隙間時間は有効に
レーガたちを地下室に向かわせた後、サモンはのんきに保健室へと向かっていた。
廊下を曲がる度に、保健室に近づく度に、生徒の気配が減っていく。
ほのかに香る消毒液の匂いと、気持ち悪い笑い声がサモンの五感を刺激する。
赤十字の描かれたドアを開けると、案の定、エイルが生徒の膝の擦り傷に興奮していた。
「あぁ、この範囲の広さ! 出血量! ほら見て、獣人族の血がこんなにも赤い! なんて素晴らしい傷だ。この芳しい香りは獣に近いのだな。ふむ、記録しておこう」
怪我をして痛いだろうに、エイルは目の前の虎の獣人を放っておいて、勝手にカルテに記録をつける。
生徒が消毒とガーゼを求めても、傷に夢中で気がつかない。奇人が医者など、世も末だ。
「このまま傷を放っておけば、化膿してさらに腐敗する。より素敵な傷が見られるのか……。消毒は考え直した方がいいんじゃないか?」
「先生早く消毒してよ! あとガーゼちょうだい! やだよ足腐るとか!!」
怪我を治す立場の人間が、どうして治療をやめさせようとしているのか。
サモンは呆れてものが言えない。
腰のゴブレットを外すと、軽く揺らして水を満たす。
それを生徒の膝にかけてやった。急な冷たさに悲鳴をあげたものの、生徒の傷は一瞬で治る。
サモンが「これでいいね?」と言うと、生徒は脱兎の如く、保健室から逃げ出した。
エイルは不満げにサモンを見上げる。
「おい、乃公の患者だぞ」
「ならサッサと直しておあげなさい。傷に興奮してみっともない」
サモンは生徒が座っていた椅子に腰を掛ける。
すると、エイルの表情が輝きだした。
「どうした? 怪我か? 病気か!? ついにお前でも治せない疾病が来たか! いいだろう、乃公が治して――」
「アンタに治してもらう傷なんかないよ。ただの頼み事さ」
サモンがばっさり切り捨てると、エイルは残念そうな顔をした。
仕方なくカルテをしまうと、保健室の外の札を『保険医不在』『保険医仕事中』に裏返す。
仕事中の方が生徒が寄り付かない、というのも不思議な話だが、血に興奮する奴が医者では仕方のないことだ。
サモンはエイルが椅子に戻ったところで本題に入る。
「大会が終わった後、有給消化で王都に行く。調査の手伝いをしろ」
「はぁ? それだけか? てっきり乃公は、もっとめんどくさい事を頼むと思っていた」
エイルは拍子抜けした。
サモンはまだ内容を話していないのに、すでに知っているような彼の口ぶりに疑問を抱く。
エイルは机の近くの戸棚や薬品庫を漁る。サモンはエイルが何かを持ってくるのを待つ。
エイルは「あれだろ?」とサモンに言う。
「妖精の密猟業者だろ?」
「っ! 随分と耳が早いな。人間にはまだ出回ってない話だぞ」
「お前と腐れ縁だと、どうしてもな。一学期から動いてるのも感づいてた」
エイルは、机の引き出しを開けると、黄色いファイルを出した。
赤か黒しか使わないエイルが他の色を使うのは、仕事に関係のないものだけ。それをサモンに渡した。
サモンがそれを開くと、密猟業者の一覧と名簿、それぞれがどこの森を縄張りとして、どんな方法で妖精を捕まえているのかが詳細に記されていた。
精霊が掴み切れない情報すら、ファイルにはあった。エイルの変態性がよく出ているが、サモンにはありがたい資料だ。
「学園長にはどう説明する?」
「そのまま話すよ。久しぶりの会議で、議題に上がったからねぇ」
「あぁ。例の……」
エイルは納得したように頷く。こいつはどこまで知っているのだろうと、サモンの中のエイルへの疑問は膨れ上がる。
エイルはついでに、と薬の期限のチェックを始めた。
「その間の妖精学はどうするんだ?」
「マリアレッタ先生か、学園長が代わるだろう。まぁ、出張の間休学でもいいし」
エイルと一緒に行くのも本当は嫌だが、エイルに任せるのも嫌だ。
サモンのわがままを察した上で、エイルはサモンに提案する。
「どうせなら、乃公が代わろうか?」
サモンは「絶対に嫌」とエイルに言った。エイルは想像通りの答えに笑う。
「だよなぁ」
「そもそもお前、魔法なんか使えないだろう。それでどうやって妖精学を教える気だ? 座学は大体終わったよ。あとは妖精魔法の実践科目だ」
「それを言われちゃお終いだな。でもまだやっていないって聞いてるぞ」
「何を? 必要なことな必要な分だけ教えたがね」
エイルはニヤッと笑う。サモンはその笑顔で一度もやっていない授業を思い出した。
「「課外授業」」
二年生の授業に一時間だけある課外授業。今年は占術学と妖精学なのだが、妖精学はまだ行っていない。
課外授業で教えることなんて、妖精の森に実際に行ってみるか、妖精魔法のみでキャンプをするかの二択しかない。
あまりにもつまらないので、サモンは後回しにしていた。
あと三か月もすれば二学期は終わる。
二学期中に行わなくては、三学期の進級試験範囲の勉強に差し支える。
エイルはそれを知っていて提案してきた。
「座学だけなら、三学期の範囲のさわりだけでも出来るぞ。先に教えておけば、後が楽だろう? 妖精魔法のみならず、魔法全般は習得に時間がかかるからな」
「割とまともな考えをしてるんだねぇ。魔法を教えるのは大変だし、そうしてもらえれば楽だけれど」
「それに、お前は乃公と一緒に動くのは嫌いだろう? ちょうどいいじゃないか」
「それはかなり魅力的だ」
エイルの提案に乗り、サモンは保健室を後にする。
エイルが調べた資料によれば、密猟業者は月に一度、会合を開いてお互いの成果や条約の確認などをするらしい。
それに合わせて王都に向かえば、まとめて密猟業者を叩ける。業者を叩けば、納品が無い卸業者が不審に思う。奴らが動き出したら、最後の仕上げに取り掛かろう。
「アズマに会合の予定を調べてもらって、場所はホムラかツユクサに頼もう。そうすれば、間に合うかも」
サモンは予定を立てながら自分の塔へと足を進める。
懐中時計を見て、レーガたちが戻ってくるまでの時間を計算した。
***
エイルは、サモンがいなくなると、静かになった保健室で軽く息をつく。
王都での異変を調べている間に、エイルも失われた王子の話を耳にした。
「桃色の瞳の、二十代の王子かぁ」
サモンの瞳も桃色だったな、なんて呟いた。
「……まさかなぁ」
エイルが何を考えているかは、誰も知らない。




