謙虚令嬢。その性格故に隣国の王子から略奪婚される!
私の妹は、公爵家の令嬢として甘やかされて育てられた分、態度がすごく大きいの。しかもイケメンで有名な第二王子様と愛人になっているという噂もあるわ。
今日も妹に、
「母親が違うと、こうも境遇が違うとは思いませんでしたわ。ね、アリスお姉さま♪」
と自慢をされました。
そうです。私のお母様は、伯爵家の生まれで、妹のイザベラとは異母姉妹です。頼りになるお母様は、荷馬車に轢かれて亡くなってしまいました。
周囲の人はおろか、お父様さえも私のことは腫れもの扱いです。
着ている服も、髪飾りも妹の方が派手やかで。いつも妹と比べられる境遇で育った私は、ある一つの手段で構ってもらうことを覚えました。
それは、自分を相手より謙虚に見せることです。
「ふふふ、そうね。あなたには敵わないわ」
私がそう言うと、周囲が決まってざわつくの。侍女たちはいろいろ勘ぐって、「イザベラ様、大丈夫かしら」と、不穏な空気を作ります。
私。毒なんて盛りませんわよ?
なんて思いつつ。
毒……で思い出しましたわ。ただいま隣国と戦争状態にあるのです。戦況は国土の大きなこちらが有利ですが、それに慢心しているのが今の王国です。
王子様にも、正直に言ってしまうと、ガッカリしました。このご時世にティーパーティをした上、両手を女性の肩に乗せ、赤ちゃん言葉になるまで酔い潰していたのです。
おまけに、婚約が決まっている私に対して、
「金さえ貢げば何度でも抱いてやるぞ?」
と言う……。なんという失礼な人!
そんな日が続いたある日。家事使用人の若い男の方が奉公しに来ましたわ。男爵家の者ということですが、聞いたことの無い名前でした。彼は丁寧にお辞儀をすると、
「よろしくお願いします。家事使用人として奉公しに来ました。フェイズです」
そう言いました。
「私はアリス。よろしくお願いしますね。フェイズさん」
私は、どんな身分の者にも贔屓はしない。でも、イザベラは違うようです。明らかに見下した態度を取っていました。フェイズの作業着姿を見て、
「生まれが違うと不憫ねぇ~」
と上品に笑っています。少し寂しげに曇るフェイズの瞳。そのまま去っていく妹たち。侍女たちも持ち場につきます。残されるフェイズと私。
うぅ、心が痛い。こういう時についやってしまうのが、自分下げです。私の悪い癖なのですが……。
「荷馬車に轢かれた母を持つ私よりかは幾分マシです。貴方のご両親はどんな人なのですか?」
「え?」
少し困ったような様子。もしかして訊いてはいけない事だった? いろんな生い立ちがあるものね。デリカシーが無かったわ。私が頭を下げて謝ろうとすると、
「アリス様も苦労しているのですね。公爵家の方に頭を下げさせるわけにはいけません」
と、深々お辞儀をしてきました。いけない。気を遣わせてしまったかしら。
「あ、その。そういうつもりではなくて……!」
フェイズは、あたふたした私をきょとんとした瞳で見つめてきます。私たちは、それがなんだか可笑しくて、その場で笑ってしまいました。
「当然ですわ。屋敷のことをお任せするのですもの。頑張ってくださいね」
「はい。お役に立てるように努めます」
唯一フェイズだけは私の事情を知っても顔色一つ変えることがなかったのです。それに家事は完璧にこなしてくれました。その仕事の誠実さと素直さからか、侍女たちにも次第に気に入られてきます。
そんなフェイズを、人の物を欲しがる妹気質のイザベラが放って置くはずがありません。些細な用事でも彼を呼びつけ、我が儘を言います。さらには明日行われる王家とのティーパーティに、
「フェイズ。私の付き人として来なさい」
と、フェイズを誘いまでしました。さすがにそれはどうかと思います。王族のパーティに無名の男爵家の男性が居たら笑われてしまうかもしれませんから。
しかも会場はこの国の城だというではありませんか……!
