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第一話 雨と涙と出会い

その日の私は、世界で一番かわいそうな女の子だったかもしれない。


玄関から慌ただしく男たちが押し入ってきた足音が響いてくる。

何かが床に落ち派手に割れる音や、どこかのドアが乱暴に開けられる音、ざわざわとした話し声・・・。

それらすべてが私を恐怖に震えさせ、絶望させた。


逃げ出したくても腕を拘束したロープが部屋のクローゼットにつながっていてできない。

粗末なドレスの下の足ががくがくと震えるのを止められないでいた。


屋敷を好き勝手に歩き回っていた男の一人がとうとうこの部屋のドアにたどり着いた。

神に祈る間もなくドアが乱暴に開かれ、粗暴ななりの男が部屋に入ってきた。


「ち、金目のものはすべて持って行っちまいやがって・・・ん?」


室内をぐるっと見回した男の目が私にとまった。


クローゼットに繋がれて身動きのできない私を見て、男はきょとんとした顔をした後に、大声で笑った。


「おい、こっちに来てみろよ、女がいるぞ!」

「なんだ、女の一人くらいなんだってんだ」


もう一人男が入ってきた。彼も私を見て目を丸くしている。


「どうやら伯爵さまは娘を置き去りにして逃げたみたいだな」

「とんだ親父だぜ、借金の方にこのお嬢さんで手を打てってことか?」

「俺たちからいくら借りてるかわかってんのかねぇ、借金踏み倒して逃げるやつの考えははかりしれねぇな」


そういってゲラゲラ笑いながら彼らはゆっくりと私に近づいてきた。


「わ、私はお金も宝石も持っていないのです、どうか許してください」

震える声でそう告げるが彼らには聞こえていないかのようだ。


じろじろと私の頭からつま先まで眺めると、にやりと笑った。


「金になりそうなものはこっちで勝手に探すさ。それよりも、あんた本人の方が金になりそうだ」

「そうだな、かなり痩せぎすだが、顔はとびきりだ。高く売れるぞ」


恐ろしいことを言って、男の一人がナイフで私とクローゼットをつなぐロープを切った。

そのまま繋がれたままの腕をつかまれて立ち上がらされ、彼らに引きずられるように歩く。

屋敷中に彼らの仲間が侵入しているようで、あちこちが荒らされている。


しかしこの屋敷の主とその家族はどこにもいない。

侍従や侍女たちもみんな逃げ出してしまった。

彼らが持ち出せるだけの金目になるものはすべて持ち出され、私だけが取り残されたのだ。


つまり、私はみんなに見捨てられたのだ。


いや、それよりも悪い。


借金の方として置き土産にされたのだ。


少しは借金を踏み倒すことへの罪悪感はあったのかもしれないが、娘一人でどうにかなるような金額ではないだろうに。

少しでも借金取りのご機嫌を取れれば御の字とくらいにしか思っていないのだろう。


置いて行った娘が、どうなるかなんて考えもせずに。


乱暴に引っ立てられて、ふらつく足で懸命に歩く。

まる一日何も食べていない。

水も飲んでいない。

恐怖で眠ることもできなかった。


私をクローゼットに縛り付けたお父様の顔を思い出す。

罪悪感がちらつきながらも破滅への焦りが上回り、泣きながらやめてくれと叫ぶ私を殴りつけ、無理やり縛り付けた。


その後ろで、お継母様と異母妹が蔑むような笑いを浮かべて見物していた。


「仕方ないのよ、うちはもう借金で首がまわらなくなっちゃったから、夜逃げするの。あなたは連れていけないからここに置いていくわ。好きに生きてちょうだい」


そういって、あっけなく私は見捨てられた。


あなたが、この家の貯蓄を浪費で食いつぶしたせいでしょう・・・。

そんな言葉が喉まで出かかったがやめた。言ってもどうせ仕方のないことだ。

またお父様の拳が下りてくるか、お継母さまに扇子が折れるまでたたかれるだけだ。


それに、お継母さまの贅沢のせいだけでもない。

お父様も浪費家のお継母様にせっつかれて無理に事業を拡大し、詐欺師に付け込まれて借金を作ってしまったのだ。


でも、私がそのつけを払わないといけない道理はないはずだ。


こんなのあんまりだわ。


玄関を出ると、外は大雨だった。

大きな荷馬車に、我が家のわずかに残っていた貴重な家財がぎっしりと詰め込まれている。

そこに荷物と一緒に押し込まれた。


そのまましばらくごとごとと運ばれる。

どこかの街についたらしく、荷馬車が荒々しく止まり、鍵のかかっていたドアが開かれ、私だけが外に出された。


たたきつけるような雨の中、私は外套もなく立たされ、拘束されたままみじめに雨に打たれた。

