ドッペルゲンガー?悪戯騒動 4
何もない壁から現れた、金の装飾が施された鏡は、異様な輝きを放つ。
レーガとロベルトが興味本位で鏡を覗き込むと、鏡の中から骨と皮だけの、男とも女とも言えない何かが奇声を上げて突撃してきた。
ロベルトはとっさにレーガを後ろに下げて、何も提げていない腰に手を伸ばした。
だが、鏡の中のそれは、外に出てくることはない。
「サモン先生、あれは何?」
レーガはロベルトを盾にして、鏡のそれを観察する。
サモンは頭をガシガシと掻いて、「何というか……」と言い淀む。
「姿を写し取った、悪戯好きっていう情報から考えるに、おそらくは『ミミック』と呼ばれる魔族だろうね」
サモンは鏡の向こうをじっと見つめながら、冷静に分析する。
ミミックなんて知らないロゼッタとレーガは、詳しく聞こうとする。
サモンは説明が面倒だったので、ロベルトの肩を軽く叩く。ロベルトは説明した。
「『ミミック』とは、異種型魔族の擬態系に類し、姿を変えて人を襲うことで有名である。主に人が良く使うもの、馴染みのある人に変化し、隙を見せた瞬間に――」
「命を絶つ。正解。魔法科じゃあ無いから点はあげられないがね。こういうのは剣術科の科目だ」
「先生、鏡に閉じ込めているとはいえ、姿を写し取って悪さをした事実がある。これ以上近づくのも、観察するのもやめた方がいいっスよ」
サモンはロベルトを下がらせると、「はい減点」とため息をついた。
「あのねぇ、私たちはこれの片付けに来たんだよ? ここまで来て引き返すって、笑えない冗談はおやめなさい」
サモンは三人を十分に下がらせると、杖を構えなおした。
「さて、時間外労働分は遊んでもらおう――……」
サモンは目を見開いた。
そして、憤りを覚えた。
鏡の中で、ミミックは奇声をあげながら、鏡を内側から叩き続ける。
サモンは奴を、冷たく見下ろした。
生徒に見られていなくて良かった。サモンはミミックを、敵としても魔族としても認識していない。
それは床の埃と同じ。それは壁を這う虫と同じ。
廃れるべき時を過ぎた愚者に、サモンは慈悲の『じ』の字もなく、魔法を浴びせた。
「火は悠久と刹那の踊り子 散る粉の揺らぎは幾年にも続く
火は命と共にありて 慈悲を知らず 断罪を下す
光の恩恵よ 人と共にあれ
熱の厄災よ 陰を屠る炎となれ」
鏡の中に、黒煙が立ち込める。ミミックは、足元から迫る炎に悲鳴を上げた。
サモンの詠唱は佳境に入る。誰も、口を挟むことが出来なかった。
「火の燃ゆる底 大地をも溶かす紅蓮の花よ
邪の道を行く者に安らぎを与えるなかれ
愚かなる人の願いを聞き届け給え」
サモンは杖の先を鏡に向ける。
鏡の中で燻っていた火は、一気に燃えあがった。
「火の精霊――『浄炎の試練きたりて』」
――一瞬だった。
それは本当に瞬きの間で。息をする間に終わってしまった。
煙独特の焦げた臭いと、少し煤けた壁と床。
サモンの前に残っているのは、真っ黒になって割れた鏡だけ。
サモンは一呼吸おいて、妖精の魔法に切り替える。
「『お片付け』」
サモンが呪文を唱えると、杖の先から光がキラキラと溢れ、煤や割れた鏡の破片を掃除し、片付け始める。
魔法が掃除を始めたところで、サモンは呆然とする三人に向き直った。
「いかに妖精魔法といえど、全てに命の保証はない。命ありて解決なんてことができるわけがない。友人への悪戯、家事の手伝い、戦闘時の妨害。これら全ては、正しく使うから便利なのであって、誤った使い方をするから不便なんだ。そして、妖精魔法も例外なく、戦闘魔法同様に危険な代物だ。扱いには十分注意するように。本日の『授業』はここまで」
我に返った三人は、真剣な眼差しをサモンに向ける。
「はい!」
緩みもない、胸に刻んだ三人の返事にサモンは満足げに「よし」と返す。
魔法の危険性についてしっかり学んだところで、サモンは三人に追加で説明した。
「まぁ、妖精魔法に人の命を奪い取るような魔法なんて無いんだけどね」
精霊の魔法は例外だが、今回は『妖精学の授業』という体でついてきた。
サモンは「妖精魔法は悪戯とお手伝い、あとは浮遊しかできないよ」と、挑発するように舌を出す。
サモンのケロリとした態度に、レーガたちの緊張は解れた。
「また異端な使い方したの!?」
「ストレンジ先生、ほんと最低! せっかく妖精魔法の実践見れると思ったのに!」
「一瞬そんな危ねぇ魔法、レーガ得意になったのかって本気で心配した」
「ねぇ、さっきの状況になったとき、妖精魔法だけだったらどうやって対処すればいいの?」
「『秘密は暴かれたり』を解除魔法として使用した場合、鏡の姿だけが現れるのよね? さっきの『もうお終い』はどうやって制御してたの?」
「妖精魔法ってどこまでお手伝いしてくれるんスか。さっきのもう一回見たい」
「あーもう! 授業終わり! おーわーりー! さっさと寮にお帰りなさい! 精霊の魔法はアンタらには早すぎるんだってば! もうっ、そこまで聞くなら特別に課題を出そう! 『鏡の中の魔族を妖精魔法のみで退治する方法について』A4五枚分のレポートを、そうだねぇ……明後日までに提出で」