深く俯いて「はい……」と言うフェイズ。彼の身分を考えると断ることが出来ないのが解ります。イザベラはご機嫌そうにその場を去っていきました。
私は、せっせと用事をしている彼に、
「気分を害されたら私が一緒に退場します」
と言いました。
「一緒に?」
「ええ。私は戦争中に催されているパーティを喜べる性格ではないので。一体民たちは何を食べていることか……。それに腫れ物のように扱われるのも嫌なのです」
あら、私今何を?
長年積もってきた不満を言ってしまいそうになる口をぎゅっと閉じました。
「アリス様は思慮深い方ですね」
「いえいえそんな! 何だかフェイズと話すと本音を喋ってしまいます」
「素敵なお考えだと思いますよ」
「……ありがとう」
どうしてだろう。
目の前のフェイズを見ていると心音が早くなってしまいます。あらやだ、きっと今顔が真っ赤だわ! そんな私の姿を見てフェイズは翡翠の瞳をスッと細めて言いました。
「その気にしましたからね?」
と。
えーと、何のことだったかしら? ここは笑顔で胡麻化しておきましょう! あー、あついですわ!
――そして、ティーパーティ当日。
相変わらず会場は贅沢を極めた限りです。ティーパーティと言えば体は良いですが、簡単に言ってしまえば、出会いの場。男女ともに実にいやらしい目で互いを見ています。
それは、肉体関係だけではなく、家柄や身分など。イザベラは、第二王子と一緒に紅茶を飲んでいました。膝や首を触られながら。それをじっと見ているだけのフェイズ。
彼は、深々と帽子を被っていました。やはり気まずいのでしょうか。
私? 一人ですわ。いつものことです。
だって、伯爵家のお母親の血が入っている私は、言ってしまえば格下ですもの。誰も相手になんてしません。確かに、弱みに付け込んでいやらしい目で見てくる方も居ました。
でも、不幸自慢というか、お母親のことを言うと、みんな去っていくのです。そう考えると、守られているのかもしれませんね。
(はぁ、早く帰りたいです)
大きなため息。
アールグレイの香りが鼻を抜けてしばらくすると、品の無い王子が女性を両腕に抱きながらやってきました。一応の挨拶というものでしょう。これでも、婚約が確定していますからね。
王子は私を見ると、開口一番に、
「なんだ、その暗い顔は。そんなでは、いつまで葬式なのか分からんぞ」
と言いました。
本人に悪気があるのかは判りませんが、あまり良い気分ではありません。しかし、相手は王子。いくら公爵家の長女といえど、言い返せば酷い目に遭うことは間違いないのです。
「そうだ、今日は泊っていけ。慰めてやろう」
「!」
ニヤリと王子が笑います。側に居た女性たちは王子の肩に手を当てて腰をくねらせていました。まるでその行為を連想させるかのように。
「……はい」
本当は嫌です。このような方の言いなりになるのは。でも、断れば公爵家に傷がついてしまう。イザベラも、わがままなだけで本当は何も知らない純粋な子。
甘やかした周囲の大人たちが悪いのです。
「よし。では夜中の一時に寝室に来るように」
「わかりました」
――と、こうして最悪な形でティーパーティは終わっていきました。城に残される私。帰っていくイザベラたち。心がギュッと押し潰されそうでした。それでも我慢しなければいけない。
私は、公爵家に生まれた長女なのだから。王子様の言うことは絶対なのです。
そして。
とうとう来てしまいました。その時間が。
私は勇気を出して、静まり返った城内の王子様の寝室をノックします。
「入り給え」
「……失礼いたします」
薄暗く炊かれたお香の匂いが鼻を突きました。なんということでしょう。もう既に王子様は産まれたままの姿をしていました。
「きゃっ!」
「初々しいな」
私が顔を手で覆いそう言うと、嬉しそうに笑う王子様。変態です! 誰か……誰か……!
