③
――そして現在――
たまに小競合いはあったけれど、1年近く麗奈と交際することができた俺は、3日後の記念日に勝負をかけようと、心に決めていた。
年末なので仕事が忙しく、本日の夕飯はカップヤキソバだ。
カップラーメンの時と、同じ轍は踏むまいと、今回、調理(という程でもないが)するのは俺だ。
カップヤキソバとカップラーメンとでは、少々、作り方が異なる。
カップヤキソバは容器が大きいので、お湯が麺に触れた瞬間に時間を計測し始めれば、お湯が規定量入るまでの時間差のせいで、半端に硬い麺と伸びた麺が混在して、食感が損なわれてしまうからだ。
湯切りが不充分だと、水っぽい食感になるものの、入念にやりすぎて時間がかかるのもいただけない。
ならばどうするのか?
鍋で予め沸騰させた熱湯に、麺とかやくを同時に放り込み、時間を計測する。
そして、湯切り網を用いて、素早く湯切りを終わらせた後、容器に戻した麺に、ソースをかけて混ぜれば完成、というわけだ。
その様子を困り顔で、眺めていた麗奈だったが、麺を投入する時は「ダッダーン」とか言って、はしゃいでくれた。
だからなんなの、その掛け声?
無事、ヤキソバが完成し、二人で食べている最中、麗奈は言う。
「よっちゃん、相変わらずユニークな作り方だけれど、そんなに神経質にならなくたって、わたしはよっちゃんと楽しく食事ができれば、なんだって美味しく感じるよ?」
なんだ? まだ俺のやり方に文句があるとでも?
若干、苛ついたが、まあいい。前回と同じ轍は踏まないって、決めたじゃないか。
「俺もそうだよ。でも、この作り方はなんて言うかな。落ち着くっていうか、母ちゃんがこうしろって――」
バンッ、という衝撃音と共に食卓が揺れる。
そこには涙を湛えて、立ち上がった麗奈の姿があった。
暫く俺が何も言えないでいると、彼女はおもむろに座り、うつむいた姿勢で食卓を濡らす。
「ごめん、ごめんね、よっちゃん。なんでもない。本当になんでもないから」
正直、またやってしまったと思ったが、不思議と今日は、なんの技もかけられなかった。
「麗奈、ごめん。母ちゃんのことは言うべきじゃなかった……」
「だからいいって、何でもないって言ってるじゃん。それに、言うべきじゃなかったって何? 言わなくたって思ってるってことじゃん……………………って、ごめん、今のなし。本当に何でもないから。本当、ごめんね」
それ以降、取り付く島がなくなってしまった麗奈に困り果てた俺は、改めて明日、謝ろうと決めて「先に風呂に入るね」と言って、その場から逃げた。
翌日、何事もなかったかのように振る舞う麗奈に面食らって、謝るタイミングが分からなくなってしまった俺は、いつも通りに二人で駅へ向かい、改札で別れるのだった。
大丈夫、記念日まであと2日。その時に新しい座右の銘を伝えればきっと――その時は、そう思っていた。
だが、その夜、俺は麗奈にフラれることとなった。
謝罪の言葉は尽くしたし、みっともなく縋ってみたりもしたが、時は既に遅かったということだろうか? 彼女の心を動かすことはできなかった。
荷物は後で取りに来ると聞いたきり、麗奈とは連絡がとれなくなってしまう。
携帯電話を解約したか、番号を変更したのだろう。
徹底しているなと、乾いた笑いが溢れた。
麗奈がいなくなったアパートは、何故か狭く感じたが、代わりに深夜に隣の部屋から伝わってくる振動は、以前より激しくなったように思える。
はっきり言ってウザい……。
予約していた高級レストランをキャンセルし、新年を迎えた俺は、実家に帰る予定もなかったし、連絡を入れる気にもなれなかった。
麗奈にフラれたのは、俺が悪いのであって、母親が関係ないのは百も承知だったが、どうしても連絡をとる気にならなかったのだ。
そんな悶々とした、正月を過ごしていると、母親から電話がかかってくる。