「サモン先生また明日ね!」
「そういえば部活で育ててる花の観察があるんだった」
「日課の鍛錬が!」
宿題が出ると聞くと、そそくさと逃げ出す生徒に、サモンは「これは使える」とにんまり笑う。
これで付きまとわれる事もなくなると、対抗策を手に入れた喜びで小さく跳ねた。
だが、まだやることは残っている。
サモンは、跡形もなくなった壁を、じいっと見つめた。
***
夕焼けと夜が交わる頃に、エリスは二階の階段の踊り場に来た。
真っ白なマーガレットの、小さな花束を持ち、誰もいないことを確認して、壁に添えた。
「やぁ学園長。そろそろ来る頃だと思っていたよ」
「きゃあ!?」
エリスは驚いて尻もちをついた。サモンはキョトンとして、エリスに手を貸した。
「ありゃ? とっくに知ってるもんだと思っていたがねぇ。監視魔法で学園の隅々まで見るんだろう?」
「そうですが、必要な時に必要な場所だけ見ているんですから、常に誰がどこにいるかなんて把握していません。プライバシーだってありますし」
「おや、そうだったのかい。いい事を聞いた」
「呼び出しと業務連絡以外で私の部屋に入らないでくださいね」
「ちっ。先手打たれた」
サモンは壁をじっと見つめるエリスの横顔を眺める。
思い悩んだその横顔に、サモンは「誰だった?」と尋ねた。
エリスは、落ち込んだ声で答える。
「私の……親友でした」
サモンは、鏡の中にいたのがミミックではないことを知っていた。
あえて、ミミックだと言って、三人がその正体に気が付かないようにした。
鏡に閉じ込められていたのは、悪へと堕落したエルフ――ダークエルフだった。
それは、姿を写し取らねば動けないもの。予想をつけて、ここにたどり着いた生徒を食べて魔力の糧にしようとしていた、高尚な妖精族とは二度と名乗れない生き汚い魔物だった。
「何度も、道を正そうとしました」
エリスは壁に手を当てて、額を寄せる。
エリスと同じ、エルフは教員として学園を支えるよき友であった。
しかし学園内で日々起きる、生徒同士でのいじめや教員の仲違い、妖精族であるが故の偏見や陰口に、次第に心が削れ、遂にダークエルフへと落ちてしまった。
「何度も森に帰るよう、説得しました。悪しき考えに取りつかれる彼女に、寝る間も惜しんで話を聞いたり、エルフに伝わる歌を歌ったりと、手は尽くしたのですが」
「ダメだったと」
ダークエルフに落ちた彼女を、同じ仲間として、退治する勇気がエリスにはなかった。
元に戻すことが出来るかもしれない……そう信じて、エリスは彼女を鏡に閉じ込めて、見えないように隠した。
「二十年。あれから二十年も経ったのですね。どんな姿でしたか。彼女はどんな最期を」
「おやめなさい。それは聞いたらいけないよ。後悔だろうと、何だろうと、アンタはそれを知ろうとはしちゃあいけない」
エリスは忙しい中、時間を割いて調べていたに違いない。
必死になって、仲間を取り戻そうとしていただろう。
サモンはそれを、『生徒の命を優先する』という契約と、救いようのない生物になり下がった見切りをつけて、葬ったのだ。
妖精の魔法にも、精霊の魔法にも、一度落ちた者を救う呪文はない。
エリスはズルズルと壁に額を擦りつけたまま、座り込んだ。
「……優しい人。私にできなかった救済を、彼女にもたらしてくれた。最初から、こうするべきだったのに。私が、するべきことだったのに」
エリスは背中を振るわせる。
サモンは頭を掻いてエリスに背中を向けた。
「優しい? 契約を優先しただけの私が優しいとは、学園長もお人が悪い。まぁ、葬ったのは私だし、見た目があんまりにも悪いから、さっさと片付けてしまったしねぇ。恨み言くらいは受け止めるとしよう。塔の鍵は開けておくからさ」
サモンは興味なさげに欠伸をする。
階段に一歩踏み出した時、サモンは振り返らずに言った。
「……覚えといてくれ。アンタがそこにいた友人と、一緒に過ごしていた時の姿のままで。覚えといてやってとくれ」
サモンはエリスを置いて階段を下りて行った。
エリスは一人になると、すすり泣いて無き友を悼む。
救うことも、楽にすることもしなかった自分の不甲斐なさが押し寄せる。
サモンが精霊魔法で葬ってくれたことが、何よりの救いだった。
自分がすべきだった。自分の手で、二十年前に眠らせるべきだった。
友に苦しい道を歩ませておきながら、救えるかもしれないなんて、なんておこがましい。
ごめんなさい、ごめんなさい。苦しませるだけで終わってしまった。
それなのに、それなのに――
「貴女は未来を誓った姿のままでいるのね」
嗚咽をこぼして、エリスは涙を拭くこともしなかった。
サモンは、遠く聞こえるエリスの咽び泣く声に目を閉じた。
実験室の前を通ると、アルコールランプに火が付いていた。
またマリアレッタが消し忘れたのだろう。
サモンはため息をこぼす。
「――頼んだよ。ホムラ」
サモンが呟いた。
火は大きく揺らめいて、消えた。
ちょうどその時、外も夜に覆われた。




