って行き中からレーザーなどでやるかである。今回は後者である。
病衣に着替えて、ベッドにゴロゴロしていると入院は午前中なので当然昼食が出てくる。
美味しい。温かいものは温かい。ご飯も美味しい。
街の食堂で食べるご飯は、美味しいご飯(米)と、さほどでもないご飯(米)がある。結構な金額を払っても美味しくないことがある。思い出した。随分前都内の小さい餃子屋で食べたご飯は後者であった。もう閉店してしまったけど有名な餃子屋だったらしい。
この病院のご飯(米)は美味しい方だ。嬉しいなあ。紙に患者の名前と献立、カロリーなどが書いてある。捨てずにそのままにしておいた。廊下に置いてある配膳用のカートに戻したら、紙を見て職員さんがチェックしている。どの程度食べたかだろう。
看護師さんやドクターが顔を出してくれたが、記録していないのでどのくらいの頻度かわからない。結構頻回に看護師さんが来てくれた気がする。
明日手術なので、その注意事項を書いた紙を看護師さんがサイドテーブルに貼って行った。何時に手術、食事は朝、昼絶食、水は何時までなどの注意事項が書いてあった。書き込むところはマジックで太く書いてある。すこし離れてもよく見える。確かにボールペンでは見づらいだろう。
風呂はシャワーである。
夕食は6時だった。相変わらず美味しい。ご飯も温かい。完食である。6時という時間は頑張っていると思う。我々が昼間働いているとき、6時といえばすでに終業時間は過ぎている。その時間に夕食を出し、それから病棟から戻って来た食器を洗い片付けるのであろうから大変である。よくやっていると思う。
書き忘れていた。
入院前にコロナ検査をやった。
入院後薬剤師さんが来て普段飲んでいる薬など確認しに来た。
二日目
今日は午後手術である。
当然朝は絶食。昼食も絶食。水は11時まで。手術は14時からの予定。
手術用のガウンのようなものを着て看護師さんと出陣である。パンツは履いていた。
手術室に行き、入り口で靴を脱いで手術室に備え付けてあるサンダルのようなものに履き替える。靴は看護師さんが回収してくれる。
手術室の手術台に乗ってまな板の鯉である。
ドクターに音楽は何が好きか聞かれる。
演歌とバロック音楽と答えたが、バロック音楽?と聞かれた。私は定義は知らないけど、バッハとかクープランとか、クラヴサンの音色も好きである。無難にバッハなどと答えた。結局かかったのは演歌である。
ドクターが八代亜紀はものすごく綺麗だと言っていた。間近で見たことがあるらしい。
広末涼子を間近で見たという人の話を聞いたことがあるが、透明感があって本当に綺麗だったと言っていた。テレビでみるより格段に綺麗なのだそうだ。多分八代亜紀もそうなのだろう。
麻酔は、脊髄くも膜下麻酔である。背骨の間に注射するやつだ。横向きになって丸まって背中にブスッと。
背中なので残念ながら見えない。
麻酔薬が入るとそこから下へサーっと暖かいお湯が流れて行くようである。
前後は忘れたが、点滴のために針をブスッと刺されたが、水を飲んでいないので血管が水量不足で膨らんでいないらしくうまくいかない。今度は絶飲水の締切間際にたくさん水を飲んでおこうと思ったものである。何回か腕にブスブスやられて結局人が変わり手の甲に刺した。ルート確保成功である。
それから仰向けに寝て尿道口に内視鏡を挿入であるが、これも見えない。
パンツはいつ脱がされたのかわからない。
しばらく何かやっていたが麻酔が効いているので痛くないのはありがたい。
「寒くないですか」と聞かれた。
だんだん寒くなって来た。蛇腹状の太い管で暖気を布のかかった上半身に送り込んでくれた。助かる。
しばらくして右脇腹に痛みが。
「痛え」
返事なし。
痛いということはそこは麻酔が効いていない場所だ。痛みを我慢しても不随意的に痛いあたりが動くかもしれない。それは私のせいではない。
また痛みが。今度は丁寧に言うことにした。
「痛いです」
それで諦めたらしい。何やら看護師さんに頼んで看護師さんが取りに行った。
看護師さんが帰ってきて再開。