まあそりゃあ、かかってくるよな、と思ったが、無視を続けていると、LINEにメッセージが入った。
メッセージを確認する気にもならず、ダラダラ過ごしたが、3時間くらいした後、ふと思い直してLINEを開く。
『正月の挨拶くらいよこしなさい。この馬鹿息子! あと、良く分からないけど、田ノ上さん、って女の子から連絡があって、出会った場所で待ってる、と伝えて欲しいと必死に頼まれたから、一応伝えとくけど、変な宗教とか、詐欺じゃないでしょうね?』
そのメッセージを目にした直後、俺はアパートを飛び出していた。
取り外したハリボテをママチャリに取り付け、全力で『アルタクス号』を走らせる。
あの駅まで、自転車なら1時間以上はかかるから、家でダラダラしていた時間を含めると4時間以上、待たせる計算になる。
電車を使えば良いのだろうが、何故かその時は、馬鹿みたいだけどそれは違うと思ったのだ。
麗奈は俺のことを、マザコンだと思っているだろうから、確実に連絡を取ると見越して、母親にメッセージを託したんだろうけど、あ~、もう!!
兎に角、これがラストチャンスであることに変わりはない。いいや、その認識が果たして合っているかどうかも分からないが、麗奈に会えるのであれば、どっちだって構わない。
寒空の中、汗だくになりながら必死にペダルを漕いだ。
こんなに真剣に自転車を漕いだのは、産まれて初めてだと断言できる。
目的地に近づくにつれ、ただでさえ早鐘を打つ心臓が、更に早くなった気がした。
アパートをを出てから、もどかしく長く感じた時間が、いざ約束の場所に辿り着いてみると、一瞬だったようにも思えるが、兎に角、到着した。
そして…………彼女はいた。いてくれた!
自転車を停め、汗か涙か分からない、グシャグシャになっているであろう顔で息を整えていると、どこから沸いたのか、あの時のシチュエーションのまま、オッサン達が麗奈に絡み始める。
オッサンというか、隣人の阿保さんと、三橋さんだが……。
なにやってんだよ、あんたら?
だが、あの時の、シチュエーションを踏襲しているのであれば、俺の言うことは変わらない。変わったのは『アルタクス号』があるかないかの違いだけだ。
「おい、彼女、怖がってるだろ?」
そう言った瞬間、阿保さんにど突かれた。
「うっせっ、バーカバーカ」
おい、オネェ言葉はどうした?
そんな益体のないことを考えているうちに、ホモ特有の優しい暴力で、俺はボコボコに叩きのめされていく。
ある程度、俺をボコして満足したのか、
「「イエーイ☆」」
例のグータッチを交わして、阿保さんと三橋さんは去っていった。
あのグータッチ、気に入ったのだろうか?
満身創痍の体に鞭を打って、麗奈の前に立つと、
「絶対、来てくれるって信じてた」
そう言って彼女は、手を差し出してくれた。
彼女の泣き笑顔が、余りにも眩しかったので、合わせて俺も笑顔を作ったつもりだったが、顔が痛くて、上手くできたか分からない。
俺は無言で差し出された手を取り、麗奈を『アルタクス号』までエスコートすると、いつも通りに彼女を横抱きにした状態で、『アルタクス号』を駆り始める。
奇異の視線に晒されながら、帰路を目指す途中で、俺は深呼吸をすると麗奈に問いかけた。
「ところで『俺が生涯、愛する女性は、香坂 麗奈ただ一人』――というのが、俺の座右の銘なんだけど、こいつをどう思う?」
麗奈の俺にしがみつく力がギュッと増した暫くの後、彼女はこう答えるのだった。
「あなたは、わたしの命の恩人です」
いや、答えになってねーし!!
おしまい♡
カップラーメンにお湯を入れてからの、時間を計測するタイミングで揉める、頭悪いカップルを書きたかっただけなのに、妙な作風になってしまいました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。