男たちは私をどう売るか相談しているようだ。


「どうする?このまま売春宿につれていくか?」

「いや、もっと高く売れるところがあるんじゃないか、あの商売人のじいさんとか」

「ああ、あのじいさんは金持ちだし美人には目がないもんなぁ。でもすぐに子供を産ませようとするぜ」

「何人子供作ってんだろうな、美人に自分の子供を産ませるのが生きがいなんだろうなぁ」

「もう50超えてなかったか?そのうち腹上死するんじゃねぇか」

「ちがいねえ」


彼らはゲラゲラと笑った。


行きかう人々は気にも留めずに雨の中を走って家路に急いでいる。私の存在なんか目もくれてくれない。


ドレスが雨をすってぐっしょりと重くなっていく。私の心のようだ。

からだの前で拘束された腕は全く抜け出せそうになかった。

このまま走って逃げようかという思いが頭をかすめたが、腕を拘束されたまま男たちを振り切れるほどの脚力も体力もない。


無力感から私は天を仰ぐ。

顔に容赦なく雨が降り注いだ。


神様、だれか、誰でも良い、どうかーーー。


助けて・・・。


そう小さくつぶやいて目を閉じた。


雨が涙と共に頬に流れる。


その時、街道を走ってきた馬が目の前で止まった。

馬上にいた人がひらりと地面に降り立ち、ふいに私の腕を取ると抱き寄せた。


予期せぬ一瞬の出来事に固まったまま彼の胸に飛び込む。


服の上からでもわかる、暖かく力強い体温に、雨で冷え切った体がじんわりと温まった。

怯えて凍り付いた心まで温めてくれるような錯覚を覚える。

かぶっているフードからチラリと長い鼻筋と意志の強そうに引き結ばれた唇が見える。

私よりずいぶん背が高く体格の良い彼に体ごと抱きこまれていると、まるで男たちから守ってくれているようだ。


「何をしてる!」


私を捉えた男たちが気づき、詰め寄ってきた。

その勢いに怯え震えた体を、彼はしっかりと抱きしめた。


「お前たちこそ何をしているんだ」

「はあ?あんたには関係ないだろ」

「女性を縛ってこんな雨の中立たせているのはなぜだ」

「だから関係ねぇって言ってんだろ!誰だお前は」


本当に、あなたは誰なの?


彼は頭にかぶっていたフードをさっと取って顔を露わにした。

男たちも私も息をのんだ。


曇天の空に差し込む光のような金の髪に、淡く輝くアイスブルーの瞳。


まっすぐ前を見据えるその精悍な顔つきにみんな見覚えがあった。

何より、彼の首元のスカーフについている宝石には王家の紋章が彫られていた。


「レ、レオンハルト様・・・!」

「なぜここに・・・!」


男たちは顔色を真っ青にして跪いた。

雨で地面が湿っていることなど気にしていられない。


レオンハルト様はこの国、エヴァンティス国の国王の第一子であらせられ、次期国王でもある王太子様だ。

その高貴な身分から一般の民衆の前にはあまり姿を見せないが、その顔立ちがあまりに優れていることから、女性たちに彼の絵姿が大好評である。

年に何回かある式典で表に出てくるときには、容姿の良さだけではないその威風堂々とした佇まいから、次期国王としてふさわしいと評判でもあった。


まさかこのような市井に王太子殿下がいるとは思わず、借金取りの男たちだけでなく周囲からも驚きの声が上がっている。


だけど、レオンハルト様はあっけにとられる私たちを気にせず、男たちを冷たく一瞥した。


「お前たちは後で王宮に来てもらう。ひとまず彼女を保護する」


レオンハルト様はいつの間にか周りにいたお供のもの達に指示を出した。

控えていた者たちも困惑しているようだが、殿下の指示に従って男たちを拘束していく。


男たちはわけもわからず拘束され、何か文句を言っていたがおとなしく連れられて行った。


私はその様子を見送って、殿下を見上げた。

殿下は私の頬に雨のせいでくっついた桜色の髪をそっと撫でてぬぐった。


「体が冷えていますね、すぐに屋根のある所に避難しましょう」

「え、あ、あの」


殿下は外套を脱いで私にかぶせた。

逆に殿下が雨に濡れてしまう。どうしたら良いかわからずにいる私に殿下は柔らかく微笑んだ。


「あなたの名前を聞いても良いですか?」

「え?・・は、はい、私は・・・セシルです」


ローゼリオ伯爵家、とは言えなかった。もう捨てられた身の上だから。


「セシル・・・」


殿下は私の名を呼ぶと、まるで時を忘れたように私を見つめた。

なぜそんなに優しく、切なそうに見つめてくれるのかわからないまま、私は立ち尽くして彼の瞳を見つめ返すしかできなかった。


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