モニターが見えたので透視画像を見ていると細い影が伸びている。そのあとは太くなっている。細いのはガイドワイヤーだろうな。尿管ステントだな。首が痛くなったので途中で見るのをやめた。いつから透視下でやっていたのかモニターを見てなかったからわからない。
なお、私がモニターを見ていたのをドクターは気付いたらしい。
手術が終わったらしい。
お腹をつっつかれる。
「痛いですか?」
「痛い」
二箇所くらいやった。次は腰の辺り。
「ここは?」
「鈍い痛みです」
麻酔の醒め具合?の確認だろう。
しばらくしたら病棟からベッドが迎えにきた。四方からヨイショと運ばれてベッドに移され病棟へ。みなさん体力を要するな。相撲取りが来たらどうするのだろうか。その前に手術台に乗りそうもない。
ドクターが汚い水がたくさん出たと言っていたので、ステント留置は成功なのだろう。
尿管は真っ直ぐではないのでとか言っていた。確かに曲がっているところに管を通すのは難しいかもしれない。石は残ったままである。一年ぐらいかけてとか言っていた。何回か入院だろう。
それにしてもこのドクターには、入院する時もどういうことで入院するのかわかっているかというようなことを聞かれた。今回も、今どういう状態になっているかわかっているか聞かれた。
私は試験を受けにきたのではないと思ったが一応答えた。
「尿管につっかえている結石が砕けなかったので、石を避けてステントを入れて、尿は腎臓から流れるようになった」
正解のようなことを言われた。いつから試験官になったのだろうか。
私は大人なので思っただけである。モンスター患者様ではないのである。それにこのドクター、威張らないのである。ふんぞり返っていないのである。好感が持てるのである。
昔の医者はふんぞり返っていた医者が多かった。さる分野の教科書を書いた大先生などは、廊下を斜め上を向いて歩いていて下々は無視であった。ところが生死の境を彷徨う大病(噂であるが)を患って退院して来てからは、相変わらず斜め上を向いて歩いているが、会釈をすると角度にして10度くらい下を向いてくれるようになった。会釈を返してくれるのである。入院で人生観が変わったのだろう。
話がそれた。病識の確認の話だった。口頭試験は、患者自身の自分の病気への理解度を確認するには良い方法であろうが、試験を受けにきたのではない。しかし難しいところだ。時間がない中で手っ取り早く確認するには口頭試験が一番いいだろう。
患者が自分の病気を理解しなければ治療がおぼつかないのはよくわかる。そうか、入院に関して支払うお金に受験料が入っていたのか。知らなかった。明細をよく見てみよう。
三波春夫先生が余計なことを言うから患者様とか気持ち悪い用語が出てくるようになったのではないか。全然尊敬のかけらもない気がする。三波先生ももう少し言葉を追加しておけば良かったのではないかと思う。
「お客様は神様です。善神もいらっしゃれば悪神もまたいらっしゃいます」
患者もドクターもお互いに相手を思いやり尊重したいものである。
言っておきますが、この病院は良い人間関係の病院です。
ベッドに乗せられて病室に戻った。麻酔が効いているので腰から下は動かないからね。履いていたパンツは、スーパーのレジが終わって買ったものを袋詰めするところにぐるぐる巻いて置いてあるような薄い袋に入れてあった。ということは今はオムツである。靴も戻っていた。
看護師さんに「足は動きますか」と聞かれた。
「少しは動く」
ほんの少しであるが動いた。
それにしても下半身が寒いのである。
「寒いです」
看護師さんが毛布を持ってきてくれた。大きな手術では電気毛布らしいが、私のような場合は毛布一枚追加で十分だ。
ついでながら尿は尿道口から膀胱に入れた管を通ってベッドに吊り下げられたバッグに入っていく。手術の後である。尿は多少濃いピンク色である。まずまずの血尿であろう。
夕方点滴は一応休憩。
私は夕飯は食べるのである。消化管の手術ではなし、食べればそれだけ回復が早いだろう。それは理屈で、ただお腹が空いていてかつここの食事は美味しいからだけど。
