05.騎士団長のように
ベアモンドが獣人国へと行ってしまった。
婚約は破棄され、全身が気だるく重い気がする。
今頃ベアモンドは両親と再会し、新しい婚約者と仲良くやっているのだろうか……そう思うと、ユーミラの胸は悲しみで押しつぶされそうになった。
いつの日かユーミラも、ベアモンドとは違う誰か……人間の誰かと、恋に落ちて結婚するのだろうか。
「違う人と……」
もう何度泣いたかわからないが、枯れることなくまた涙が滑り落ちる。
自室に引きこもり、食事も最低限しかとれず、泣いて暮らすこと一週間。
しかしユーミラは突如、謎の怒りに支配された。
「許せないっ!!」
それは一体なにに対しての怒りであったのか。
泣いてばかりいる自分にか、婚約破棄をしたベアモンドにか、なんの苦労もせずベアモンドと結ばれる新しい婚約者にか、それとも獣人国にか、止めなかったストーンクラッシャー家にか。
自分でもわからなかったが、とにかく怒りに支配されたユーミラは引きこもっていた部屋から飛び出し、ストーンクラッシャー家へと向かった。
「私、怒ると怖いんですから……!!!!」
ものすごい形相で現れたユーミラに、ストーンクラッシャー家の面々はどん引いている。
「どうしたんだね、ユーミラ……」
家長であるアックスが、獣人の血を引いているというのにユーミラの姿を見て慄いた。
「ベアモンド様の結婚式は、いつですかッッ!!!!!!」
クマ獣人よりも恐ろしい声を上げたユーミラに、アックスは「三日後です」とビクビクしながら教えてくれたのだった。
***
荘厳な獣人族の教会。そこに、クマの獣人の男女が並んでいた。
「病める時も、健やかなる時も、新郎は妻を愛し続けることを誓いますか?」
お決まりの言葉で梟の獣人神父が問いかけ、ベアモンドは数秒空けてから口を開く。
「俺は、新婦を……あい──」
「ちょぉっと待ったぁあああ!!!!」
参列者の隙間から、大きく一歩進み出るユーミラ。
誓いの言葉を遮って登場してきたユーミラを、ベアモンドは大きく広げた茶色の瞳で振り向いた。
「ユーミラ!!」
「ベアモンド様!!」
ストーンクラッシャー家は結婚式に呼ばれていて参列するというので、無理を言って連れてきてもらったのだ。
もしかして結婚は取りやめてくれるかもしれないとこっそり隠れていたが、誓いの言葉を言う段階でどうしようもなくなり飛び出した。
「私以外の人に誓いの言葉なんて言わないでください! 私やっぱり、ベアモンド様でないと……っ」
「早くその人間の女を摘み出せ!! どこから入った!!」
犬獣人の警備兵がやってきて、ユーミラは腕を掴まれる。
爪が皮膚に食い込み、それでも痛みを堪えながらベアモンドに目を向けた。
「私をベアモンド様と結婚させてください! そこにいる女性に負けないように、獣人国のことをすべて学びます!! なんだってやってみせますから!!」
「黙れ、この人間!!」
「きゃあ!!」
「ユーミラ!!」
腕が引きちぎられるかと思った瞬間、ベアモンドがものすごい勢いで駆け寄って来た。
そのまま犬獣人の手を捻り上げて、警備兵は「きゃうんきゃうん」と声を上げている。
「ベアモンド様……!」
「ユーミラ、なんて無茶を……」
「あのまま人間国で泣き暮らすくらいなら、いくらだって無茶します!!」
初代ストーンクラッシャーの当主が、危険を冒して獣人国の姫に会いに行ったように。
自分が動かなければ、幸せなんて訪れるはずがない。そう信じて。
「ユーミラ」
ベアモンドの真剣な瞳。
なにを言われてしまうのかと、心臓が収縮するような痛みが走る。
迷惑だと、二度と会いたくないと言われたなら、さすがに諦めるしかない。
遠い昔の騎士団長と姫の話のようには、上手くいかないのかもしれない。
そんなユーミラの苦しみに耐える姿を見ながら、ベアモンドは言った。
「俺は今、愛せないと言うところだった」
愛せない。
その言葉に目の前が暗くなる。
(愛せない……当然ね……だってベアモンド様は新しい婚約者と──)
もう諦めるしかない。そう覚悟した時、言葉は続けられる。
「俺は新婦を愛すことはできない。神の前で嘘をつくことはできないからだ」
「え……?」
「俺が愛しているのは、後にも先にもユーミラ一人だけだ!」
「ベアモンド様……!!」
ユーミラは抱き寄せられ、ベアモンドに優しく包まれる。
(嬉しい……気持ちは同じだったんだわ……!)