(助けて……!)
そう願った時です。部屋の扉がバンっと開きました。そこには隣国の敵兵の姿が見えます。もしかして暗殺……!? 動揺したのは、王子も同じでした。彼は私を盾にして、後ずさりしています。
「て、敵襲だ! 皆の者、私を守れ……」
「もう遅いですよ。この戦。あなた方の負けです」
王子の声に被さる聞き覚えのある声。もしかして、フェイズ? 私は、声の主が知りたくて、その名前を呼びました。
「フェイズ、フェイズなの!?」
敵兵の奥に見えたのは、貴族服を着た翡翠の瞳の彼自身でした。フェイズが言うには、城内には催眠ガスが充満していて、近衛兵たちは全員寝てしまったようです。
フェイズは、人差し指をくるくる動かしながら、
「戦争中に大そうな油断をしましたね。僕ならこんな失態は晒しませんが。なんて小さな王子様だ。あ、そっちの意味じゃないですよ」
どっと笑いが起こりました。
なんてことなのでしょう。まさかフェイズが敵国のスパイだったなんて……。王子様はともかく、イザベラやお父様たちはどうなってしまうのでしょう。
私はここで死んでしまうのでしょうか。
そんなことを思っていたら、王子様は私を敵兵たちのもとへと放り投げて、自分だけ脱出口から逃げようとしました。まぁ、そうなりますよね。
私は諦めて、何の抵抗もしませんでした。しかし、刃物が私に向けられることはなかったのです。
「無駄ですよ王子様。脱出口の先にもこちらの兵が居ますから」
「ぐ、ぐぬぅ……!」
産まれたままの姿で悔しがる王子様が何とも哀れで、見ていられませんでした。でも、私はどうなってしまうのかしら。考えていると、フェイズが私をひょいっと持ち上げて、こう言いました。
「戦利品として、アリス嬢を頂いていきますよ」
「へ?」
あまりにも急な展開に目が点になります。
「あの……フェイズ、貴方は一体」
私の質問に彼がクスッと笑ったのが解りました。
「僕は君の国と敵対する隣国の王子。フェル・B・ガーネットさ。もう直ぐしたらこの国を統べる者になる。アリス嬢。あの時、君は言ったよね」
「何をです?」
「一緒に抜け出そうって。詰まらないパーティは好まないと」
――思い出しました! 確か、フェイズ、いえ。フェル王子は「その気にしましたからね?」と言っていましたわ。もしかして、これは……。
「略奪婚……?」
「その通り! さぁ、一緒に行こう!」
その頃王子様は産まれた姿のままグルグル巻きにされていました。その姿を見て、ずっと前から言いたかった言葉が頭をよぎりました。
今回は、ハッキリ言ってやることにします。
「ジェームズ王子。貴方との婚約を破棄します!」
それを聞いた王子様は顔をきゅうう~っと真っ赤にして、
「くっそぉおおおお‼‼‼‼」
と大きな声を上げました。スカッとしました。
私はフェル王子に、イザベラやお父様、領民たちへの危害を加えないことを約束してもらい、正式に婚約することになりました。
最初は厳しかった隣国の人たちも、慣れてくれば、心を許してくれます。
王子の命と引き換えに、王様が降伏したことによって戦争は終わりました。
今私は、かつて敵国だった城内の窓辺から、燕が飛んでいくのを見ながらゆったりとした時間を過ごしています。
「これで平和が訪れた。お前は何が欲しい」
「この時を永遠に」
「ふふふ、欲のない素直な奴だ」
目が合いました。
燕の飛び交う音を聴きながら、フェル王子と触れ合う顔。頬にあたたかい感触がありました。それをキスだと感じるのに数秒掛かってしまいました。きゃぁー!
「私がお前を守る。だから、お前はこの景色を永遠に憶えていてくれ」
そんな甘い言葉に酔いながら、私は、燕が仲睦まじく巣を作っているのを見ていました。
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