看護師さんに歩けるかと言われ歩いてみる。
やや濃いピンク色の液体のたまったバッグは点滴スタンドの下の方に下げられている。歩く時は点滴スタンド付きであるから慎重に注意深く歩かねばならない。私のような雑な人間にはなかなか大変だ。体内からの管に気を配り、点滴スタンドに気を配る必要がある。歩行確認は無事終わったのだけどね。
オムツは夜看護師さんに言って外した。ビニール袋をくれたのでそれに入れて捨てるのである。どこに捨てたか忘れた。覚えていないものである。ちなみに、便意はもようせど便は出ず。空っぽだから出ないが何故便意があるのかわからない。
三日目
朝、点滴再開というところであるが、手の甲に昨日刺しておいた留置針が抜けていた。手の甲であるからね。手の甲は複雑に動く。夜中寝ている間に針が抜けたらしい。
点滴をしに来た看護師さんに
「すみません。動いてしまったようで」
看護師さんは嫌な顔をせずに、刺し直してくれた。あちこちブスブスと。ダメである。
肘の内側のよく採血する静脈に刺した。刺しやすいが、ここに刺されると腕は曲げられない。うっかりして腕を曲げてしまうこともある。手の甲の留置針さえ抜けてしまう私である。危ない。どうしよう。
看護師さんが出て行ったらすぐみるみるうちに刺したところが膨れてきて痛くなってきた。まだカーテンの外にいた看護師さんを慌てて呼ぶ。
「看護師さん、点滴が漏れている」
すぐ戻ってきて抜いてくれた。
「先輩を連れてきます」
しばらくしたら先輩と一緒にやってきた。
先輩は2回目に血管を探し当ててルートを確保できた。優秀である。今度はとにかく大量の水を飲んでやろう。血管がぺたんこでは針を刺すのが難しいだろう。それに梗塞を起こしそうだ。血管を水で膨らませておいてやろう。
朝食は7時半頃であった。相変わらず美味しい。朝早くから作っているのであろう。よくやってくれていると思う。
昼頃だと思ったが、看護師さんがカテーテルを抜きに来てくれた。
「息を吸って、吐いて」
全く痛く無く抜けた。いつ抜けたかもわからなかった。凄腕である。
体からの管が抜けるとホッとする。自由に歩ける。
尿の量を測ってくれと頼まれた。トイレに行って最初の排尿は緊張である。たったの50ccだった。血尿である。まあそんなに濃くないからいいか。血より尿の方が多いのだろう。
それから排尿する度に尿量の計測である。トイレの脇の小部屋に取手付きの大きな目盛付きのカップが置いてあって、それを持ってトイレで排尿、量を見て専用装置に尿を流してカップは回収箱のようなものに入れておしまいである。記録はする。
自販機でペットボトルの水を買って来てベッドに戻って水を飲む。しばらくすると順調に尿が出る。血尿だけど。
この辺からあまり記憶がない。治り始めたら記憶に残らないらしい。現金なものである。
四日目
退院した。
2回目入院まで
少し力が腹部にかかると血尿が出る。多分、砕ききれなかった石が尿管を傷つけるのだろうと思う。血尿が出たり、出なかったりして一ヶ月弱、2回目の入院になる。
2回目の入院
前回同様である。
入院初日、「あきて足組みせきぐちくん」を覚えた。
二日目 手術の日 手術前に点滴をされた。水分補給だろう。前回の点滴の針をブスブスという記録を確認したのだろうか。
三日目 各種抜管。膀胱留置カテーテルは水の入った風船のようなものを膀胱内で膨らませて抜けないようにしているらしい。注射器のようなもので水を抜いて、その後抜管した。少し痛かった。
四日目 朝平熱。退院。
退院後5日たって、トイレで排尿時カチッと音がした。石である。自宅のトイレであるから拾ってアルコール消毒をしてビニール袋に入れた。観察する。割れたと思われる面があった。砕いたカケラなのだろう。
二週間と少し経って外来があったが、石をドクターに見せたら検査するとか言っていた。進呈した。
これで今回の尿管結石にはピリオドが打たれた。
医療関係者の皆さんありがとう。