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流血の覚悟

閑かだ。


机上の蝋燭の炎が揺らぐ。余分な明かりがないため、部屋は薄暗く炎身が移ろうたびに部屋の陰影の濃淡が変化する。

篤哉はその影の動きを左目で追っていた。


カルテは篤哉の目を眇、藪睨みと推測した。

確かにそうなのだが、篤哉のそれは斜視ではなく散眼、篤哉は左の目を独立して動かせるのである。

目に負担のかかる行為で視力衰退の原因にもなりうるが、その兆しはない。丈夫な眼球なのだ。

目を独立して動かすと立体視の妨げになるが、篤哉はそれすらも自身の生活、剣術の修行に取り入れている。


神奈川に移住してから通っていた道場では【痩せ達磨】の異名をとり、奇妙がられながらもその腕は認められていた。

とはいえ、現代日本で暮らす限り、馬庭念流の力を発揮する機会などない。


精神を熟することや煩悩を律することに重きを置く近代剣術に対して戦国以来の泥臭い闘争を教え込むのが馬庭念流である。

介者剣術と呼ばれる、甲冑を着用して戦うことを念頭に置いた実践剣法で、その修行は途方もなく厳しいものであった。


そう、乱世の中でこそ日の目を見る剣術なのである。

篤哉の心中には剣術で身を立てたいという前向きな意思はない。そんな前向きな思考ができる男ならばここまで疎まれたりはしない。

ただ、それでも自身が修めた力を確かめてみたいという感覚は燻っていたのだ。


「どうだ。ワシの私兵として、戦ってくれぬか」


沈黙を壊して、重ねて願う。

涜職を重ね国を蔑ろにする人間とはとても思えない、真剣な表情だ。眉は反り、瞳の奥には炎が揺らいでいる。蝋燭の反射ではない、悶えるような憂国の炎だ。


「答えなら、最初に行ったはずだ。受けるって」

「そうか……(かたじけな)い」


ただ、それだけのやり取り。その言葉一つ一つに万感が込められていた。


「ほっとしてる暇はないな、これからのことだ。俺は具体的に何をすればいいんだ?まさか花壇に水やりするわけでもないだろうしな」


感謝される雰囲気に慣れていない篤哉は、特段面白くもない冗談で仕切りなおそうとした。本人にとっては小粋なジョークなのであるが。


「うむ。駆除せねばならない悪の雑木はいくらでもあるが、まずは枝から伐り落とさなければならぬ。国の関心が勇者に向いている間にやれるだけのことをやっておきたい……」


そして、最後の確認として、カルテは篤哉の目を直視して口を開く。篤哉も、今度は両目をカルテへ集中した。


「綺麗事の通用する相手ではない。人を殺すことになる。覚悟は良いな」

「もとより」


(てら)いも躊躇いもなく答える。気持ちに澱みはない。

むやみやたらと殺伐を好む性格ではないが、幼いころから戦国由来の剣術に触れてきただけあり人に対して刃を向けることに嫌悪感は微塵もなかった。

刀は人を斬るもの。

人を守るものだと抜かす輩もいるが、結局は同じことを言っているのだ。

守るためには、斬らねばならぬ。

その事実に、表面だけザラメを振りかけて甘くしても仕方がない。そんな理屈で剣理を捻じ曲げる輩を、篤哉はひそかに軽蔑していた。


目の前の老人は、国を守るために何を惜しむこともないのだろう。

涜職卿などと呼ばれて蔑まれながら集めた金品はどう流れたのか。

何もわからないが、並々ならぬ覚悟は熱い波動となって視線を媒介し、篤哉の心に伝導した。

自然と、篤哉の(ねじ)けた心の底に眠る熱い塊も揺さぶられる。


(この爺さんは他人も自身も捨てる覚悟がある。そんな人物がいるなら、この国も腐りきってるわけじゃないんだろうな。腐りきってないなら、手助けくらいはできるはずだ)


「お主の覚悟、確かに受け取った。早速調べてほしいことがあるのだが、今日はもう遅い」


部屋の壁際にある振り子時計を見て、続きは明日にしようと言う。

時計の文字盤は未知の文字で判読できないが、十二進数と六十進数であることは読み取れる。

先刻渡り廊下で夕陽を眺めたことを考えると、日本と同じように考えていいだろう。

その前提でいくと、現在の時刻は十八時四十分弱。


遅い時刻とも思えないが、カルテは帰り支度を始めている。


「大臣と言っても、意外と早帰りなんだな」

「莫迦者。お主の棲家へ案内してやろうというに」

「うっかりしてた。そういや衣食住について全く考えてなかったぜ」

「……なぜそこだけ抜けているのだ」


酷く呆れた、とため息をつき、だいぶん弄繰り回したせいでよれよれになった顎髭を(そよ)がせたのであった。

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