喜びが溢れると同時に、周りは一斉にざわめき始めた。
「なんということを、ベアモンド殿下! うちの娘の立場は!!」
新婦の両親と思しき声が、教会内に響き渡った。当然だ。ユーミラは花婿を奪ってしまったのだから。
ユーミラが謝ろうとするも、先にベアモンドが口を開いた。
「申し訳ない。愛することはできなくとも、クマミ殿を大切にしようと思っていた。けれど目の前にユーミラが現れては、もう……」
「そんな!! 娘を傷つけておいて」
「ちょおっと待ったぁああああ!!」
唐突に野太い男の声が響く。まさかのちょっと待った二度目。ユーミラの知らない声だ。
ドスドスと音を当てて現れたのは、ベアモンドと同じくらい体の大きなクマ獣人だった。
「クマオさん!」
「クマミちゃん!!」
クマオと呼ばれたその獣人は、ユーミラたちを通り過ぎ、真っ直ぐに新婦の方に向かっている。
「クマオさん、どうして……!」
「僕の意気地がないせいで、君をつらい目に合わせてごめん……本当は君のことが好きなんだ!! 見も知らぬ王子に君を取られるなんて我慢できない!! 僕と結婚してくれ、クマミちゃん!!」
「クマオさん……私、ずっとその言葉を待っていたのよ……!!」
泣きながら抱き合うクマオとクマミに、周りのどよめきはいっそう広がった。
「ななな、許さんぞクマミ!! こんな地位もない男となんぞ!! ベアモンド殿下と結婚し、殿下のサポートに専念しろと言ったではないか!!」
「サポートならいくらでもいたします! 私がクマオさんと結婚しても、王子殿下夫妻にお仕えし、支えることはできるはずですわ!!」
強い宣言と同時にクマミに目を向けられるベアモンド。クマミと両親のやり取りに、彼が目を見開きながら口角を上げていくのがわかる。
「クマミ殿はクマオ殿と結婚し、二人には俺のサポートに入ってもらう。そして俺は人間国との友好の象徴となるべく、ここにいるユーミラと結婚する!!」
「……ベアモンド様……!」
高らかに宣言するベアモンドはキラキラと輝いていてかっこいい。
けれど周りが賛同するより先に、グルルルッと唸るような声を上げて鋭い目つきの獣人が前に出てきた。オオカミ族だ。ポンッと三角の耳が現れたので、ユーミラでも一目でわかった。
オオカミ族の獣人はヒタッと足を運び、牙を覗かせながら言い放つ。
「そんな勝手が許されると思っているのか……!! 人間国との友好、だとぅ?」
地獄の底から響いてくるような声にユーミラは震えそうになったが、毅然とした態度は崩さなかった。
これからベアモンドの妻となり、いずれは王妃となるのなら、オオカミ族相手に怖がってなどいられない。
「この獣人国の平和のためにはそうすべきだ。誰がなんと言おうと俺はユーミラと結婚する。オオカミ族、お前たちの目論見は失敗しているんだ。諦めろ」
「うぐっ! では……」
「ああ、妹のクミンと結婚しようとしても無駄だぞ。俺に子ができれば、継承権は俺の子が第一位に変わるシステムだとクマミ殿に聞いている。クミンには愛する男と幸せになってもらう」
妹のことをちゃんと考えているベアモンドに、ユーミラは釘付けになる。
(やっぱりベアモンド様は、誰より優しくて素敵な人だわ!!)
「……ならば」
だが、ベアモンドの言葉でも地獄の声は止まらなかった。
「その女を殺せば、人間国との友好などあり得なくなるよな!!」
突如男はオオカミに変身し、グワァァアアアッと牙を剥く。
四足歩行の俊敏さで、ユーミラへと襲いかかった。
「きゃああああ!!」
「ユーミラに手を出すな!!」
瞬間、バリバリッと音がして白のタキシードが破れた。
(高そうな服が!! もったいない!!)
と思った時にはもうベアモンドのクマパンチが炸裂し、叩かれた蝿のようにオオカミは床に臥していた。
「覚えておけ……誰であろうと、ユーミラに手を出そうとした者はこうなる!!」
空気が震えるほどの迫力に、さすがの獣人たちも震え上がっていた。
ユーミラはちっとも怖くなどなかったが。それどころか、うっとりとベアモンドを見ていたが。
ピンと張り詰めた空気の中、王と王妃の意匠をまとった獣人が目の前に現れる。
ウォルドベア国王とその妻……つまり、ベアモンドの本当の両親だということがユーミラにもわかった。
「陛下、王妃殿下、勝手な真似をしてしまい、申し訳ありません」
ベアモンドがそう言って片膝をつくので、ユーミラも大きなもふもふ毛玉の隣で両膝をつく。
なにを言われるだろうかと緊張するも、国王は静かな声を出した。
「我らも焦り過ぎて、ベアモンドの気持ちを置き去りにし過ぎていたようだ。すまなかった」
国王の謝罪の言葉にベアモンドが顔を上げる。彼の目の前のウォルドベアは、ベアモンドと同様、優しい瞳をしていた。
「そなたはユーミラと言ったか」
「は、はい!」
「立ちなさい。ベアモンドもだ」
国王の言葉通りに二人は立ち上がる。ウォルドベアはユーミラを見定めるような目をしていて、ごくりと唾液を飲み込んだ。
「ベアモンド、お前はこの人間と結婚する、と言ったな?」
「はい。こうして会いに来てくれた今、もう彼女を手放すことなどできません」
ベアモンドは国王に対しても真っ直ぐに伝えている。
ユーミラの決意していた心も、ますます固まった。
「国王陛下、突然の乱入をお許しください。ベアモンド様を幸せにしてあげられるのは、私しかいません! だからどんなに反対されても、私はベアモンド様と結婚します!」
「ユーミラ……」
「この国のことも一から勉強します! ちゃんと王子妃に相応しい女性となれるように! そして人間国で育ったベアモンド様と人間の私なら、人間国と友好関係を結べます! 私たちほどの適任者はいないはずです!!」
一気に捲し立てると、ウォルドベア国王はふもふもと笑った。
「そうか。ここに乗り込んで来た時点で、そなたの勇猛さはわかるというもの。まるでかつて獣人国に乗り込んできた、騎士団長のようだな。ふもふも」
ウォルドベアの言葉に、隣の王妃もふもふもと笑った。
穏やかな雰囲気に、ユーミラの緊張は一気に解きほぐれる。
「クマミにクマオよ。獣人国のことをまだよく知らぬ二人のサポートを、しっかりしてやってくれ。さすれば、二人にはそれなりの地位を約束しよう」
クマオとクマミが目を輝かせながらその言葉を受けていた。地位を授けられるのならばと、クマミの両親も反対はしないようだ。
二人の喜びように、ユーミラの心も温かくなった。
「では国王陛下……俺とユーミラは」
「ふもふも、ベアモンドはいつ『お父様』と呼んでくれるのか、待っているのだがな?」
「お父様! 俺とユーミラの結婚は、許していただけるのだろうか?!」
ベアモンドが躊躇うことなくお父様と呼ぶと、ウォルドベアは満足そうにふもふもと笑って。
「また改めて、二人の挙式の日取りを決めるとしよう。邪魔が入らぬよう、今すぐに婚約だ!」
ウォルドベアの言葉に、二人は顔を見合わせた。
そしてそのまま、ユーミラはベアモンドの大きなもふもふの体へと飛び込む。
「ベアモンド様ー!」
「ユーミラ!! 酷いことを言った……許してくれ……! 来てくれて、ありがとう!」
ベアモンドの謝罪と感謝の言葉を受け止めたユーミラは、そのまま彼の体をよじ登ると。
「もうベアモンド様がなにを言っても、二度と離れたりしませんからっ!」
婚約の印にと、ユーミラはベアモンドの頬へとキスをした。